光と闇
江静が自殺した翌日。
目を赤く充実させた王恵妹は、公安局内の一室で、暗闇フォルダを開くことに成功していた。パスワードは、江静が語っていた通り、タイムカプセルに設定したパスワードだった。それは「yongyuanpengyou1314」。アルファベットは中国語発音で「永遠朋友」となる。数字の1314は、音が似ていることから中国語で「一生一世」、生涯の意味となる。つまり、パスワードは「永遠の友達、生涯」という意味だ。
江静自殺の一報は、王恵妹が自宅で五年前のパスワードを調べていた時にもたらされた。連絡してきたのは劉鋭で、劉鋭も、昨夜、北京に戻ると、自宅には戻らず、顔露と共に、ITセンターで白蓮教のフォルダを徹底調査していた。その時に、九江市の局長から電話で聞いたという。劉鋭はその後、すぐに金橋にも同じ報告をしたため、劉鋭からの電話からしばらくして、金橋からも電話がかかってきた。王恵妹は、ただただ電話口で泣いただけだった。どれくらいの時間、泣いていたのか覚えていないが、金橋は何も言わず、電話も切らず、そのままでいてくれた。そして、今日はとにかく休むようにと言って、電話を切った。
飛行機で深く寝ていたこともあったが、茫然自失の状態で、王恵妹はまったく眠れなかった。しばらくして、まだパスワードを見つけていないことを思い出し、その作業に入ったが、手がおぼつかない。やっとの思いで、五年前のパスワードを見つけた時には、空が明るみ始めていた。王恵妹は、そのままITセンターに出向いた。劉鋭に挨拶に行くと、顔がやつれて、目が充血している、今日は休めと言われたが、大丈夫、それより、パスワードを見つけたから、どうしても暗闇フォルダを見てみたいと主張した。顔露も心配そうな顔をしていたが、劉鋭は許可してくれた。そして、ITセンター内のパソコンから、暗闇フォルダにアクセスした。劉鋭は、中身を見たら、どんな内容だったのか、報告してくれ、でも、焦る必要はないと言って自分の仕事に戻った。
五年前のパスワードで暗闇フォルダが開いた。そこには、テキストファイルがひとつ、保存されているだけだった。王恵妹はそれを開いた。
そこには、衝撃の独白が記録されていた。
私の本名は姜京(注:中国語の発音では江静と同じ)。甘粛省にある祁連山脈の中腹にある、誰もその名を知らない、小さな農村に生まれた。戸籍はない。中国の貧困農村では、子供が生まれても育てるお金がない家庭では、役所に出生届けを出さないことがある。戸籍登録すると、中国国民として正式にこの世に登録され、ゆくゆくは義務教育を受けさせなければならないからだ。学校に行くと、お金がかかる上に労働力にならない。だから、貧困家庭では、出生届を出さないことで、意図的に戸籍を登録せず、子供に仕事をさせるのだ。一人っ子政策の対象地域では、二人目以降は罰金を支払う必要があるが、その金がなく、出生届けを出さない場合もあると聞く。いずれにしろ、こうした戸籍のない子供は、闇っ子と呼ばれる。私は、闇っ子だ。
家はとにかく貧しかった。それは、父がギャンブル依存症で、わずかばかりの収入を闇賭博につぎ込んでしまうからだ。まともな生活をしない父と、そんな父に、それでも追従するしかない無知な母が原因の貧困だった。闇賭博で膨らんだ借金の返済のために、一切の家財道具をすべて売り払ってしまった後、父はついに子供に手を付けた。当時、私たち家族には三人の子供がいた。まずターゲットになったのは弟だ。ある日を境に、突然、家から弟がいなくなった。父も母も理由を教えてくれなかった。私は怖かった。弟がどうなってしまったのか、捨てられてしまったのか、今生きているのか、それすらもわからない。父の前でその話を持ち出すと、激しく殴打されるので、いつしか弟については口にしなくなり、いないことが当然になってしまった。父の闇賭博は終わることがなく、借金はさらに膨らんでいった。そして、ついに、その日はやってきた。私は六歳だった。
その日、私は父に連れられて、村のはずれまで歩いていった。そこには、見たことのない男が数名と、自動車があった。自動車など見たことがない私はとても興味を持ったが、何の目的で父にここまで連れてこられたのかわからない不安のほうが大きかった。道中、父はずっと無口だった。父はその男たちとしばらく言葉を交わすと、「車に乗れ」と私に言った。怖かったので「嫌だ」と言ったが、父の目がいつもの目になったから、おとなしく従った。私や兄を殴るときの目だ。男が二人、私を車に乗せて、両側から座った。私は父の様子を見ようと振り返ったが、後部ガラスは黒くて外が見えなかった。そして、全員が乗ると、車は出発した。これが、私が見た、最後の生まれ故郷だった。
私は人身売買で売られたのだった。売られた先は、幼児売春を提供する闇組織。その日は山を下って街に出た。私が怖くて「帰りたい」と言っても、全員が私を無視した。街では見知らぬ建物の中の部屋のひとつに連れ込まれた。そこには、私と同じくらいか、もう少し大きいくらいの女の子が何人もいて、床に敷かれたシートの上に雑魚寝していた。すさまじい臭いが漂っていた。みんな、恐怖に怯えた目をしていた。男たちがドアに鍵をかけて出て行くと、私は何人かに話しかけてみた。しかし、誰もが同じことを言った。「しっ。声を出していると、男たちがやってきて殴られる」。みんな、私よりも早くここに連れ込まれていたのだ。部屋には窓がなく、光は入らない。部屋の一角にバケツが置かれていて、みんな、そこで糞尿をしていた。蓋がないから、すごい臭いが室内に蔓延していた。こんな部屋でこれからずっと過ごすのかと思うと、ぞっとした。
翌日、知らない顔の男が一人、私を連れて列車に乗った。他の子たちがどうなったかは知らない。後で知ったことだが、買い付けた少女を、売れるまで閉じ込めておく部屋だったようだ。すぐに買い手がついて私の行き先は、北京だった。私は、中国で生まれたにもかかわらず、戸籍も与えられず、人身売買で両親に売られてしまった挙句、こんな形で、この国の首都に、初めて足を踏み入れたのだった。列車がどれくらい走ったのかわからない。硬い椅子の席で、たぶん、二十四時間以上は揺られていたと思う。その男は妙に私に優しく、列車の中ではお弁当を食べさせてくれた。とにかくご飯をもらえず、いつも空腹だった私は、お腹いっぱい食べられるだけで幸せだった。
北京に着くと、男は駅の駐車場に行った。そこで、また別の男に私は引き取られた。車は市内を通過していく。これまで見たこともないような大都会の景色に、私の恐怖は少しだけ薄れた。しかし、どこに連れて行かれるのかわからない恐怖は常にやってくる。また、あんな糞尿臭い部屋に閉じ込められるのだろうか。
到着したのは、大きなマンションの一階にある店舗だった。看板には「洗頭」と書いてある。朝早い時間で、シャッターが下ろされていた。男は車を止めて私を下ろすと、シャッターを開けて中にはいるよう命じた。真っ暗だった。男も中に入ってくると、シャッターを閉めて電灯をつけた。そこは、美容室だった。鏡やリクライニングシート、そして頭を洗う洗面台。男は私の手を引いて部屋の奥のドアを開けた。すると、そこにはいくつものベッドが、カーテンで仕切られていて、若い女の子たちが寝ていた。男は私を二階へ連れて行く。二階にも部屋があり、三段ベッドが二つ並べてあった。そして、やはりたくさんの女の子が寝ていた。物音で目を覚ました子もいたが、私を一瞥しただけですぐにまた寝てしまった。男は、三段ベッドのひとつの一番上を指差し、「あそこがお前の居場所だ」と言った。どうしていいかわからず、じっとその男を見つめていると、「なんだ?」と男が言った。「お腹が空いた」というと、笑って答えた。「飯が欲しけりゃ、働け」。男は、この店のオーナーだった。
そこからは、地獄の日々だった。
この店の女の子たちの仕事場は二つあった。ひとつは、一階奥のベッド部屋。そこで、男たちに身体を売るのだ。美容室の部屋は、実際には美容室として営業しておらず、カモフラージュだった。もう一つの仕事場は、街中のホテル。女の子たちは、夜になると、極端に露出の少ない衣装を着て、美容室のスペースで客引きをする。決して外には出ない。男性客は、ドアの外から中を物色し、気に入った女の子がいると、店に入ってきて女の子を指名する。指名された女の子は、一階奥のベッド部屋で体を売るのだ。一回、百五十元。取り分は、オーナーが百元。女の子が五十元。しかし、さらにその五十元から、住居代として十元取られ、水道光熱費として十元取られるから、実際の収入は、三十元だった。そこから、食費を捻出するのだ。
私の仕事場はホテルだった。なぜなら、まだわずか六歳だった私は、ポルノ好きで、高い金を払う上客のためだったからだ。店に出して、回数を稼ぐと、品質が落ちる。オーナーはそう言った。私の性器には、品質があるらしい。私はオーナーから声がかかると、一緒に車で出かける。男性客が指定したホテルに向かうのだ。部屋に到着すると、金のやり取りがあり、それが終わるとオーナーは迎えの時間を私に告げて、私をホテルに残して店へ戻る。その時間まで、私は男性客とホテルの部屋で過ごすことになる。もちろん、最初から仕事などできるわけがなかったから、私は、ある中年女性から「仕事」を教わった。オーナー夫人だ。信じられないのは、仕事を覚えるために客に見立てる男性役を、オーナー自身がやることだ。つまり、オーナー夫人は、自分の夫の身体を使って、女の子に指導するのだ。金儲けのためなら、それも気にならないという鬼畜のような連中だった。オーナー夫人がまた嫌な女だった。初めての私に仕事を教える時、彼女は嫌がる私の顔を、無理やりオーナーの股間に持っていく。それでも私が抵抗すると、私の手を縛り上げ、抵抗できない状態にする。そして再び、私の顔をオーナーの股間にもっていく。風呂に入っていないのか、オーナーの股間からは強烈な臭いがいつも漂っていた。抵抗する私の鼻をつまみ、口を開かせ、その中にオーナーのあれを突っ込ませる。嫌がるそぶりを見せると、また殴られた。私は、嘔吐せずにそれができるまでに三日かかった。そして、もうひとつ辛いことは、嫌がるとご飯をもらえないことだった。殴られるのも嫌だったが、ご飯をもらえないことのほうが辛かった。他の子も、決してご飯を分けてくれないのだ。「飯が欲しけりゃ、働け」。そのオーナーの言葉の意味を、やっと理解した。
とにかく、食べるためには、嫌がるそぶりを見せず、男の相手をするしかない。私は二週間、研修の名の元、オーナーの身体を舐め続けた。しかし、オーナーは絶対に私の中には入ってこなかった。「そんなことしたら、商品価値が下がる」。私の最初の行為は、「極上品」と呼ばれていた。新しい幼女が来ると、その初回を欲しがる男が次々に現れる。そして、オークションのように値段が吊り上げられる。もちろん、当時の私はそんなことは知らない。全部、後から聞いて知ったことだ。私の初めての出勤日は、突然やってきた。いつものようにオーナーの身体をなめ続けると、オーナーは私にシャワーを浴びるように行った。そして、オーナー夫人が用意した服に着替えて、車でホテルへ連れて行かれた。とても高級なホテルだったことを覚えている。つり上がった価格で私という極上品を買い落としたのは、ハゲで、デブで、薄気味の悪い、脂ぎった男だった。私はその部屋でも再びシャワーで身体を洗われた。男が私の身体のあちこちを触りながら洗って、気持ち悪かった。体を拭いてベッドに上がると、私は緊張しながら、オーナーにやってきたことと同じことをした。男は気味の悪い声を出して喜んでいた。そして、その時はやってきた。男は、大きく腫れ上がった自分の股間を、私の中に入れてきたのだ。とにかく痛かったことしか覚えていない。男は何度も何度も私の中に入ろうとしたが、その度に私が痛がり、なかなか成功しない。だが、男はそれが嬉しそうだった。痛がる私を見て、楽しんでいるようだった。これほど気持ちの悪いことがこの世にあるのか。私はそう思いながら、何度も何度も男が侵入を試みるのを受けた。そして、突然、股間に強烈な痛みが走り、異物が自分の体に入ってきた。覚えているのはそこまでだ。私は、気を失った。
気がつくと、気持ち悪い男が横で寝ていた。私の身体にはまだ痛みが残っていた。手で股間を触ると、血がべっとりついていた。お腹も空いていた。私はベッドから降りて、食べ物を探そうとしたが、何もなかった。それにしても股間が痛い。すると、男が目を覚ました。私は恐怖のまなざしで男を見た。男は笑いながら近づいてくると、私にベッドに戻るように命じた。そして、「君の意識が回復するのを、ずっと待っていたよ」と言って、再び、始めた。私は痛いから嫌だと言ったが、男は私がそう言う度に嬉しそうな反応をした。そして、また入ってきた。また、激痛。こんな激痛に苦しむくらいなら、いっそ、気絶してしまいたかった。だが、その時はしなかった。男が何度も出たり入ったりする。早く終わってくれ。それしか考えられなかった。
これが私の仕事だった。初めての仕事を終えて店に戻ると、オーナー夫妻は「こいつは最高の買い物だ」と言った。客がとても喜んで、支払いも弾んだらしい。そして、そこからは毎日、三人から四人の男を取らされた。初めての客が私の評判を広めたからだ。その男も、週に二回、三回は私をホテルに呼び出した。その度に、男は「僕が初めての男だからね」と言った。
六歳から十二歳までの六年間、私は仕事をした。世間では、ちょうど小学校に通う六年間だ。みんなが小学校に通っている間、私は数え切れぬ数の男を相手にしたのだ。もはや、私には、心とか精神とか、そんなものは残っていなかった。何度も死のうと思ったが、死ねなかった。同じ部屋に住んでいた子たちとは仲良くなり、いろいろ話すようになった。私だけじゃない。ここにいるみんな、学校にも行けず、体を売っているんだ。そう思えることだけが、私の救いだった。慰めだった。
転機が訪れたのは、十二歳の時の夏。暑い日だった。
その日も仕事が入った私は、オーナーと共にホテルへ行った。中には容姿端麗な紳士がいた。いつも通り、迎えの時間を告げて、オーナーが帰っていく。私は、もうその道六年の熟練だった。慣れた口調で「シャワーを浴びましょう」と誘うと、男は「まぁまぁそう焦らずに。君と話がしたい」と言った。どのみち、明日の朝までこの部屋にいるのだからと私は男に従い、お茶を飲みながら話し相手になった。
五十歳くらいのその男は、明らかにこれまでの客たちとは違っていた。少女の身体を弄んで喜ぶタイプの男には見えなかった。落ち着き払っていて、とてもハンサムだった。高そうなスーツを着ており、話にも教養があった。というより、私は学校も行かず、テレビも新聞も見ない生活だったから、世間知らずだった。そんな私に、男は世の中のいろいろなことを教えてくれた。私が人生で学ぶ喜びを知ったのは、この時だった。私は何度も「ねぇ。そろそろ始めよう?」と誘ってみたが、その度に男は「まぁまぁ」と言いながら話を続けた。私たちの会話は深夜まで続いた。男は、私の身の上話も聞いてきた。普段、私は客から聞かれても、何も答えないようにしている。所詮は私の身体に侵入するのが目的の男たちだ。自分のことなんか話したってどうしようもない。だが、この男になら、話してもいいかなと思った。六年間で、初めて、私は自分の過去を客に話した。
男はとても真摯に私の話を聞いてくれた。そして、同情してくれた。もはや私は、六歳当時の記憶や恐怖心を思い出しても、涙すら流れなかった。それだけ、自分の不幸な境遇に飼い慣らされてしまったのだ。飯を食うために、男に体を売る。やることは、来る日も来る日も、ただそれだけ。だが、この男と話したときだけは、違っていた。私は、話しながら涙したのだ。なぜなのかはわからない。恐らく、男が本気で私の話に耳を傾けてくれたからだろう。
やがて、夜が明けようかという頃合に、男は言った。
「今の境遇から抜け出して、学校で勉強したくないかい?」
これにはさすがの私も笑ってしまった。
「そんなことができるなら、とっくにやってる」
男は言った。
「君の意思があれば、できる」
「どうやって?」
「私がここから連れ出してあげよう」
私は本気にはしていなかったが、会話を楽しむために続けてみた。
「連れ出すって、どこへ?」
「それは、これから相談して決めるよ」
「相談って、誰に?」
「僕の仲間さ」
「仲間って、なんの?」
「一緒に、この世界を良くしようという仲間だ」
「よくわからない」
「今はまだそうだろうね。でも、すぐにわかるよ」
「いいわ。じゃ、連れてって」
私は、本気にしていなかったし、どうせそんなことはできないのだからと思い、そう答えた。すると、男は言った。
「じゃ、荷物をまとめて」
「え?あなた、まじなの?」
「本気だよ」
「オーナーが許すわけないじゃない」
「許すも何も、行方をくらませれば関係ないだろう」
男は自分も荷物をまとめて、「さぁ。行こう」と行った。私は、はっきり言ってこの男を信用していなかったが、だからといって、今の状況より悪い状況がこの世にあるとは思えなかった。そして、自分がいなくなったとて、困る人がこの世にいないことも知っていた。なにせ、両親ですら、借金返済のために、私を売ったのだから。いや、待て。一人、困る人間がいた。オーナーだ。夫人も合わせて二人か。大事な商品がなくなってしまうのだから。どうせあの夫婦しか困らないんだったら、この男に付いていってしまえ。男を信じたのではなく、どうにでもなれという思いで話に飛びついた。
その決断は、正しかった。
男は私をホテルから連れ出すと、車を飛ばした。高速道路を西へひた走った。やがて夜が明けて、オーナーが私を迎えに来る時間になった。その頃、私たちはすでに北京市内を抜け出していた。男は車を運転しながら、時々電話をかけていた。どうやら、誰かと相談して、私の行き先を決めているようだった。途中のサービスエリアで朝食を食べて、給油もして、再び西へ向かった。私は、あの店から離れることができた安心感もあり、車の中で深い眠りについた。
どれくらい眠っただろう。
車は高速を降りていた。
「ここはどこ?」と私が聞くと、男は「寧夏回族自治区の銀川市だよ」と言った。
「ここで、君は生まれ変わるんだ」
「どうやって?」
「ここで戸籍を取るんだ」
「戸籍?」
私は、男と共に銀川市内のホテルに滞在した。男は昼間はどこかへ出かけている。私は、一人で外を出歩く気になれず、ホテルの部屋で過ごした。食事のときだけ、男と外出した。男は、昼間、出かけて何をしているのかについては一切話さなかった。
ホテル滞在四日目に、来客があった。一人の中年女性だった。この人が、私の人生における二人目の母となった。生みの親ではないが、私は、実の母よりも愛情を感じる。
「江静。それがあなたの新しい名前よ」と母は言った。そして、戸籍謄本を見せてくれた。「私の名前は江桃月。今日から私が、あなたの母よ」。戸籍謄本には、江桃月が世帯主、長女の欄に江静とあった。私の民族は、東郷族となっていた。男は、北京の売春宿から少女を助け出し、新しい戸籍を与え、新しい人生を始めさせることを任務としていたのだ。彼は、翌日には北京へ戻っていった。私が何度も「なぜこんなことをするの?」と聞いても、「それは、新しい生活が始まったらわかるよ」と言って、答えなかった。
銀川市で、私は戸籍を得て、中学校に通い、勉強し、友達ができた。家に帰れば優しい母がおいしい手料理で迎えてくれた。母はいつも私に言っていた。勉強して、いい高校に行き、いい大学に行くのよ、と。
もうひとつ、母が毎日私に教え込んだものがあった。それこそ、私が生まれ変わったことの証だ。白蓮教。母は、日々の祈りから、茅子元様、教団の歴史、そして現代の白蓮教についてまで、すべてを教えてくれた。祈りは朝と夜の二回。この時だけは、母は厳しかった。どんなときでも、欠かすことはない。病気の時は、布団に横になったままでいいから、心の中で祈りなさいと言った。やがて私は、母の言うとおり、銀川市の進学校へ進み、北京の中央民族大学に合格した。母も銀川市から北京市に引っ越して、二人の北京での生活が始まった。小学校の義務教育を受けなかった私が、中央民族大学に入れたのは奇跡だった。私は、北京のホテルで男に会って以来、学ぶことの楽しさを知り、そこからとにかく学び続けた。勉強は好きだ。そして、成績がどんどんよくなっていくことに喜びを覚えた。何より、母が喜んでくれた。
大学を卒業すると、IT企業で働き始めたが、母が「ここからが本格的な信仰活動の開始よ」と言った。私は北京の教会に頻繁に通うようになった。私は、教団のためならなんでもしようと誓った。なぜなら、生まれながらに戸籍がなく、六歳で人身売買されて売春宿で働き、小学校にも行けず、六年間ずっと男の相手をさせられていたのだ。そんな私を売春宿から救い出し、新たな戸籍と、新たな母親、そして文字通りの新たな生活を与えてくれ、さらに教育まで受けさせてくれたのは、他でもない教団なのだ。今こそ、教団に恩返しする時だと思った。私は、ITの知識をフル活用して、ネットワークを中心にそれまでなかったシステムを次々に生み出していった。その度に教団から頼りにされた。母は難解なIT知識は理解していないが、教団に貢献している私を誇りに思ってくれていた。いい成績を取ると喜んでくれたように、教団で活躍すると、やはり母は喜んでくれた。私は、教団にすべてを捧げた。教団も私の力を必要としていた。
そして、私は白蓮教第八十七代の教祖となった。そこに至るまでの母と教団からの教育で、私は今こそ、もう一度、白蓮教徒が立ち上がるべきだと考えるようになっていた。同時に、私を、辛く、苦しい、逃げ場のない、地獄のような人生に突き落とした、この国の制度や社会を変革しなければと考えるようになった。私の人生は、そのためにあるとさえ思えた。こうして、私は「復活の儀式」のプランを作り上げた。復活には二つの意味がある。ひとつは、もはや歴史上から姿を消したと認識されているこの教団の、世間に対する復活。もうひとつは、腐ったこの国を改めるという復活だ。いよいよ、それを実行すべきときが来た。茅子元様の偉大な力と、全同士の団結で、必ずや復活の儀式は成功するだろう。
独白はここで終わっていた。王恵妹はしばらく、呆然としてパソコンの前から動けなかった。まさか、こんな壮絶な過去が、江静にあったとは。
王恵妹は、二人のタイムカプセルも開いてみた。二人が、それぞれに、相手へのビデオメッセージを作ってそこに保存していたのだ。見るのは五年後、と約束して。江静の動画を見てみた。タイトルは「王恵妹へ。五年後に見てね」。動画を再生する。江静は、胸にガーベラの花を挿し、一人でビデオカメラを手に、キャンパス内の思い出の場所をめぐりながら、「この場所は…」とか「覚えてる?ここで…」など、一緒に過ごした大学生活を振り返る動画を作ってくれていた。そして、その動画の最後に、こう語った。
「王恵妹、あなたは私の一生の友達。家族と同じくらい大切な人。あなたは私の光。一生、親友でいようね」
動画を見終わった王恵妹は、しばらく、時間を忘れて彷徨った。江静という一人の人間の中にあった、あまりに大きな光と、闇の中を。
王恵妹は、動画を思い出して、ガーベラの花言葉を調べてみた。
花言葉は、「希望」だった。




