表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/24

06 妖しい猫。




「にゃあん」


 イサークさんは、容赦なかった。叩き潰されて、ダメ出しを言い渡される。放り投げられることはなくなった帰り道、一匹の猫がついてきては鳴いた。

 さっき見かけた黒猫。尻尾が太く見える。毛がもふもふなのだろう。


「何?」


 黒猫から話しかけたので、私は応える。


「餌なんて持ってないよ」


 言いながら、頭に手を伸ばす。黒猫は拒むことなく、私に撫でられる。

 思えば、生きた動物に触るのは初めてだ。食べるための動物には触れていたけれどね。

 いや、アッズーロがいたか。奴も、もふもふだ。動物の分類に入れていい気もする。

 野良猫でもキューティクルが行き届いている毛並み。もふもふだ。

 気持ち良さそうに目を閉じる。耳を撫でるの、好きなんだ。

 私はしゃがんでなでなでしていたが、もう陽が傾いている。孤児院に帰らなくてはいけない。


「じゃあね」

「にゃー」

「……」


 歩き出すと呼び止めるように鳴いてはついてきた。

 見下ろして、見つめる。

 もう一度歩き出すと、音もない足取りでついてきた。


「……ついてきたいの?」

「にゃあ」

「……」

「みゃあ」


 私は無視して歩き出したが、黒猫はついてくる。

 走り出せば、走って追いかけてきた。

 結局、孤児院の前まで来てしまう。


「にゃあん」

「ふむ……どうしたものか。ダメ元で頼んでみるよ。おいで」

「にゃあー」


 門を開いて、黒猫を招く。私の言葉を理解しているみたいに、返事をしては中に入る黒猫。

 門をしっかり閉じてから、私は黒猫を持ち上げた。暴れない。本当に人馴れした黒猫だ。元飼い猫かな。


「ヴェルミ、おかえり……」


 待っていたのか、出迎えてくれたフランケン院長が玄関の扉を開く。

 目は私の抱えた黒猫に向けられる。


「ついてきちゃったんです。飼ってもいいですか?」

「……そうか」


 余裕がないのに飼っていいなんて言ってもらえるだろうか。

 膝をついたフランケン院長。それでも私より大きいので、見上げる形になるのは変わらない。

 じっと見つめるフランケン院長。黒猫は怯えた様子を見せず、ただゴロゴロと喉を鳴らして私の顔に頬擦りしてくる。


「そんなに懐いているなら仕方ない……だが、自分で世話をするんだぞ? ヴェルミ。食べ物をとってきてあげなさい」

「はい」

「にゃあん」

「先ずは一緒にお風呂に入ったらどうだ? 着替えを持っていってやろう」

「はい」

「にゃあん」


 黒猫を抱えてバスルームに行こうとしたけれど、その前の廊下にアッズーロが立っていた。

 人間の姿でショックを受けたような顔をしている。目と口をいっぱい開いていた。


「ガルルル!!」


 ボンと藍色の煙を撒き散らして獣人の姿に変身したアッズーロは、威嚇をする。

 受けて立つと言わんばかりに私が抱えた黒猫も「シャアアア!」と鳴いた。

 狼バーサス猫。


「やめろ、アッズーロ」


 アッズーロの頭をぐりっと押し退けて、バスルームに向かう。


「キュウン」

「!?」


 なんとも情けない声を後ろで出しているから、思わず振り返る。

 尻尾を足の間に垂れ下げているしょげた顔の獣人の子狼。


「情けない声を出すなよ」


 びっくりするじゃないか。


「ほら、行こう。アッズーロ」


 フランケン院長はアッズーロの背中を押して廊下を歩かせる。

 私は落ち着いた黒猫を抱えたままバスルームに入った。

 ワイシャツとズボンを脱ぎ捨てて、バスルームの中に黒猫を先に入れて下着も脱ぐ。シャワーの水をかけても、黒猫は嫌がる素振りを見せない。

 猫って水嫌いじゃなかったっけ。

 石鹸で黒猫の身体を洗ってあげて気付く。雄だ。

 じとっと黒猫の視線が、私の身体に向けられている。

 どこ見ているのだ、この黒猫。


「はい、おしまい」


 洗い終わったら、ブルブルと身体を振ったので、雫が飛ぶ。

 たまにスローモーションで見える時がある。雫が飛び散る光景を、吸血鬼の目で見た。

 脱衣場に出ると、フランケン院長が置いてくれたであろう寝間着のワンピースがある。寝間着はせめて女の子らしくしようと配慮してくれたが、不要な配慮だ。別に男物でも構わない。

 着替え終わったらその場に座り込んで、黒猫の身体をごしごしと拭いてやった。


「言っておくけど、もっと裕福な家の子になった方が懸命だよ。食べさせてあげられるのはせいぜいその辺の小鳥。ここに居ていいの?」

「んにゃあ」


 まるでにんまりと笑うような顔で、黒猫は鳴く。

 肯定だろうか。


「いんちょーの許しが出たから別にいいけど」


 だいたい乾かし終えたから、顎の下をコショコショとする。

 黒猫が気持ち良さそうに目を閉じた。


「わぁ! ねこぉ!」

「ねこだぁ!」


 フランケン院長から聞いたらしく、部屋に行けば子ども達がわっと集まる。

 こぞって撫でようと手を伸ばそうとしたが、流石に多すぎて驚いたのか黒猫は「シャアアア!」と声を上げた。ベシッと触れてきた手を振り払う。

 子ども達は、手を引っ込めてしょげた表情をする。さっきのアッズーロみたいだ。

 抱えている黒猫は、ただ私にスリスリと頬擦りをしてくる。

 ゴロゴロ、黒猫の喉の音が響く中、集まった子ども達は解散した。

 順番に撫でればいいんじゃない?

 思ったけど、夕食の時間だとフランケン院長が呼びにきたので言いそびれた。

 私だけは血を飲み、他の皆はアッズーロが狩ってきたというリスを食べる。黒猫も、今日はそれを与えてもらった。明日は私も狩りに行かなくちゃ。

 イサークさんに鍛えてもらってから、狩りに行く。頭の中で予定を立てて、血を飲み干した。

 満腹。そういえば、空腹を感じたことがない。喉の渇きもないな。

 夜に一回、血を飲むだけで、満たされている。


「猫の名前は決めたのか?」


 フランケン院長が私に問う。


「ねこ、ヴェルミにしかさわらせてくれないの」

「そう、アッズーロみたい」


 ノームの双子、リルとリロが言った。

 アッズーロみたい?

 どういう意味わからず、私は首を傾げる。


「順番に触らせてもらえば?」

「ええーこわい」


 女の子達はアッズーロに目を向けて、嫌そうな顔をした。

 フランケン院長の顔よりは怖くないだろう。

 話題に上がっているアッズーロは、黒猫を睨んでいた。


「名前、ねぇ……」


 口の中に染み付いた血を、舌で舐めながら考えてみる。


「……ヴェルミがつけてあげなさい」


 大きすぎる手を、頭に置かれた。

 名前かぁ。

 ベッドに入っても、黒猫は私から離れなかった。

 自分以外の温もりを感じていることに戸惑いつつ、私は目を閉じる。

 静まり返る暗い部屋。窓から差し込む月明かりだけが灯り。

 暫くして、黒猫は音もなくベッドを抜け出す。

 月明かりも届かない影の中に溶け込むと、男の姿となった。

 男は、ベッドを覗き込む。瞼を閉じた私に、手を伸ばす。

 それが触れる前に、私は手を掴んだ。

 吸血鬼の目で、暗くても男が笑みを浮かべていたのが見えた。

 ベッドの後ろにある窓を影で開いて、私はそこに向かって投げる。

 想像以上に軽い。男は器用なことに窓をくぐって外に出た。

 私も起き上がって追いかける。


「誰」


 私は鋭い声を放つ。


「にゃあん」

「!」


 よく見たら、その若い男の頭の上には耳があった。

 そして太い尻尾を左右にゆっくりと揺らす。


名前にゃまえはまだもらってないけれど、誰とは酷いにゃー」

「……私が拾ってきた黒猫?」

「そうそう」


 黒い猫耳に太い尻尾。黒猫のもの。

 男も肯定して、コクンコクンと頷く。

 獣人にはそんな変身能力があるとは聞いていないし、これは。


「化け猫?」

「そう、せーかい!」


 化け猫の類。


「そっか。化け猫なら、どっか行きなさい。うち余裕ないから」

「冷たっ!?」


 さらっと決定を下して、窓から戻ろうとした。

 でも猫の手で、しっかりワンピースの裾を掴まれてしまう。


「にゃんで化け猫だって知るにゃり掌返すの? オレを飼ってくれるんじゃにゃいの?」

「化け猫をペットにするとは言ってない。騙されたみたいでなんか嫌」

「ごぉめぇんー!」


 放せ。寝間着のワンピースが破ける。


「お願い、ヴェルミのそばに置いて!」

「なんで私」

「だって、ヴェルミが……」

「とにかく放せ」


 破ける前にワンピースを放してもらった私は、猫のようにお座りした男の肩に手を置いて見つめた。


「出てけ」


 暗示を使ったのだけれど、男は目を閉じてしまう。

 このヤロー。

 むかついたので、頭を軽く殴ってやった。


「なんで私なの?」

「それはヴェルミがオレと同じことを願っていたから」

「は?」


 暗示を使って追い出すことは諦めて、理由を訊く。

 するとにんまりと口を吊り上げて、笑う化け猫。


「冒険者イサークにちょっかい出そうとしたら、君が来た。今日の話は聞いたよ。オレもね、求めていたんだよ。心繋がる誰か」


 私は口を閉ざす。

 イサークさんに明かした私の願い。

 密かな渇望を聞かれていた。


「まさか子どもがそんにゃこと言うなんて、びっくりしたけれど、にゃんか運命的にゃものを感じた。だから、ね? オレをそばに置いて」

「……」


 頭にきた私は左腕を振り上げると同時に、影を伸ばして化け猫に攻撃を仕掛ける。

 化け猫の男は、軽やかに後ろに飛び退いた。


「で? 私がお前をそばに置く理由がないんだけど」

「えー。みにゃまで言わにゃきゃわからにゃい?」

「にゃーにゃーうるさいなぁ」

「猫だから」


 影を伸ばして、化け猫に攻撃を続ける。

 化け猫もひょいひょいと避けた。


「オレと心繋がる関係ににゃろうよ」

「……で? 死ぬ覚悟は出来た?」

「にゃんでそーにゃるかにゃー」


 地雷を踏まれて、私は本気で捕まえようと影を駆使する。

 化け猫は大きく飛び退いて、そして黒猫の姿に変身すると、影の中に落ちた。


「! ……ん」


 影に引き摺り込まれたわけではない。自ら飛び込んだように見えた。

 私は戻ってきた影を見つめたあと、素足で踏み付ける。


「おい、出てこい。化け猫」

「ヴェルミは心繋がる誰かが欲しいくせに、心を閉ざしているにゃ」

「っ。うるさい、化け猫。出てこいっ」

「そんにゃんで心繋がる相手が見つかると思う?」


 化け猫の男は、背後に現れた。

 胸の中を掻き乱す言葉に、怒りを込めて腕を振るう。

 しかし、煙のように化け猫の男が消える。

 また背後を取られた。今度は私を包み込むように腕を回す。


長生にゃがいきしてきたオレが教えて、あ・げ・る。心を繋げる方法」


 化け猫の頭を掴んで、前に放り投げる。

 軽い男と吸血鬼の腕力で容易く投げられたが、地面に背をつけることなく着地した黒猫は、余裕綽々で前足を舐めた。


「孤独を埋め合おう」

「傷の舐め合いがしたいなら、よそに行け」

「オレは君に決めた。君は?」


 吸血鬼の脚力で間合いを詰めて、殴ろうとしたが、黒猫の姿のまま動かない。黒猫の姿では、殴れないではないか。

 私は仕方なく拳を下げた。


「はぁ……バカバカしい」


 窓のところまで歩いていき、窓辺に手をつく。


「ヴェルミ? ちょっと、ヴェルミ! 無視!? ヴェルミ!!」

「うるさい。子ども達が起きるだろうが」

「ヴェルミ、ヴェルミ、ヴェルミ」


 窓辺に腰を落として、静かにするように言う。

 すると黒猫はまた男の姿になって、歌うように私の名前を呼んだ。


「うるさいってば」

「オレには呼ばれる名前がにゃいんだよ」

「……」

「でも呼ぶ名前を見付けた」


 黒い猫耳の男を見下ろして、私は思い返す。

 本物の絆を欲しがっていた。

 心繋がる誰かを探してした。

 その誰かの名前をずっと知りたがっていた人生だった。

 猫は私を選んだ。心繋がる相手として。

 嬉しそうに、にんまりと笑っている。

 チェシャ猫みたいだと思った。不思議の国に迷い込んだ少女に、不敵な笑みを見せ続けるあの猫。奇しくも、黒と灰色のボーダーを着ている。


「チェシャ」

「え?」

「お前の名前、チェシャ」


 ぱぁっと目を輝かせたように見えた。月光で金色こんじきに輝く。


「オレはチェシャ、チェシャ、チェシャ!」

「うるさいって。寝る」

「化け猫の男じゃん」

「猫の姿で寝るから添い寝してー」


 子ども達が起きてしまうので、もう許してやることにした。

 砂がついた足の裏を払って、ベッドに戻る。

 また感じる自分以外の温もりに違和感を覚えながら、眠りに落ちた。



 

20181117

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ