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白蓮教 首都連続爆破事件  作者: 松本忠之
14/18

尋問

肝心なことになると、江静は黙秘権を行使した。

どこで爆弾を作ったのか。いつ、各ビルに仕掛けたのか。北京での実行犯は誰で、どこに拠点を置き、何人いるのか。つまり、教団の内部事情と今回の爆弾テロの詳細についての質問には、ひたすら黙秘した。

九江市公安局の取調官として任命されたのは、林芳芳という女性同局だった。同じ女性の方がいいと考えたのだろう。

取調室は二十畳以上の広さがあり、取調官が座る場所はステージのように少し高くなっている。つまり、容疑者を見下ろすような構造だ。容疑者側のスペースには、広々とした空間に背もたれの付いた木製の椅子が一つぽつんと置かれ、そこに容疑者が座らされる。両側には、留置所から容疑者を連れてきた刑務官が直立不動で控えており、隅には机と椅子がワンセット。書記官のためのものだ。取調官と容疑者の間は分厚いガラス板で仕切られており、会話はマイクとスピーカーを通して行われる。とはいっても、容疑者はマイクを手に持たされることを禁じられており、椅子に取り付けられた高性能マイクによって声が拾われるようになっている。取調官側には据え置き型マイクが置かれており、オンとオフのスイッチでマイクをミュートすることも可能だ。これにより、複数の取調官が容疑者を尋問する際、取調官同士の会話が容疑者に聞かれないようにできる。さらに、取調官はワイヤレスのイヤホンを耳に付ける。そこには、取調室をモニターで監視する別室からマイクを通して指示が下される。基本的には取調官が尋問を行うが、別室で監視している者(たいていは公安局の幹部である)が、質問事項を指示したり、もっとその話を深く掘り下げろ、証拠はまだ突き付けるな、もっと丁寧に尋問しろ、もっと激しく追い込め、もう尋問を終えろ、時間稼ぎをして尋問を長引かせろなどの指示を出せる構造になっている。

江静の尋問は、逮捕したその日の午後に行われた。公安局に戻るまでの護送車の中で、医師による健康診断が行われ、江静は疲労と多少のかすり傷はあるものの、健康状態に問題なしと判断された。

取調官は林芳芳ひとり。別室に九江市公安局長、特殊部隊の部隊長以下の幹部数名が控え、更にその模様を同時中継で北京に送り、人民大会堂の部屋で劉鋭、顔露、金橋、そして王恵妹が見ていた。白蓮教の教祖が大学時代の親友だったことで、ショックを受けて別室で休んでいた王恵妹は、「私も参加させてください」と言い張った。

林芳芳が尋問を開始してから、すでに三十分が経過していた。だが、肝心なところは黙秘のため、まだ日常会話程度の内容しか聞き出せていなかった。

「それでは尋問を開始します。私は取調官の林芳芳です。あなたの名前をフルネームで答えてください」

「江静です」と江静は小さな声で答えた。しかし、まっすぐに林芳芳を見据えていた。

林芳芳の第一印象は、若くてきれいな娘だな、というものだった。これが白蓮教という秘密結社の教祖で、北京で恐ろしい爆弾テロを行った首謀者か。

「生年月日は?」

「一九九九年七月四日です」

「本籍地は?」

一瞬、江静が答えに詰まった。

「寧夏回族自治区の銀川市です」

「民族は?」

「東郷族です」

「両親の名前は?」

再び、江静が答えに詰まる。

「父親の名前は知りません。母は江君海です」

人民大会堂では、金橋が「江静にはお父さんがいなかったのか?」と王恵妹に質問していた。

「はい。幼いころに離婚し、物心ついたときから、母子家庭だったそうです」と王恵妹が答えていた。

「母親は今も銀川市に住んでいるの?」と林芳芳は口調を崩した。共に若い女性同士。その方がいいと判断したのだろう。

「…」

江静は黙り込んだ。

「母親の現在の住まいは?」

「黙秘します」

今度ははっきりとそう言った。だが、その表情には悲しそうな影が漂っていた。

「何の容疑で逮捕されたか、わかっているわね?」

「はい」

「言ってみて」

「不法侵入罪と建造物等損壊罪、そして電波法違反です」

「なぜそう思うの?」

「逮捕された時に、そう告げられました」

「その他にも余罪があるわね?」

「…」

「あなたが犯した罪。それは、本当にその三つだけ?」

「…」

黙秘だ。

「いいわ。話したくないのね。でも、ひとつだけ忠告よ。あなたがいち早く罪を認めて、自白すれば、それだけ刑が軽くなる。逆にいつまでも認めずにいると、あなたにとって不利になるわ。もちろん、あなたが起訴されて、裁判になったらの話ね。でも、さっきの三つ以外にも、たくさんの罪があることは、あなたもよく承知のはずよ。それにも関わらず、むやみに黙秘を続ければ…」

「林芳芳。今日は初日だ。そこまで追い詰めなくていい」と局長の指示がイヤホン越しに林芳芳に届いた。林芳芳は江静にそれを悟られないように、「どうなるか。あなたはきっと聡明な人だから、わかるはずよ」

「…」

「今日は世間話で、彼女の人となりをはっきりさせてくれ」と再びイヤホン越しに指示が来た。

「ねぇ。銀川市について教えて。私はこの九江市の出身で、大学時代に上海にいたけど、卒業後してからすぐここに就職したから、他の都市はほとんど行ったことがないの」

急に態度を変えた林芳芳の意図を探るように、江静はじっと林芳芳を見つめていた。

「銀川市って…。西安市より、もっと北西よね?」

林芳芳は笑顔を見せながら聞いた。まるで友達のようだ。

「はい」

「すごく寒いんじゃない?だいぶ北のほうよね?」

「はい」

「私は雪をほとんど見たことがないの。銀川市の冬は、どれくらい雪が積もるの?」

なかば強引に林芳芳が話を振ったことで、江静は徐々に心を開き始めたようだった。

この日は、事件については触れずに、銀川市のこと、東郷族のことなどを話して終わった。しかし、幼き日の記憶や、家族の話になると、途端に口をつぐんでしまう。

「家庭環境に複雑な事情がありそうだな」と劉鋭が言った。


人民大会堂で事情聴取の様子をモニターで見ていた劉鋭、顔露、金橋、そして王恵妹の四人は、九江市公安局と話し合い、今後、毎日行われる江静への尋問を、北京からモニタリングすることで決まり、その日はテレビ電話を切った。追悼パレードは、大幅にその予定時間を過ぎたものの、無事に終わり、隊列が天安門広場に戻ってきた。出発時と同じように大歓声が上がった。人々が手にする小さな国旗が一斉に振られる。天安門が赤く染る様子を、金橋は他の三人とともに無言で見つめた。顔露がテレビをつけた。目の前の光景が生中継されており、レポーターが興奮気味に伝える。

「天安門には北京市民以外にも、全国各地、そして世界からも友人が駆けつけて、盛大に今日のパレードを祝いました。パレードは、円満に、大成功を収めました」

「大成功、か」と顔露がつぶやいた。

金橋は王恵妹を見た。いまだにショックから抜け切れていない様子だ。眼下に広がる壮大な景色にも、虚ろな目線を向けているだけだった。無理もない。金橋は声をかけた。

「なぁ。今夜、一緒に食事でもどうだ?」

王恵妹が振り向いた。

「今夜、ですか?」

「予定あるのか?」

「いえ。ないですけど…」と王恵妹は困惑した表情だ。

「気持ちはわかるよ。でも、明日以降も江静の尋問は続く。僕らも北京でモニタリングする。しっかり気分転換していかないと、また倒れちまうぞ」

そういって、金橋はそっと王恵妹の肩に手を乗せた。

王恵妹が少し考えてから、「そうですよね。わかりました」と答えた。

「何が食べたい?」

「何でもいいです」

「何でもいいが一番困るんだ」

すると、再び考え込んだ王恵妹が、「じゃ、日本料理」と答えた。

「私、あまり食べたことがないんです」

「いいよ。じゃ予約しておく」

そんな二人のやり取りを見た劉鋭が声をかけてきた。

「金橋先生。本日は、ひとまずこれで、お引き取りいただいて結構です。事件解決へのご協力、本当にありがとうございました。改めて、あなたがいなければ、この事件は解決できなかった。そして、今ごろ、この天安門は大惨事となり、世界にその醜態をさらすところだった」と手を差し出した。

「あなたは、我が国を救った英雄です」

あまりの過大評価に金橋は恐縮し、「とんでもない。英雄はあなたです。私はただ、ヒントを提示しただけです。あなたの指揮は、本当にすごかった。こんなに間近で見られて、とてもいい経験でした」と返した。

そして「まだ江静の尋問は続きますね」と言うと、劉鋭は「先生には、引き続き、北京からモニターで参加いただきます。白蓮教という組織について、まだまだ謎が多いので、宗教学の顧問という立場で、我々の捜査にご協力いただきたい」

「もちろんです。お役に立てるのなら、光栄です」と金橋は笑顔で答えた。

「明日以降の尋問の時間と場所については、彼女に伝えますので」と劉鋭は王恵妹に視線を向けてから、「体調は本当に大丈夫か?」と聞いた。

「はい。大丈夫です。それより、江静がどんなことを話すのか。私も知りたいです」と真剣なまなざしで劉鋭に訴えた。

「では、本日はこれで失礼します」と金橋と王恵妹が退室すると、劉鋭も一緒に部屋を出て、エレベーターまで見送ってくれた。

その夜、金橋は王恵妹と日本料理を食しながら、一切、事件の話はしなかった。明日以降、尋問は本格化するであろう。そうなれば、またどんなショックなことが江静の口から発せられるか、わかったものではない。だから、せめて今夜だけは、王恵妹を一旦この事件から遠ざけてあげたかった。無論、完全に遠ざかることなど、無理であると知りながら。そして、心のどこかで、純粋に王恵妹との再会と会話を楽しみたかった。あまりに濃密な一日でにわかに信じられないが、すべては今日一日に起こった出来事なのだ。すべては、湖北ビルの爆破を火事と勘違いして、大学の運動場に避難したところから始まっていた。まるで、世界中のありとあらゆる過激なジェットコースターをひとつにまとめて、それに無理やり乗せられたようだ。ジェットコースターは終わったが、余韻はまだ冷めない。いや、そんなすぐには冷めようがない。

四つのビルで爆破があったにも関わらず、北京の街はまるで何事もなかったかのように落ち着いていた。テレビ、ラジオ、インターネット、すべてのメディアはパレードの大成功を報じ、爆破事件については一切触れなかった。もちろん、市民の中にはSNSから情報を得ていたものもいたが、それでも街全体がパニックに陥るほどの影響力はなかった。市内には、いまだに多くの公安及び警察が出動して厳戒態勢を敷いていたが、それはパレード終了後の交通整備と治安維持に伴うものであった。

「すごいもんだな。アメリカの同時多発テロでは、あんな衝撃的な映像が世界中に配信されて、もうパニックなんてものじゃなかった。あの日のニューヨーク市もきっとすごい状態だっただろうな。それに比べて、爆破事件が一切報道されないと、街はこうも落ち着いていられるんだ」

事件については触れまいと思っていた金橋だったが、そんな実感にも似た思いを王恵妹に告げた。

「本当ですね。被害者の中には、ニューヨークのツインタワーに航空機が突っ込む、あの映像がトラウマになってしまった人もいる。報道するかしないか。もしくは、どのタイミングで報道するのか。すべてをいち早く公開することだけが正義であり自由だと思われてますけど、一概には言えないですね」

「疲れただろう?無理しなくていいんだ。帰りたかったら、いつでも言ってくれ。送っていくよ」

「疲れてないことはないです。でも、家に帰って一人になったら、それはそれで事件のことばかり考えてしまいそうで…」

「確かにそうだな」と金橋は言うと、王恵妹の家族の話や、休日の過ごし方などプライベートな話題を振っていった。

「ご両親は元気か?」

「はい。フフホトで元気にやっています」

フフホトとは、中国の内モンゴル自治区の省都で、王恵妹の出身地だ。漢字では「呼和浩特」と表記される。

「フフホトにはたまに帰っているのか?」

「はい。そんなに遠くないですから、年に二回は帰るようにしています」

北京からフフホトの距離は約五百キロ。日本で言えば東京から京都くらいの距離だ。

「でも、たまに帰省したって、両親の口から出るのは、いつも同じこと」

「なんだ?」

「いつ結婚するんだって」

王恵妹の本当に不満げな表情に、金橋は思わず声を上げて笑った。

「どうなんだ。結婚は」

「もちろん、将来的にはしたいですけど、今は彼氏もいませんし」と言った王恵妹がふいに、「先生は結婚しないんですか?」と聞いてきた。

「急に話題がこっちに来たな」

「だって、さっきから私の話ばかり」

「そうだったかな」

「どうなんですか?」と王恵妹がさらに追及してくる。

「まったく予定はないよ」

「彼女はいないんですか?」

「いない」

「どうして?」

「どうしてって言われてもな。モテないから仕方ないだろう」

「嘘。大学教授なんて、モテるに決まってる」と王恵妹が突っ込んできた。やっと彼女が、事件とはまったく関係のない話題で食いついてくれたなと、金橋は安心した。

「なぜそう思うんだ?」

「だって、安定しているし、社会的な印象もいい。給与だって悪くないでしょ?」

「おいおい。大学教授とは言ったって、所詮は雇われの身だぜ。収入なんか、たかが知れているよ」

「それでも、一般サラリーマンよりはいいはずよ」

「それに、おれはまだ助教授だからな。まだまだだ」

一呼吸置くと、また王恵妹の質問攻めが始まった。

「彼女いない歴は何年?」

「さぁな。もう忘れたよ」

「嘘」

「本当だ」

「私には言いたくないんですか?昔の教え子には」

「そんなことない」

「じゃいいじゃないですか」

少し考えてから、「もう五年以上になるかな」と答えた。

「その時の彼女さんとは、結婚を考えた?」

「考えたよ」

「それなのに、別れちゃったんですか?」

「そうだな。いろいろあるからな、男と女は」

すると、王恵妹は「ふーん」と意味ありげな顔を作り、上目使いで金橋を見つめた。恥ずかしくなった金橋は目線を逸らしながら、「遠慮せず、もっと食べろよ」と言った。

「先生」と王恵妹が改まって言う。

「なんだ?」

「男女経験豊富な先生に聞きますけど…」

金橋は思わず苦笑いして「豊富じゃないけど、なんだ?」と言った。

「昔の教え子と付き合うことは、ありえますか?」

あまりに唐突な質問で、金橋はうろたえた。

「な、なんだ?急に?」

「急にも何もないですよ。大学で長年教えていれば、教え子もどんどん増えるでしょう?そういう子とお付き合いする可能性はあるんですか?ってことです」

「質問の内容は理解しているよ」

「じゃ、答えてください」

王恵妹がじっとこちらを見る。真剣だが、お茶目でもある。かわいいなと金橋は心の底から思った。

「そりゃあるだろう」

「あるんですか?」

「現役の学生はあり得ないよ。でも、卒業生なら、あってもおかしくないだろう。実際、そういう教授もいる」

「抵抗はないんですか?」

「ないな。だって、卒業して、仕事をしていたら、一人前の成人女性だ。いつまでも自分の生徒だなんて思えないよ」

王恵妹は満足そうに「ふーん」と頷くと、「じゃ、遠慮なく、食べます」と目の前の料理に箸を付けた。

金橋は、どんな話題にせよ、王恵妹が少しでも元気になってくれてよかったと思った。


二日目以降も尋問は続いた。

金橋は大学に断り、毎日尋問に立ち会う手配をした。もっとも、公安から顧問という立場で依頼されたのだから、大学としても断る理由はない。

江静たちが北京の爆破事件を起こしたことは確実だが、その一味が北京市にいたわけではなく、江西省九江市にいたことにより、今すぐ北京の爆破事件で立件することはできなかった。よって、現在の罪状も、あくまで無人化していた白蓮堂を乗っ取ったことによる不法侵入罪と、白蓮堂の地下を爆破した建造物等損壊罪、そして電話会社の回線を勝手に利用した電波法違反の三つである。拘留期間は十五日。その後、さらに十五日の延長が可能だが、九江市公安局は当然、一日も早い立件と起訴を目指していた。そのために尋問は毎日行う。しかし、江静はあくまで沈黙を貫いた。取調べは林芳芳が常に担当し、時に、林芳芳以外にもう一人が加わったが、江静は事件に関係のないことには口を開くが、それ以外は口をつぐんだ。また、家族や生い立ちについては、いつも曖昧な返事に終始していた。尋問に立ち寄った誰もが、家庭環境に何かあると気が付いていたが、どれだけ林芳芳があの手この手で聞き出そうとしても、非常に聡明な江静は、まるでその心理を読み取るかのように、肝心な質問になると口を閉ざした。また、梅岩山で身柄を確保された他の九名も同じで、北京の事件に関しては一切、口を割らなかった。

「なんだかちょっと不気味です」

四日目の尋問を終えた林芳芳が局長に感想を語った。

「すごく頭がいいのだと思います。こちらの心理を見透かされているようです。世間話から、事件や家庭環境の話題に持っていこうとしても、その伏線部分を見抜かれて、はぐらかされてしまいます」

「仕方ない。明日は切り札を出すしかない」

「切り札とは?」

「北京の劉鋭指揮官にはもう伝えてある。明日は例の画像を使う」と局長は言った。

尋問五日目。

九江市公安局が用意した切り札とは、北京の爆破事件の現場に落ちていたエンブレムだった。

林芳芳が画像を江静に見せた時、小さな反応を見せた。

「このエンブレム、当然知っているわね?」

連日の尋問で、林芳芳の口調は、もはや敬語ではなく通常の話し言葉になっていた。

「…」

「これは、何を表しているの?」

「…」

「白蓮教というからには、この花模様は白蓮ね」

「…」

「どうして黒地なのかしら?デザインとしては、もっときれいな色があると思うけど」

「…」

「秘密結社だから、黒?」

「…」

「この真ん中の模様は何?」

「…」

「そもそも、これは誰がデザインしたのかしら?」

「…」

「あなた?」

「…」

「あなたなのね、デザインしたのは?」

「…」

「何も話さないのね?」

「…はい」

林芳芳は思わずため息をついた。そして、気持ちを改めるように深く深呼吸した。

「午前八時、湖北ビル。午前九時、陜西ビル。午前十時、四川ビル。いずれのビルでも、エンブレムが落ちていたわ。でも、河南ビルだけは違う。河南ビルでは、公安が事前に仕掛けられた爆弾を発見し、回収した。その際、このエンブレムはビルのどこにも落ちていなかった。おかしいわ。あなたたちは、爆弾による攻撃が自分たちであるという証として、必ずこのエンブレムを現場に残してきた。手がかりをつかまれるリスクを承知でね。実際、このエンブレムからあなたたちは尻尾をつかまれた。でも、その危険があるとわかっていながらも、このエンブレムは必ず犯行現場に置いてきた。でも、河南ビルでは置かなかった。なぜ?」

「…」

「私の推理はこうよ。置かなかったのではなく、置けなかった。河南ビルでは、公安が爆弾を発見後、あなたたちは自爆テロという手段を選んだ。自爆テロなんて、突発的にできるものではない。つまり、計画されていたのよ。たとえ、あなたたち教団の信徒がどれだけ勇敢で、いつでも自爆テロをも辞さない覚悟があったとしても、爆弾がなければ自爆テロなどできないし、爆弾を服の下に隠れるように装着するのも、そしてその爆弾をどう起爆させるのかも、突発的にやることは不可能なの。つまり、あの自爆テロは計画されていた。ということは、あなたたちは、河南ビルで公安が事前に爆弾を発見し、回収する可能性が大きいことを事前に予測していたのよ。だからこそ、その場合に備えて、自爆テロの準備も進めていた。エンブレムを事前に置かなかったのは、爆弾が回収されることを知っていたから。爆発が未遂に終わって、エンブレムだけが見つかるというのは、完璧主義者のあなたの美学に反する。だから、置かなかった。では、どうやってエンブレムを置く?自爆テロ犯が起爆する直前に置くしかない。それも、すぐ近くにエンブレムを置いたのでは、爆発の衝撃や火でエンブレムそのものが燃え尽きてしまう可能性がある。だから、自爆テロ犯はエンブレムを先にどこかに忍ばせて、そこから離れて起爆する必要があった。しかし、いまだにエンブレムは見つかっていない。つまり…」

一気にここまで話した林芳芳が江静をじっと見据えた。

「自爆テロ犯に、それだけの余裕がなかった」

「…」

「どうかしら?」

「…」

「私の推理は間違ってる?」

「…」

「やはり、自爆テロ犯に余裕がなかったんでしょう?」

江静の口元がピクリと動いた。林芳芳は、ここが勝負どきであると判断し、たたみかけた。

「でしょうね。私もそう思っていた。つまり、自爆テロを誰がやるかは、直前で決まったんじゃない?事前に準備していれば、これだけ用意周到に、きっちり一時間ごとに爆破を成功させたあなたたちよ。エンブレムを置いてから、自爆することはできたはず。でも、それができなかった。どう考えても、実行者が直前に決まり、そこまで気が回らなかったのよ」

「…」

「考えてみても、よくわかるわ。それだけ勇敢な人間だって、自分の体に巻きつけた爆弾を起爆させるなんて、とんでもない恐怖よ。それを冷静にこなせる人間なんて、まずいない。ましてや、起爆するより離れたところにエンブレムを残して爆破するなんてね。まして、現場では、自爆テロ犯を、公安が追いかけていたのよ。公安に追いかけられながらの自爆。余裕がなくて当たり前なのよ」

江静はうつむいたままだが、その手が震えているのを林芳芳は見逃さなかった。

「もうひとつ。あなたに言っておきたいことがある。自爆テロの実行犯は、老婆だったそうね」

「…」

「老婆が爆弾を自分の体に巻きつけて、隙を見てビルの敷地内に侵入した。公安に追いかけられると、なんと木に登ったそうよ。そして、木からビルの二階窓の格子に飛び移り、そこで起爆した」

「…」

「なぜ、老婆にそんなことをさせるの?」

「…」

「あなたにとっては、純粋な信仰心の表れなのかもしれない。でもね、我々からすると、異常よ。高齢者、しかも女性に、自爆テロを命じるなんて。あなたのやったことは、血も涙もない、高齢者を敬う気持ちもない、鬼畜生の行為よ!」

「違う!」

突然、江静が大声で否定した。林芳芳が一気に自白に持ち込もうと、勝負をかける。

「何が違うの?」

江静は林芳芳を睨みつけている。

「あなた以外に、老婆に自爆を命じられる人がいるの?いるわけないじゃない」

「違う!」

「だから、何が違うの?」

江静は激しく肩を上下させて、林芳芳を睨み続けている。

「老婆に自爆テロを命じる教祖なんて、最低よ!あなたには、老人を敬う道徳心もない!」

「違う!違う!違う違う違う!」

江静が激しく椅子を揺らした。しかし、両手を手錠で、両足を椅子に、それぞれ固定されているため、バランスを崩し、椅子から転げ落ちそうになった。

「林芳芳。今日はここまでだ。十分な成果だ」

そう指示があり、江静は退室させられた。

北京では、劉鋭一行がモニタリングしていた。誰もが、今まで全く口を割らなかった江静が取り乱した姿に驚きを隠せなかった。

「河南ビルの自爆テロの老婆に、何か鍵がありそうね」と顔露。

「あともう一息だな」と劉鋭。

「そういえば…」と顔露が何かを調べ始めた。

「やはり。九江市公安局が、梅岩山中の白蓮堂から、音声通信の電波をキャッチしたのは、河南ビル爆破の直前です」

「ここに事件の秘密があるりそうだ。なぜ、公安に見つかるリスクを冒してまで、そのタイミングで電話をかけたのか」と劉鋭。

「劉鋭指揮官が自ら尋問に臨んでみてはいかがでしょうか」と顔露。

「指揮権はあくまであちらにある」と言った劉鋭だったが、その夜、自分の執務室に戻ると、九江市公安局と打ち合わせをした。

「なかなか口を割りませんでしたが、今日は一定の成果がありました」と、疲れたような声で九江市の公安局長が言った。そのすぐ横には、特殊部隊の部隊長も控えていた。

「あなたはどう思いますか?今、江静は追い込まれています。あと一歩のところまで来たと思います。最後の最後、彼女に口を割らせるための突破口は、どこにあると思いますか?」

劉鋭は局長ではなく、部隊長に聞いてみた。局長は管理職であり、実務家ではない。だが、尋問は実務中の実務だ。林芳芳という取調官はよくやっている。しかし、彼女にも限界がある。いや、彼女がここまで江静の心を開かせたといってもいい。今日の尋問も含めて、林芳芳はずでに十分な功労者といえるだろう。ただし、この先、限られた時間内でテロの全容を供述させ、起訴まで持っていかなくてはならない。拘留期間の延長はできるだけ避けたい。とにかく、一日も早い事件解決を目指していた。

「江静が決まって口を開かない項目が二つあります。一つは事件そのもの。もう一つは、家庭環境です。私は、彼女の生い立ちに、今回の事件の強い動機がある気がします」と部隊長が答えた。ここまでは誰もが思っていることだ。

「口が重いということは、あまりいい家庭環境ではなかったのでしょう。それに、友人関係についても、口は開いているものの、曖昧模糊としています。つまり、彼女には親友がいない。周りには白蓮教の信者いるが、心の底からなんでも分かち合える、親友と呼べる人間がいないのではないでしょうか」

「なるほど。それはあるかもしれませんね」

「固く口を閉ざした犯人。その冷め切った心を開かせるのは、古今東西、二つの要素と決まっています」

「なんですか?」

「家族の愛情、もしくは親友の友情です」

面白いが、的確なことを言うな、と劉鋭は思った。

「彼女の口を開かせるには、強制でも誘導でもなく、その冷たい心を温めてあげることが必要かと」

「そのための、具体策はありますか?」

「劉鋭指揮官。具体策は、あなたがお持ちではないですか」

「私が?」

「はい。もうすでに五日間、親友に対する尋問を、北京でモニター越しに見つめ続けている人物が」

そういうことか、と劉鋭は思った。

「つまり、彼女に尋問をさせろ、と?」

「こちらに来ていただくことが可能であれば」

劉鋭は同じことを考えていた。しかし、顔露にも言ったように、捜査権はあくまで九江側にある。それを崩すためには、九江側から北京側に要請してくるのが好ましかった。もちろん、命令系統では北京が上であり、九江は地方なのだから、劉鋭が指示すれば動けないことはない。しかし、人心掌握や地方局の面子を保つことを重視する劉鋭は、あくまで、要請があったから協力する、という体裁が必要だった。

「王恵妹をそちらに連れて行くには、いくつか問題があります」と劉鋭はあくまで慎重な姿勢を崩さなかった。

「なんでしょう?」

「まずはそちらの局長の承諾です」

王恵妹の尋問を提案したのは、あくまで部隊長であって、局長ではない。劉鋭は、局長の面子を考えて、局長の許可なしには進められないという姿勢を見せた。

「構いませんが、こちらにも意地があります。あと二日。つまり、丸七日間は、九江市として尋問したい。それでも口を割れなかった場合は、北京からの応援を受け入れたい」

「わかりました。それから、北京側でもクリアすべき問題があります」

一つは王恵妹が北京市公安局の職員であること。江静の大学時代の親友であることは非常に大きなファクターだが、だからといって、国家公安部ではなく、市の局員が九江市まで出向いて尋問するには、部内の調整が必要だ。ただでさえ金橋と王恵妹は捜査人員として適切ではないという声があり、劉鋭がそれを押しのけて捜査に参加させているからだ。そしてもう一つは、王恵妹本人の合意だ。大学時代の親友を尋問することを快諾するのか。そもそも、尋問というような仕事自体、王恵妹には経験がないだろう。ましてや、尋問の対象が国家を揺るがしたテロリストであり、宗教団体のトップであり、親友なのだ。自信がないと怖気づくことは十分考えられた。

だが、劉鋭はあくまで、一つ目の懸念点だけを九江側に伝えた。

「では、九江側であと二日、尋問を継続しますので、その間に劉鋭指揮官には北京で調整していただき、口を割らなかった時には、そちらのお力をお借りするということで」と局長が合意した。

尋問六日目。

王恵妹は劉鋭から呼ばれたが、江静の尋問のモニター室ではなく、劉鋭の執務室だった。劉鋭の執務室に入るのは、これが初めてだった。

「失礼します」

緊張の面持ちで王恵妹は入室した。権力欲がなく、清廉潔白な劉鋭をそのまま表現したかのような、質素で、簡素な執務室だった。

「座ってくれ」と劉鋭が笑顔で席を勧めた。

「失礼します」と王恵妹は座った。

「市局での仕事はどうだい?」

劉鋭は自らお茶を入れながら聞いてきた。

「あの事件以来、なんだか局内でのみんなの目線が変わったみたいで、居心地が悪いです」

「どう変わったんだ?」

「なんだか、みんな、私を腫れ物に触るみたいに、距離を置いて接しているように感じます」

「そうか。君がそれだけ重要な役割を担っているということだ。やりがいがあるじゃないか?」

「そうですけど…」

「優秀な公安局員になりたいんです、と君は言っていた」

はい、と王恵妹は答えた。覚えている。人民大会堂で、ドローンによる攻撃を防いだ直後の会話だ。

「優秀な公安局員になるためには、知識や経験、体力も大事だが、何より大切なのは、プレッシャーの中で任務を遂行することだ」

「はい」

「何のプレッシャーもない中での任務なら、誰でもできる。しかし、プレッシャーがかかったなかで、任務を完遂できるかどうか。そこに、優秀かそうでないかの分かれ目がある」

「はい」

「腫れ物に触るような周囲の目線など、プレッシャーとも呼べない。まったく気にすることない」

「わかりました。ありがとうございます」

王恵妹は劉鋭に指摘してもらい、少し気分が晴れた。

「ところで、今日、君にここに来てもらった理由だが」

「はい」

「もしかしたら君に、プレッシャーのかかる重要な任務を任せることになるかもしれない」

まったく予想していなかった展開だ。何のことだろう。

「もちろん、これから私が言うことは、決定事項でもなければ命令でもない。その前にまず、君の意思を確認したいのだ」

「はい」

「君も毎日見ている通り、江静の尋問は間もなく一週間が経つ。現地の林芳芳という取調官は本当によくやってくれている。エンブレムで、やっと江静の沈黙の壁を破った」

「はい」

「しかし、その後、また黙秘に戻ってしまった。まるで、大人にも友達にも心を開かない少女のようだ」

王恵妹は頷いた。

「拘留期間は十五日。もちろん、延長は可能だが、九江市公安局も、延長なしに、立件と起訴に持ち込みたいと言っている」

「はい」

「そこで、昨夜、私と、先方の局長とで会議をした。その結果…」

劉鋭から告げられた任務を、王恵妹はとてもではないが受けられないと思った。

「私、尋問なんてやったことないです」

「わかっている」

「それに…」と少し間を置いてから、「江静を前に、それもあんな事件を起こした後に、あの取調室の中で江静と対面した時に、平静でいられるかどうか…」

「それもわかる」と劉鋭は言うと、「だから、強制でも命令でもないんだ」と優しく言った。

「私なんかで、本当に尋問になるのでしょうか?」

「それはわからない」と劉鋭はきっぱりと言い切った。

「しかし、有効な手立てのひとつであることは間違いない。何より、君は、江静の親友なんだ」

今すぐ、決断などできない。しかし、考えさせてほしいといって、通るものなのだろうか。

「国家の安全がかかっている」と劉鋭が言った。

「やつらの組織を徹底して調べ、二度とこのような恐ろしいテロを起こさせてはいけない。それが公安の使命と責任なんだ」

使命と責任。自分がそれに役立てるのだろうか。やはり自信がない。江静の尋問なんて、あまりに大きすぎる。断ろう。自分には無理だ。命令でも強制でもないと言っていたではないか。そうだ。断ろう。

しかし、次の瞬間、ある条件が付くならば、受けられるかもしれないと思った。それをここで話していいのかどうか。一瞬、迷いが生じたが、相手は劉鋭だ。なんでも話せる。思い切って話してみよう。

「指揮官。ひとつ、いいですか?」

「なんだ?」

「金橋先生も同行しますか?」

「九江にか?」

「はい」

「それは想定していなかった」

「金橋先生も同行するなら…できる気がします」

劉鋭はじっと王恵妹を見つめた。

「無理ですか…」

「いや。ただ、金橋先生を九江市まで連れていくのなら、上層部と九江市公安局には、事前許可が必要だろう。もちろん、ご本人の同意もだが」

「もし可能なら、同行してほしいんです」

「わかった。調整してみよう。もちろん、九江には私も行く」

「私は、現地で、一人で江静に尋問するんでしょうか?」

「いや。林芳芳と一緒だろう」

王恵妹の脳裏に、林芳芳と二人で取調室に座る姿が浮かんだ。

「答えは、今すぐでなくていい。今夜までに…」

「やります!」と王恵妹は答えていた。

「答えを焦る必要はない、と言おうとしたのだが」

「いえ。指揮官、やらせてください。私を九江に派遣してください」

にこっと笑って、劉鋭が言った。

「わかった。よく言ってくれた。金橋先生は顧問だ。同行はまず、問題ないだろう。では、確定次第、君に連絡する。それまでは絶対に他言しないように。もちろん、金橋先生にも」

「わかりました」

王恵妹は、緊張の面持ちで劉鋭の執務室を後にした。今すぐ金橋にこの件を伝えたかったが、確定するまでは伝えるべきではない。

それにしても、と王恵妹は思った。金橋が一緒に行ってくれるなら、引き受ける。これは完全に私情だ。そんなことを、劉鋭に条件のように付きつけてしまったことに、後悔を感じた。しかし、同時に、それを優しく、前向きに受け止めてくれた劉鋭に感謝した。やはり、尊敬できる指揮官だ。すごい人格者だ。このような人に、公安トップに立ってほしい。そのためにも、九江市での尋問は、絶対に頑張ろうと王恵妹は決意した。


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