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白蓮教 首都連続爆破事件  作者: 松本忠之
10/18

河南ビル

河南ビル周辺は、ビル内で爆弾が見つかったことで、緊張感が高まっていた。もっとも、それを知っているのは公安と地元警察だけで、一般市民は午前九時に隣の陜西ビルで起こった爆発に関心を寄せていた。

一人の老婆がふらふらと警察がテープで囲っている境界線まで歩いてきた。テープの外で止まると、河南ビルを見上げて立ちすくんでいた。

「おばあちゃん。危険だから、離れていてね」

警官が話しかけたが、老婆は軽く会釈しただけで、その場を離れようとはしなかった。

その時だった。別の場所で騒ぎが起こった。警官が振り向くと、何やら男が騒いでいる。警官は舌打ちをすると、「絶対に入らないでね」と再度、老婆に注意してから騒ぎの方へ向かっていった。

一人の男が、河南ビルを指差してわめいていた。

「仕事なんだよ」

「ここは立ち入り禁止だ」

「じゃおれのパソコンはどうなる?機密情報が入っているんだ」

「今は無理だ。禁止が解除されるまで待て」

「そんなこと言ってられるか。ビジネスは待ってくれない」

「駄目なものは駄目だ」

「じゃそれでうちうの会社が損失したら、警察はそれを保障してくれるのか?」

「そういう問題じゃない。隣の陜西ビルで爆発があったことは、お前もわかっているだろう?」

「ここは河南ビルだ。陜西ビルじゃない」

「ここだってまだ危険区域内なんだ。早く離れて」

警察が無理やり男を押し返そうとした。

「なんだよ!警察の権利を振りかざして、一般市民を強制的に排除する気か?」

面倒くさい男だと警官はうんざりした。応援の警官が続々と集まってきた。

「これ以上騒ぐと、公務執行妨害で逮捕するぞ」

さすがに、逮捕という言葉に男は臆したのか、一瞬静かになったが、ちらりと目線を動かし、何かを確認すると、また喚きだした。

男の目線の先には、先ほどの老婆が境界線のテープをくぐってビルに近づいているが見えた。警察はまだ気が付いていない。

「逮捕だって?自分のオフィスにあるパソコンを取りに来ただけで、なんで逮捕されなきゃいけないんだ!この国はおかしいぞ!」

男は警察の注意を引こうと必死だった。不意に携帯が鳴った。確認すると、市外局番からだった。これはもしや、尊師が潜伏している革命基地からの着信ではないかと思った。革命基地が直接自分に電話を?そんなリスクを冒すだろうか。だが、いずれにしろ、これだけ警官に囲まれた状態で出れるはずもない。男は逡巡した。

「おい。携帯が鳴っているじゃないか。早く出ろ」

警官は、着信によって男が静かになったことをいいことに、早くこの場を収めたいようだった。すると、一人の警官が叫んだ。

「あ!おばあちゃん!駄目だよ!ビルに入っちゃ!」

老婆はその声を聞くと、急に走り出した。ビルの正面入り口から公安が出てきた。すると老婆は方向を変えて、ビルの外側の敷地内にあった木に登りはじめた。その身のこなしはとても老婆とは思えないものであった。公安と警官が老婆を追いかけ、木の下から老婆に下りるように促すと、老婆は木の先端からジャンプし、ビルの二階の窓格子に飛び移った。あまりに奇抜で予想外な行為に、現場は混乱をきたした。

「何をしているんだ!危ないから、降りて来い!」

そう公安と警官が声を張り上げた、次の瞬間。老婆は「尊師と教団に栄光あれ!」と叫ぶと、服の内側に手を回し、スイッチを押した。すさまじい爆音と閃光、そして火柱が放たれ、老婆の姿は一瞬にして消え去り、公安と警察は吹き飛ばされた。その混乱に乗じて、喚いていた男は、その場を立ち去り、電話に出て、現場の状況を報告した。


「爆発発生。爆発発生。時刻は午前十一時、現場は河南ビル。繰り返す、午前十時、河南ビルで爆発発生。住所は北京市朝陽区潘家園華威里二八号。原因は一人の老婆による自爆テロと判明。詳細は追って連絡する。なお、公安局員は勝手な行動をせず、指揮官の命令に従うこと」

放送が終わるや否や、劉鋭が机を両こぶしで激しく叩いて立ち上がると、プロファイリングルームを出て叫んだ。

「李凱!李凱!」

李凱が姿を現した。劉鋭はいきなりその胸ぐらをつかむと、「なぜだ?」と問い詰めた。

「なぜ爆破を許した?」

李凱は顔をそむけて答えない。

「答えろ!なぜだ!」と劉鋭はさらに胸ぐらを絞める。李凱が苦しそうなうめき声を立てた。無理もない。鍛え上げられた劉鋭の腕力と握力で絞められたら、誰でもそうなる。慌てて男性職員が止めに入った。劉鋭が突き放すようにその手を離すと、李凱は床に尻もちをついた。

「答えろ。なぜ自爆テロを許した?警備はどうなっていた?」

それでも李凱は答えない。

「原因は何なんだ?」

「知らない」

「知らないとは何だ!」

「まだ調査中だ」

沈黙。しかし、先ほど劉鋭を制止した男性職員が遠慮がちに口を開いた。

「自爆テロの可能性は、現場には伝わっていません」

李凱が男性職員を睨んだ。余計な口出しをするなと言いたげだった。

劉鋭はその職員に向き直り、「どういうことだ?」と聞いた。

「ここから現場には、自爆テロの可能性に備える指示は出していません」

「なぜだ?」

「反対したからです」

「誰が?」

男性職員は、ちらりと李凱を見やった。

「貴様!」と劉鋭は床に尻をついたままの李凱に向かって蹴りを繰り出そうとして止めた。代わりに、「現場にいる隊員たちの命を、なんだと思っている!」と叫んだ。

「貴様はこの事件からもう降りろ」と劉鋭が低い声で伝えた。

「そんなこと、上が許すはずがない」

「黙れ。貴様を処分してやる。上が許すも許さないもない。お前は処罰を受ける」

劉鋭がここまで感情を露わにするのを見たことがなく、ITセンターの職員たちは一瞬、職務を忘れて、この光景に見入ってしまった。

「今すぐ被害の詳細を確認しろ」という劉鋭の指示で、我に返ったように全員が手を動かし始めた。

劉鋭はZG部隊の待機室へと向かった。指揮官の入室に、緊張感が高まった。

「聞いての通りだ」

劉鋭は切り出した。

「河南ビルでは、事前に仕掛けられた爆弾を撤去したにも関わらず、自爆テロを許した。我々は、午前八時、湖北ビル。午前九時、陜西ビル。午前十時、四川ビル。午前十一時、河南ビルと、一時間ごとに、四つのビルで爆破を許した。これ以上の失態は許されない」

そして一息置くと、「指示を出す」と言った。隊員が待ちに待った瞬間だった。

「次の爆破は、天安門だ」

事の大きさに、さすがのZG部隊員も固唾をのむ。

「だが、君たちには別の場所へ向かってもらう」

またしても意外な指示。陳剛は、劉鋭の真意が見えなかった。

劉鋭は、部隊を五つのチームに分け、そのうち四つのチームに行先を指示した。そして、残りのチームには陳剛をリーダーに定め、自分に従うよう指示を出した。

「五分後に駐車場にて出動準備を完成させろ」と指示した。

「是!(はい!)」と全員の揃った声がすると、後方のドアから続々と退室していった。

劉鋭はそれを見ながら、自分の甘さを思い知らされていた。李凱だ。なぜ、あの男を信じたのだ。悔いた。ただひたすら、悔いた。自分の良心を恨んだ。なぜこの期に及んで、あの男を信じようなどと思ったのか。良心は、極限では何の役にも立たない。役に立つのは理性だけだ。劉鋭はそれを強烈な体験として身で学ぶこととなった。どうか、死者だけは出ないでくれ。劉鋭はただただ、そう心の中で祈りながら、退室していくZG隊員を見守っていた。

すると、最後に退室しようとしていた一人の隊員が劉鋭の元に駆け寄ってきた。陳剛だった。

「副指揮官から降ろされてしまったな。君にはすまないことをした」と劉鋭は謝罪した。

「あなたの責任ではありません。誰が黒幕か、私にはわかっています」と陳剛は李凱とさらにその上にいる人物たちを暗示した。

「私は愚か者だ。李凱を信じ、奴に自爆テロに備えるよう指示を出せと命令し、自分で命令を出すことを怠った。その結果、私は見事に裏切られ、爆破を許した」

「悪いのは、あの男でしょう!この、国家の一大事の時に!」と陳剛は悔しそうに唇をかんだ。

「だが、天安門だけは、絶対に死守する」

「はい」

「先ほどの指示の通りだ。万全を期してくれ」

陳剛は「わかりました」と劉鋭に敬礼すると、駆け足で退室した。

ITセンターに戻ると、河南ビルの自爆テロの被害が報告されていた。一般市民は早々に避難していたため、犠牲者はいなかった。しかし、老婆を追いかけていた公安の二人が死亡、警官の一人が重傷とのことだった。劉鋭にとって、痛恨の殉教者だった。再びこみ上げる、後悔。李凱を信じた、自分への怒り。だが、今はそれらに囚われていてはいけない。劉鋭は気持ちを切り替えた。すると、ITセンターの壁に、これまでの爆破事件の犠牲者数が記された紙が貼りつけられていたのに気が付いた。

湖北ビル:死亡、十二名。重軽傷者、五十五名。

陜西ビル:死亡、二十八名、重軽傷者、百十五名。

四川ビル:死亡、三名。重軽傷者、十八名。

河南ビル:死亡、二名。重軽傷者、一名。

合計:死亡、四十五名。重軽傷者、百八九名。

湖北ビルと陜西ビルは、事件から時間が経過するにつれて、犠牲者数が増えていた。

「この紙を張り出したのは誰だ?」と劉鋭は穏やかな声でITセンター内に聞いた。だが、誰も反応しない。

「誰だ?いないのか?」劉鋭が再度聞くと、遠慮がちに一人の女性職員が手を挙げた。そして、「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。劉鋭から叱られると思っているらしい。

「なぜ謝る?」と劉鋭が聞くが、不安そうな顔をするだけで答えない。

「では質問を変える。どうして、この紙を作って張り出そうと考えたんだ?」

「それは…」女性職員は一瞬、口ごもると、「犠牲者のことを常に意識して、絶対に犯人を捕まえるんだという気持ちに、みんながなれればと思いまして」と意を決したように大きな声で答えた。

「そうだ!」と劉鋭は合いの手を打った。途中から、プロファイリングルームにいるメンバーもドアを開けてその様子を見ていた。

「よくやってくれた。さらに言えば、この数字の中の一人ひとりに、家族、友人、恋人、妻、夫、子供、いろいろな人間関係がある。我々は、それを忘れてはいけない。犠牲になった人たちのためにも、必ずや、犯人を見つけ出すんだ。いいな!」

「是!(はい)」と全員が声をそろえた。ITセンターの雰囲気が一変した。

その時、顔露が劉鋭を呼んだ。

「指揮官、江西省九江市公安局から入電です!」

劉鋭がテレビ電話に飛びついた。

「劉鋭指揮官、お疲れ様です」

「状況は?」

「電波を発見しました!つい先ほど、午前十一時の数分前に、白蓮堂から近くの携帯基地局に、音声通話の電波が発信されているのを確認しました!」

九江市の局長も興奮しているのが見て取れる。

「それだ!そこに白蓮教の信者が潜伏しているに違いない。そちらの特殊部隊はいつ白蓮堂に到着する?」

「あと三十分は必要かと…」

全員が会議室内の時計を見た。現在時刻、十一時二十分。

「とにかく急いでくれ。一分、いや、一秒でも早く現場に到着しろ。白蓮堂内に潜む者がいたら、有無を言わさず、不法侵入罪の容疑で現行犯逮捕しろ!」

「わかりました。あ、指揮官!」

「どうした?」

「ちょうど今、地元の通信会社から続報です。どうやら、白蓮堂に潜む連中は、インターネット通信にもアクセスしていたようです。IPアドレスは九江市内の別のところからアクセスしているように偽装されていました。その上、先ほど、通信会社が白蓮堂の電波調査を実施したところ、白蓮堂の周辺には妨害波が発信されており、こちらの調査が妨害されたとのことです」

「逮捕容疑に電波法違反も加えてしょっ引くんだ」

劉鋭は、白蓮教のアジトを突き詰めたと確信した。

「引き続き、状況報告をしてくれ。絶対に逃がしてはならない!」

「承知しました!」

テレビ電話が切れると、劉鋭は金橋、顔露、そして王恵妹に向かって言った。

「あなたたちは、私に付いてきてください。顔露、PCを常に通信可能な状態にしておいてくれ」

「わかりました」

「プロファイリングチームは引き続きここに残り、各地からの入電に備えるように。有力な情報があれば、私まで連絡してくれ」

「わかりました」

金橋、顔露、王恵妹が荷物をまとめて従う。公安部ビルを出ると、そこにはすでに、ZG部隊が乗った車両もスタンバイしていた。その先頭車両に一行は乗り込んだ。車はすぐに発車した。

金橋が聞いてきた。

「どちらへ」

劉鋭は答えた。

「天安門です」

「劉鋭指揮官、五分だけでも休まれたらいかがですか」

顔露が心配気に劉鋭に声をかけた。

「大丈夫だ。それより、ちょっと電話をかける」

劉鋭にとって、今はまだ、気を抜いていい状態ではない。しかし、この電話だけは、しなくてはならなかった。

二本の電話を終えると、顔露がどこへ電話していたのか、と言う顔をしていた。

「遺族のことを考えると、いても立ってもいられなくてな」

「遺族とは…?」との顔露の問いに、「河南ビルで殉死した隊員のだ」と劉鋭は答えた。

その言葉は後部に座っている金橋と王恵妹にも届いた。

「殉死した隊員の家族にお電話されていたんですね」と顔露。

「一人目の母親は号泣して、とても電話に出られる状態ではなかったよ。父親と話をしたが、とにかく取り乱していて会話にならない。無理もないな」

劉鋭はもう一人の公安の遺族にも電話をしたが、そちらは断られたと語った。ショックが大きすぎて、今は話したくないとのことだった。

「九江市からの報告はまだか?」と劉鋭が顔露に聞いた。

「まだです」

「通信会社の調査車両に気がついて、白蓮教の連中が逃げ出したか」

「確かに、電波調査をすれば、相手に気が付かれてしまうかもしれません」

「九江市の支局長自ら現場に向かっているのか?」

「いえ。支局長は局内に残り、特殊部隊の部隊長が現場の指揮を執るそうです」

顔露の回答はいつも明確でてきぱきしている。

「私は、教祖も白蓮堂に潜んでいると確信している。だとすれば、教祖確保は時間の問題だ」と劉鋭が断言した。

「あとは、天安門への攻撃をどう防ぐかだ」

ものの数分で車は天安門に到着したが、西側へまわり、人民大会堂の裏口に止まった。劉鋭を先頭に裏口から人民大会堂に入ると、エレベーターで三階へ上がった。エレベーターには陳剛のチームも乗り込んできた。エレベーター内で、劉鋭が金橋と王恵妹を陳剛に紹介した。「あなたが白蓮教だと見破った教授さんですね。そして、君がこの先生を連れてきたのか」と、がっしりした身体とは正反対の柔らかい笑顔で語った。一行は天安門広場が見渡せる部屋に入った。そこにはすでに椅子にテーブル、巨大スクリーン、水、果物などが準備されていた。入室する前に劉鋭が「準備は万端か?ご苦労」と入口に立つ警備員に話しかけていたので、事前に準備をさせたのであろう。

「なるほど。この高みから、天安門広場を監視するんですね」と金橋が聞いてきた。

「まぁそんなところです」

壁にかけられた時計は午前十一時三十分を少し過ぎていた。爆破まで三十分を切った。陳剛が開けた窓から全員が外を見た。そこには、息をのむほどの光景が広がっていた。天安門広場を埋め尽くした、人、人、人。その一人ひとりの手に赤い国旗が握られている。一説には百万人もの数を収容できると言われるだけあって、この巨大な広場を人が埋め尽くした光景は、それはそれは壮大であった。十一月だというのに、群衆の熱気でまるで真夏のような錯覚に陥る。同時に、ここにいる誰もが、こんなところで爆破が起こったらと背筋を冷たくした。

「九江市に連絡を取ってくれ」と劉鋭が顔露に指示を出した。

顔露は自分のノートパソコンにケーブルをつなぐと、すぐに巨大スクリーンに映像が映し出された。そして、テレビ電話の発信ボタンを押した。



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