22 喧騒。
「ヴェルミ!!!」
それはヴェルミの影の中から、現れた。
「ヴェルミは昨日血を飲んでいにゃいから自己回復が遅い! 槍は抜くにゃ!! 先ずは血を与えろ!! ミーニとリーノは傷が開かにゃいように押えろ!!」
チェシャと名付けられた化け猫は、そう指示を飛ばす。
「えっ、誰っ」
「いいから指示に従え!!」
チャシャの登場に戸惑うミーニとリーノに、ナータは珍しく声を上げた。
「ヴィオ!! てめぇは責任持って、トカゲ野郎どもを押さえておけ!!」
チャシャはヴェルミに駆け寄ろうとしたヴィオに怒号を放つ。
チェシャの目は、まるで親の仇を見るようなものだった。
ヴィオは大いに混乱し、そして恐怖する。しかし、恐怖はチェシャに対してではなかった。
横たわるヴェルミ。小さな身体の真ん中を貫いた槍。口から零れ落ちた紅い痕跡。
失うという恐怖が背筋を駆けて、鳥肌が立つ。
湧き上がるその恐怖を、怒りに変えた。力強く大剣の柄を握る。
「アトランっ!!!」
恐怖を、怒りに変えて、放つ。
「オレが相手だっ!!!」
牙を剥き出しにして、叫んだ。
ヴェルミの帽子を脱がせて、労わるように頭を支えるチャシャは、笑いかけた。
「大丈夫だ、ヴェルミ。すぐ治る。大丈夫だ」
ヴェルミの虚ろな紅い瞳を優しく見下ろす。
「大丈夫だ、オレがついてる」
小さな左手を握り締めて言い聞かせた。
「目、閉じるにゃよ。今血を飲ませるからさ」
ヴェルミの目は、ゆっくりと瞼を閉じては開く。
チャシャはそれを微笑んで見下ろした。
「こんなところで死にゃせない。まだ死ぬには早すぎるぜ」
ヴェルミの目が、ゆっくりと瞼を閉じる。
チェシャは頭を揺すったが、目を開けない。
「っ! ヴェルミ! おい、何モタモタしてる!?」
ギロリと睨んで急かす相手はナータ。
ナータは短剣を振りかざして、自分の左手に突き刺した。
「オレの血を」
「飲ませろ!」
血が溢れるその左手から短剣を抜くと、ヴェルミの口に当てる。
しかし、反応はない。
すぐにナータはヴェルミの顎を摘み、口を開かせた。
それでも口の中に垂れ落ちる血に、反応しない。小さな口の中から、血が溢れ出すだけ。
「ヴェルミ、飲み込んで、飲み込むんだ」
チェシャが頭を撫でて促すも、ヴェルミは飲まなかった。
そこで、ヴィオの大剣を潜り抜けて、リザードマンが一人迫る。
「皆殺しだ!!」
「っ!!」
鋭利に光る斧が、ヴェルミの身体を支えるリーノの背後を襲う。
リーノが携えた剣を抜こうとする前に、間に割り込んだ者がいた。
リーノの肩を踏み台にして飛び、リザードマンの顎に回し蹴りを決めたのは、アッズーロだ。
「ガウアアアッ!!!」
幼くとも狼の怒り狂った咆哮が放たれる。
毛も、尻尾も、逆立てたその姿は、いつもより大きく見えた。
「すまないっ!! アッズーロ!」
ヴィオは振り返らず、リザードマンを叩き潰しては吹き飛ばす。
「オレも加勢っ」
「動くなリーノ! 傷口が開く!」
「!」
ヴィオとアッズーロだけでは不十分だと思い、リーノが加勢を言い出そうとしたが、チェシャがピシャリと言って止めた。
立ち塞がるアッズーロに目をやるも、彼には何も言わない。
「ゴホッ!」
ヴェルミが血にむせぶ。
「ヴェルミ、飲むんだっ!」
「ゴフッ!」
「ヴェルミっ! ナータ押えろ! 飲ませるんだ!」
チェシャが顔を押さえ、ナータが左手で口を塞ぐ。
「動いて傷が開く!」
息をしようともがくヴェルミを押さえるミーニが焦る。
「血を飲んだら、槍を抜け! 傷口も塞がるまで押さえるんだ!」
チェシャは、もう一度、ヴェルミに言い聞かせる。
「ヴェルミ、飲め」
白銀の髪を撫でて囁いた。
「まだ生きたいはずだろう?」
なぁ、ヴェルミ。
◇◆◆◆◇
どこか虚しい人生だった。家族もいる、友だちもいた。でも何故か孤独が付きまとう。寂しさも感じる人生だったのだ。
家にいるのに「帰りたい」と感じる。
どこかに帰る場所があるような気がした。
友だちに囲まれていても「独りだ」と感じる。
どこかに心から繋がる誰かがいるようなそんな気がした。
だから、求めていた。強く欲していた。
本物の絆が欲しい。
心繋がる誰かが欲しい。
そう思い続けた人生だった。
結局、その誰かは見付けられなかった。
私は独りきりだ。
沈む。
沈む。
沈む。
ブクブクブク。
水音が聞こえる。
だから私は水の中に沈んでいるのだろう。
沈む。
沈む。
沈む。
ブクブクブク。
きっと私は死んだのだと思った。
沈む。
沈む。
沈む。
ブクブクブクーーーー。
「ーーーー」
ああ、違う。
「ーーーー!」
私は、まだ。
「ーーヴェルミ!」
死んでいない。
息を吸い込もうとしたが口一杯に水があって、むせぶ。
違う。水ではない。これは血か。
それを飲まなくてはいけない。頭ではわかった。
でもどうやって飲むべきかわからなかった。
水の中に沈んでしまったように、思い通りに身体を動かせない。
「ヴェルミ」
落ち着け。
「飲め」
そう、飲むんだ。
喉を動かし、口の中に入られたそれを飲み込む。
それだけでいいはずだ。
「まだ生きていたいはずだろう?」
当然じゃないか。
まだ五年だ。まだ五年しか今世を生きていない。
「なぁ、ヴェルミ」
それにまだ。
まだーーーー“ヴェルミ”でいたい。
「ーーーーゴクン」
飲み込むと熱を感じた。生温かい血の感触が喉に残る。
口を押さえ込む手も感じた。
微かに視界が開くがぼやけている。
耳に届くのは、喧騒。
チェシャの声。それに吠えているのは、アッズーロか。
ミーニが大声を出して、次にリーノ。
身体が大きく揺れると、痛みを覚えた。
身体の真ん中に、痛みが集中している。
ナータが何かを言っているけれど、聞き取れない。
ヴィオは、どこだろう。近くにいない。
口を覆う手を退かそうともがくも、そう簡単にはいかなかった。
仕方なく受け入れれば、血が流れ込む。
ゴクリ、ゴクリ、と喉を動かして飲んだ。
だんだん意識がはっきりしてくる。
開いた瞳に映ったのは、美しいスカイブルーの空だった。
そういえば、私はーーーー最後にいつ孤独を感じただろうか。
20181221




