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白蓮教 首都連続爆破事件  作者: 松本忠之
16/18

自白

あの一言を聞いたとき、私のすべてが壊れ去った。私を呼ぶ、あの声で。

母も私のことを「阿静アージン」と呼んだ。その声は、特別だった。この世で、その声だけが、私が安心できる響きだった。母以外の人間から、いくら同じように呼ばれようとも、心を許す気になれなかった。でも、確かにそれは、母と同じだった。大学のキャンパスで私は、初めて、母以外に、心を許せる声の響きを持った人物に出会った。親友。心の底から信頼できる大親友だ。なんの利害も、遠慮も要らない。ただただ、そばに居るだけで安心だった。そんな存在は、母以外で初めてだった。その声が、なぜあそこで…。公安に就職したことは知っていた。しかし、卒業後は疎遠になった。いや、私から連絡を絶ったのだ。母以外で初めて見つけた心の許せるその存在は、公安の職員になってしまった。そうなっては、もう連絡は取り続けられない。公安の人間とは、距離を置かざるを得なかったのだ。せっかくできた、母以外に信頼できる友人なのに。それがまさか、こんな形で再会しようとは…。

あの時、何かが崩れ去った。私は、何も話せなかった。彼女を直視することすらできなかった。そして、またあの無気力が襲ってきた。あの忌まわしい部屋に閉じ込められていた、あの時代の虚無感だ。私は、儀式についてすべて明かすことを決めた。もう、終わりなのだ。私の儀式は、最後の最後で失敗に終わった。私は、敗北者だ。


江静は、すべてを語り始めた。

交換条件ということで、王恵妹が先に、公安が白蓮教の犯行と見破った理由について話した。だが、江静はもうそこには興味がないとばかりに、無関心な反応しか示さなかった。一点だけ、見破ったのが金橋強だと知った時だけは、「あの教授が…」と懐かしそうな笑みを浮かべた。

「私が白蓮教のトップになったのは、三年前でした。私は大学を卒業すると、IT企業に入りました。その一方で、プライベートの時間はすべて白蓮教の地下活動に費やしました」

「待って」と林芳芳。

「あなたが白蓮教に入信したのはいつなの?」

「幼い頃です」

驚いたのは王恵妹だ。ということは、大学時代、すでに江静は白蓮教の信者だったのだ。

「でも、大学時代、私はまったく気が付かなかった」と王恵妹は言った。

「学生にはそこまで活動を要求しない。社会人になってから、活発な活動が始まります」

本当は、幼いころに入信したきっかけを聞きたかったが、そこは連続爆破事件から外れてしまうために、後々聞こうと王恵妹は思った。

林芳芳が聞く。

「じゃ、あなたが本格的に活動を始めた頃からの話を聞かせて」

「大学を卒業して就職すると、教団の地下活動に積極的に参加するように求められました。私もそのつもりでした。教団が目を付けたのは、私のITの知識でした。特に、通信関係を得意としていた私は、教団が地下活動をするのに持ってこいの人材でした。なぜなら、公安に見つかることなく地下活動を行うには、この国の通信検閲網をかいくぐる必要があったからです。私は、会社で身に着けた知識と技術を駆使して、検閲網をかいくぐって通信させることに成功しました」

「VPNのこと?」

「VPNをさらに発展させたものです。それに、私は、務めていた企業から、常に最新の検閲ファイヤーウォールの更新情報を得ていました。更新されるたびに、ネットワークをアップデートして、検閲をかいくぐっていました」

「それによって、教団は大きく発展したの?」

「信徒の数に大きな変化はありませんでした。ただ、検閲に引っかかることなく、ネットワークを使えるようになったことで、コミュニケーションは活発になりました」

「教団には全部で何人いるの?」

「三十名です」

「それは正確な数字なの?」

「名簿があります」

「そこに」

「教団のサーバーに置いてあります」

「サーバーへのアクセス方法は?」

江静はすらすらとVPN用のプロトコルとURLコードを言った。

「すぐにこちらで調べる」と別室の局長からイヤホン越しに声が聞こえた。

「それで…」と林芳芳が続ける。「その他に、あなたがしたことは?」

「ネットワークの改善のほか、私は教団の教えを現代版として再編纂した『永久教典~現代版~』を発行したり、善悪の判断基準を明確化した『善悪全書』を作成したりと、教団の組織化を進めていきました」

「その教典や全書は、どこにあるの?」

「先ほどのサーバーに置いてあります。書物にして残すと、印刷会社の印刷記録から公安の検閲に引っかかる可能性が大きいので」

「つまり、こういうこと?」と林芳芳が突っ込む。

「組織表も、教典や全書といった書物も、すべては電子化されてサーバーに保存されており、紙の類では一切残していない」

「はい」

「そして、白蓮教の信徒しか、そのサーバーにはアクセスできない?」

「はい」

「もしも、信徒が他人に漏えいしてしまったら?」

「ログインは顔認証です。信徒以外の顔ではログインできません」

「でも、他人を横に置きながら、信徒が自分の顔でログインすれば、画面は見れちゃうじゃない?」

「サーバーにアクセスすると、まずIDとパスワードを入力し、その後、カメラによる画像認証を行います。その時に、画面の正面に座る人物の周囲に誰もいない場合のみ、正常に画面が見られます」

「もし、隣に誰かいたら?」

「サーバーアクセスが拒否されます」

「つまり、カメラ認証で一人であることを確認しないと、サーバーにたどり着けないのね?」

「はい。カメラが二名以上の人間が画面の前にいると認識した時、また、たとえ一人でも顔認証で事前登録者とは異なる顔であると認識した場合は、アクセスが拒否されて、その記録がマスターのパソコンに通知されます」

「マスターのパソコンに通知されるのは、あなたが信者を管理するためね?」

「そうです。二人以上でサーバーにアクセスしようとした場合、または顔認証で事前登録のない人間が認識された場合、機密保持違反の名目で教団から追い出すこともあります」

ここで王恵妹が質問を挟む。

「でも、普通のパソコンのカメラで、どうやってそこまで精度の高い、画像認証ができるの?」

「カメラの性能は関係ない。重要なのは、そのカメラを使って認証機能を行うファームウェアよ。私が開発したファームウェアなら、車の自動運転にだって使える」

「そんなすごいものを開発したのに、それを教団管理に使ったの?」と林芳芳が聞いた。

「教団は私のすべてです」と江静が即答した。

二人のイヤホンに声が入る。

「彼女の言うとおり、カメラによる顔認証を要求されて、サーバーに入れない。他の方法がないか、聞いてくれ」

王恵妹が聞く。

「別室のメンバーがサーバーにアクセスしたけど、顔認証を要求されて中に入れないって言ってるわ。顔認証以外に、サーバーにアクセスできるパスを用意しているんでしょう?」

江静は王恵妹の顔を数秒間、見つめてから、「顔認証を要求されるポップアップ画面の右下に、隠しリンクがあるわ。隠しフォルダを表示させるのと同じ設定をすれば、そのリンクが可視化できるようになる」と言い、「どうせこの声は別室で誰かが聞いていて、今、私の指示通りの操作をしてるんでしょう?」と笑った。

しばらくすると、「リンクが可視化できて、アクセスしたが、ここでもログインIDとパスワードを求められている」とイヤホンに声が聞こえた。

江静は「隠しリンクに飛ぶと、ログインIDとパスワードが要求されるから、こう入力して」と自分から話し出した。もちろん、イヤホンの声は聞こえていない。林芳芳と王恵妹のしぐさを見て、イヤホンに声が入ったことを察しているのだろう。

「まるで、こちらが監視されているみたいだな」と別室にいる隊長が苦笑した。

「教典や全書は、それぞれ名前が付いたフォルダがあって、そこに入っています」

江静は相変わらず、別室に向かって話しかけていた。そして、「外部の人間がアクセスすると、とんでもないウイルスが飛び出すフォルダもあるから、ご注意を」と笑った。

取調べの二人も、別室の全員も、一瞬、その言葉に固まった。だが、次の瞬間、「冗談です。そのフォルダはウイルスフリーで安全です。どうぞお好きなだけご覧ください」と言った。

「人を操る術に長けているな」と局長が眉をひそめて言った。

「ネットワーク関係の、知識と経験の絶対量が、我々とは違います」と金橋も反応した。

林芳芳は別室のアクセス状況をイヤホンで聞きながら、江静に質問を続ける。

「教典や全書はアクセスできた。でも、名簿のフォルダが開けないそうよ。パスワードがかかっているって。パスワードを教えて」

「…」

「黙秘なの?」

「はい」

「なぜ、ここまで話してくれて、今さら黙秘を?」

「教団のトップが、信者を公安に売るようなことはできないからです」

「でも、あなたたちは連続爆破テロを実行した犯罪者集団なのよ?」

「…」

「それでも、黙秘するの?」

「…」

林芳芳は一度、話題を元に戻すことにした。

「まぁいいわ。それは後で聞くこととして、あなたは自分のプライベートな時間を、教団の活動に費やした。首都爆破テロの計画は、いつからあったの?」

江静はしばし思案してから、「あれは、私が教団トップになってから作りました」と言った。

「あなたが教団トップになったのは、いつ?」

「三年前です」

「なぜ、あなたがトップに?」

「先代が私に譲ったからです」

「なぜ、先代はあなたに譲ったの?」

「わかりません。でも、ネットワーク体制を整えて、教団の活動を活発にしたことが一番の原因ではないでしょうか」

話はいよいよ核心に迫る。

「あなたが教団トップになって、連続爆破テロを計画したのね?」

「あれは儀式です」

「え?」

「あなた方の呼称は連続爆破テロ。でも私たちにとって、あれは儀式です」

「儀式?無差別の一般市民を多数死亡させておいて、何が儀式なの?」

「林芳芳、冷静に」とイヤホンから聞こえた。林芳芳は一瞬で冷静さを取り戻す。

「いいわ。じゃ儀式と呼びましょう。計画したのは、あなた一人?」

「儀式の内容、プロセス、それに関わる準備物の用意、すべて私一人がやりました」

「爆弾もあなたが作ったの?」

「はい」

「ドローンを準備したのも?」

「はい」

「湖北ビル、陜西ビル、四川ビル、河南ビル、そして天安門というのは、白蓮教徒の乱を再現しようとしたのね?」

「歴史上における聖戦です」

「わかった。聖戦を再現しようとしたのね?」

「はい。我々はそれを、復活の儀式と呼んでいました」

江静はあくまで自分たちの呼称にこだわった。

「爆弾はどうやって製造したの?」

「爆弾くらい、インターネットで調べれば、誰でも作れます」

「でも、時限装置があったり、遠隔操作ができたりと、単純ではなかったはずよ」

「爆弾を作って、時限装置や通信装置を導線につなぐだけ。簡単です」

王恵妹は、江静の頭脳なら、確かに簡単にやってのけるだろうと思った。

「でも、自家製爆弾が不発になることは考えなかったの?」

「考えました。なので、先に小型の爆弾を作って、時限と遠隔で爆発実験をしました」

「どこでそんなことを?」

「北京の郊外に行けば、いくらでも見つからずにできる場所はあります」

おいおい、その場所も特定せねばなるまい。だが今は、事件の核心をもっと知る段階だ。そう王恵妹は思った。

「爆弾はどうやってビルに仕掛けたの?よく見つからずに、仕掛けることができたわね」

「実働部隊を編制しました。爆弾設置は、ビルの管理人に怪しまれないように、四つのビルにテナントとして入っている企業に信徒を就職させました」

「つまり、爆弾を仕掛けるために、信者を就職という形で送り込んだのね」

江静が頷いた。王恵妹は背筋が冷たくなった。

「北京のアジトが摘発されたと伝えてくれ」と、またしてもイヤホンに指示が来た。

これは王恵妹が引き受けた。

「あなたたちの、北京での拠点が発見され、公安が摘発したわ」

「教会よ」

また江静が訂正する。

「いいわ。教会を発見したわ」

「私が捕まった時点で、それは覚悟していた」

「あなたは当初、北京にいて復活の儀式の指揮を執っていたのよね?」

林芳芳が再び質問する。

「はい」

「でも、途中、杭州に行き、さらにここ九江まで来た。どういう経緯?」

江静はふうとひとつ、息を付いた。

「それは私の本意ではなかった。でも彼らが、万が一でも、私が捕まってはならないと、北京を出るように勧めてきた。私は断り続けたけど、彼らは、私が北京から身を隠さないのなら、儀式は実行しないとさえ言い出した」

「それはつまり、教団があなたを守ろうとしたのね?」

「その気持ちはすごくうれしかった。でも、本意ではなかった」と江静は繰り返した。

「それで?」

「その時点ではまだ儀式の実行日は決まっていなかったから、私は、北京以外にもう一つ、教会を作るという名目で、北京から身を隠すことにした」

「会社はどうしたの?」と王恵妹。

「辞表を出したわ」

「それで、杭州に向かった?」と林芳芳。

捜査段階で、江静一行がまず杭州に拠点を構えようとしたが、叶わず、九江にたどり着いたことはわかっていた。

「杭州では、茅子元様の像を作ろうとした。でも、できなかった」

「なぜ、像を?」

「像を建てて茅子元様を宣揚することと、杭州教会のネットワークを政府の検閲網から逃すための中継地点にしたかった」

像にネットワーク機器を仕込み、そこを中継地として、検閲網を交わす計画だったと江静は語った。

「でも、杭州には教会を作るにふさわしい場所が見つからなかった。それで、九江へ?」

「はい」と答えた後、「杭州や九江という土地のヒントを与えたのも、金橋先生?」と王恵妹に聞いた。

「そうよ」と王恵妹が答えると、江静は微笑しただけだった。

「なぜ、九江では、白蓮堂へ?」と再び林芳芳。

「ひとつは名前が相応しかったこと。もう一つは、すでに廃墟と化していて、潜伏するに持ってこいだったこと」

「儀式を実行する日を決めたのはいつ?」

「元国家主席が死んだと聞いて、千載一遇のチャンスが来たと思った。国が揺らいでいる、世界中が中国に注目している。今しかない、と。そして、しばらく情報を注視していたら、追悼パレードが行われると報道があり、その日に決めました」

「もし、元国家主席がなくなっていなければ、どうするつもりだったの?」

「たとえパレードがなかったとしても、世界の注目が中国に集まるイベントに狙いを定めて実行するつもりでした。プラン、爆弾、ドローン、そして全員の覚悟。儀式の準備は万端だった。そして、九江の白蓮堂も通信や食料が安定してきて、北京教会の連携も成熟していた。いつでも儀式を実行できる体制にありました」

王恵妹は、目の前にいる江静は、本当にあの江静なのだろうかと思い始めた。それくらい、大学時代の彼女と、今、目の前で首都連続爆破テロを語る江静が結びつかなかった。二重人格とは、こういうことなのだろうか。

「あなたたちの計画は、実に巧妙で、精密で、ほぼ完成しかけていた。でも、あなたたちはひとつ、ミスを犯した」

江静が林芳芳の次の言葉を待っている。

「電話よ」

江静はそれを聞くとうなだれた。

「自分でも、あれが失敗だったと気付いていたのね?」と林芳芳が言うと、江静は小さく頷いて言った。

「午前十時五十七分でした」

「そんな細かい時間まで、覚えているのね」

「私が指示しましたから」

「公安の包囲網が来ていたことには、気付いていたの?」

「はい」

「九江市公安局は、地元の通信会社に協力を仰いで、白蓮堂から人為的な電波が出ていないかを調べていたわ。最初、電波は検出されなかった。あなたたちは、妨害波でインターネットの電波が調べられることにバリアを張っていたからよ。もし、あそこで、あの一本の電話の電波が発信されていなかったら、私たちは白蓮堂を疑わなかったかもしれない。でも、白蓮堂からの電波が、不法に電話局のケーブルに侵入したことを我々は検知して、ここに潜伏していると確信をもった。」

「はい」

「なぜ、電話したの?」

「…」

「あなたが指示したんでしょう?」

「…」

「また黙秘?」

「…」

王恵妹は、これは黙秘ではなく、江静にとって、話すことが辛い内容なのではないかと直感した。だとしたら、尋問口調で引き出すより、彼女の心情に寄り添って引き出すほうが得策だと思った。

「アージン。話したくないのではなく、話すのが辛いんじゃないの?」

江静が王恵妹を見つめた。

「それを話せと言うのは、あなたに申し訳ないわ。でも、たくさんの犠牲者が出ているの。辛いのはあなただけではない。どうか、罪もなく亡くなった多くの方々と、その遺族の心痛も考えて、話してほしい。たとえ辛い内容だとしても」

その言葉が、江静の心を開いた。

「あの電話は、河南ビルの自爆テロについてでした。自爆テロを行ったのは…」

王恵妹は、自爆テロは確か、老婆が行ったのだなと思い出していた。

「私の母です」

林芳芳も王恵妹も、驚きの声を上げた。

「あなたのお母さんが、あの自爆テロを?」

江静は黙っている。

「アージン。辛いことかもしれないけど、話してくれる?」

しばらく逡巡した様子の江静が語りだした。

「河南ビルに仕掛けた爆弾が、公安に撤去されたことは、想定内でした。だから、私は、事前に指示していました。爆弾が撤去されたら、自爆テロを行うと」

別室にいる劉鋭も金橋も、モニターに映る江静を凝視していた。

「その時点では、自爆テロを誰にさせるかは指示していませんでした。撤去されなければ、その必要はないから。でも、撤去されたと報告が入った。そこで、誰に自爆テロをさせるかを決める必要があった。私が指名すれば、それで済む話だった。だけど、私はそこまでできなかった。自分に付いてきてくれた彼らの中の一人を、私の指示で自爆させるなんて、できなかった。そこで、私は指示した。手を挙げて、と。誰が自爆しに行くかを、自己推薦にさせた。すると…」

「お母様が手を挙げたのね?」と王恵妹。

「私は、まさか母が行くとは思っていなかった。母が手を挙げても、周りが反対するだろうと思っていた。事実、周りは反対した。尊師の母御が自爆に行くなんて、とんでもないと。でも、母は聞き入れなかった。自分が尊師の母だからと言って、特別扱いされるのを良しとしなかった。この儀式に命を捧げる覚悟は、みな一緒だ、と。さらに、母は、二百年以上、陽の目を見ることのなかったこの白蓮教会を、ついに表舞台に登場させ、儀式をここまで導いた尊師を育てた母として、誇りを持っている。もう自分に思い残すことはない。だから、若い人がわざわざ犠牲になる必要はない、自分が自爆するのが、教団の未来のためにも一番いい、と語ったそうです。まして、公安もまさか老婆が体に爆弾を巻きつけて、自爆テロをするとは思わないだろう。そういう点でも、この任務には自分が最適だと言い張った。困った周囲が私にそれを報告してきた。その時点で、母はもう教会にはおらず、現場に行っていた。母を止めなければ。一分一秒を争う緊急事態だったので、私は電話線に侵入して、現場にいる同士の携帯に電話を入れるよう指示を出しました。彼らは反対しました。それをしたら、公安に居場所を突き止められてしまう、と。でも、母をそのまま自爆させるわけにはいかなかった。それに…」

「それに?」王恵妹。

「たとえ私が母に話したところで、母の覚悟は覆らなかったと思う。でも、それでもいい、最後に一言、母と話したかった。母の声が聞きたかった。ありがとう、私をここまで育ててくれてありがとうと伝えたかった…」

極悪非道、情のかけらもない、秘密結社の尊師の顔を持つ江静が、一転して、普通の人間に見えた。自分が特定の信徒に自爆テロを命じることを躊躇する情と、母親を大切に思う心。江静の人間性は、この二つを失うところまでは堕ちていなかったのだ。そして、皮肉なことに、それがために、公安に居場所を突き止められる隙を作ってしまった。

「母親を思う娘の気持ちが仇となり、白蓮堂に潜んでいたことをさらけ出してしまったということか」と別室でモニタリングしている局長がつぶやいた。

「白蓮堂の地下室を爆破したのも、あなたの指示ね?」

「そうです」

「なぜ?」

「天安門の儀式はすでに手配済みだった。あとは、北京の同士がそれを成功させることを祈るだけだった。公安に侵入されて、地下室が見つかるのも時間の問題と判断した私は、すべてを破壊して証拠隠滅を図るとともに、その爆破の衝撃で、少しでも逃げる時間を稼ごうと思いました」

「あなたが捕まった時の所持品に、教祖と思える人物の像と、例のエンブレムを大きく印刷した旗があったわね。あれは、爆破させずに、持ち出したものね?」

「そうです。茅子元様の像を爆破させるわけにはいかない。エンブレムも、我々の象徴ですから」

「逃げると言っても、どこに逃げるつもりだったの?」と王恵妹。

「逃走ルートは事前に決めてあった。何度も下調べをしていたから」

「でも、あんな白装束の団体が山から出てきたら、誰が見ても怪しいわよ」と林芳芳。

「山から街道へ抜け出す直前に、袈裟を全部脱いで逃れるつもりでした。袈裟を埋めるための穴も事前に掘って、その上をゴザと落ち葉で隠していました。途中で袈裟を脱ぐと、それを手掛かりにされるから」

「地下から抜け出すときに、脱ぐことは考えなかったの?」

「もしも逃亡が夜までかかるようなら、防寒になると考えて、着たまま逃げ出しました」

「じゃ、その逃走ルートで街道へ出る前に、私たちに見つかったというわけね?」

「はい。ある同士は、二つのグループに分かれて、ひとつをわざと公安に見つからせて、私の入ったもうひとつを逃がそうというプランを立てました。でも、それを話し合って止まっているよりは、とにかく白蓮堂から少しでも遠く離れようと、全員で事前に調べたルートを走りました。ただ、事前ルートには、倒木があり、遠回りをせざるを得ませんでした」

「倒木?なぜかしら?ここ最近は台風が来たこともないのに」

「わかりません」

「地元の住民だろう。切り倒してから、持ち運ぶまでに時間がかかる場合、倒したままにしていることは多い」と隊長が別室でつぶやいた。だとしたら、図らずも、地元住民がこの白蓮教の逃亡を阻止したとも言えた。

いずれにしろ、江静がすべて自白したことで、起訴は問題なくなった。検察は当然、死刑を求刑するだろう。あとは、サーバーにある数々の証拠品を調べることと、残りの信徒たちに、江静が自白したことを伝えて、同じように自白させることが任務となる。

「今日はこれでいいわ。江静、何か言い残したことはない?」

すると、イヤホンに局長の声がした。

「ちょっと待て。最後にひとつだけ聞いてくれ。信者の名簿フォルダ以外に、もうひとつ開かないフォルダがある。その開け方を聞いてくれ。フォルダ名は、暗闇だ」

暗闇。果たして、なんのフォルダか。

「江静。サーバーに暗闇という名前のフォルダがあるわね。そこにもパスワードがかかっている。パスワードドを教えてくれる?」

すると江静は笑みを浮かべて黙り込んだ。見る者によっては、不敵な笑みにも見えるが、王恵妹の目には、なぜか悲しい笑みに見えた。

「また黙秘?もうここまで話してくれたじゃない。ねぇ、教えて」と林芳芳が懇願するように聞いた。

だが、江静は答えない。

「まぁいい。これもまた明日、聞こう」とイヤホンに局長の指示が入った。

「江静。名簿と暗闇の二つのフォルダのパスワードについては、また明日聞くわ。今日はこれで終わりにするけど、最後に何か、言い残したことは?」

すると、王恵妹を見て江静が言った。

「アーメイ、覚えてる?卒業式の日、私たち、あるアメリカ企業が提供していたインターネットのタイムカプセルサービスに、二人で思い出を保管したこと」

王恵妹は、突然何を言い出すのかと思いつつ、「もちろん」と答えた。

「五年、たったよね?」

「あ!」

そうだった。そのタイムカプセルは、五年、十年、十五年、二十年の中から、開封までの年数を自分で設定できた。二人は五年で設定したのだ。

「もう開封できる」

卒業して五年以上が経っていた。

「あの時ね、二人でパスワードを決めたじゃない?」

「うん」

江静はそこでまた、黙り込んだ。

「それが、暗闇フォルダを開けるパスワードなの?」

江静はそれには答えなかった。そして、にっこりと笑うと、林芳芳に向かって「私が言いたいことは以上です」と言った。

「まずはそれで試してみよう。もし違ったら、明日、パスワードを吐かせよう」とイヤホンに局長の指示が聞こえた。

林芳芳が刑務官に、江静を留置所に戻すよう指示した。

江静は立ち上がると、「あなたに会えるなんて思わなかったわ。アーメイ、また明日ね」と言い、次に林芳芳に向かって深々とお辞儀すると、監視カメラに向かっても同じくお辞儀した。

「自白して気持ちが楽になったか。急にお辞儀なんかし出して。ずいぶん丁寧になったもんだ」と局長がモニターを見ながら言った。

尋問を終えて局長室に戻ると、王恵妹はすぐに劉鋭に言った。北京に戻り、パスワードを調べたい、と。プライベートのパソコンに入っているから、北京の自宅に戻らないと、調べられない。

劉鋭も承知した。江静が自白した以上、もう九江市にとどまる必要はない。それに、早く北京に戻って、顔露の助けを借りて、フォルダの証拠品を検証したかった。

「今夜の最終便で帰ろう」と劉鋭が言った。王恵妹と金橋が頷いた。

「今すぐフライトをお調べします。九江空港から北京への直行便はもう間に合いませんが、南昌空港からなら間に合うでしょう。調べて、手配します」と隊長が言った。

「よろしくお願いします」

その結果、すぐに九江市を発ち、車で南昌空港へ向かった。南昌発北京行の最終便に間に合った。

王恵妹は飛行機の中で泥のように眠った。そんな王恵妹を見ながら、金橋と劉鋭は、「江静から自白を引き出すという大仕事を、すさまじいプレッシャーの中でやってのけたんだからな。疲れて当然だ」と温かく見守った。

三人を乗せた飛行機は夜の十時過ぎに北京首都国際空港に到着した。空港には公安の車が迎えに来ており、三人をそれぞれの場所へ送っていった。


その夜、江静は留置所内で首をつって自殺した。




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