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日常の恐怖。

 あの日は確かに、嫌な予感があった。


 しかし、それはあまりにも漠然ばくぜんとしていて、講じておくべき対策など考えようも無かった。

 それほどに漠然としていながら、じんわりみ込んでくるような嫌な予感がその日にはあったのだ。が、私には日常を順調に送るべく使命があった。ゆっくり考える時間は取れない。


 例えば洗濯。

 例え掃除。

 例えば「あなた行ってらっしゃい」と、夫の出勤を見送ること。

 例えば食洗機回し。

 例えばペットの世話。

 例えばワイドショーチェック。

 例えば近所のおばさんの話に付き合うという町内会のおきて遵守じゅんしゅすること。

 例えば・・・しつこかったか。


 私はそうして日々の任務をそれなりにこなしていた・・・はずだった。


 しかし、この日は違っていた。

 特にめられもせず、後ろ指も指されずに進んでいたハズの任務中、心のどこかにジンワリと陣地を拡大していく「不安」。


 何故だ?


 答えは午後、明らかとなった。単身、足早に向かったスーパーの入り口。そこで事件は起きたのだ。


「あら〜! お久しぶりぃ〜!! お元気だったぁ?」


 スーパーから出てきたばかりらしい中年の女性から声を掛けられた。見知らぬ女性であった。少なくとも私の知人に、このような極彩色ごくさいしょくを好む女性は少ない。

 まして、スーパーの買い物ごときに、腕輪・首輪・耳輪・・・ついでに鼻輪もどうですか? と言いたくなるほどジャラジャラと、金属をつける習性をもつ女性は皆無かいむだ。

 更に、彼女はスカートというのに素足に独特の靴下をはいている。足元だけのゴスロリ。この辺りまでの観察で、充分自分とはえんの無い人物と判断できる。

 やんわりとかわしてスーパーに入ろう。この女性はもう帰るのだろうし。


 しかし中年女性は食いついて離れない。


「やだぁ〜、あなたのお家でよく会ったじゃない? もう何年も経っちゃったから忘れちゃっても仕方ないけど・・・」


 中年足元ゴスロリ女性は、かる〜く哀愁あいしゅうただよわせた。待て、それは客観的に、私が冷酷なカンジに見えちゃうじゃないですかっ。

 というか、この人、母繋ははつながりの知り合いだったのだろうか? だとしたら面倒だ。確かにこの女性、私より年上だ。面倒見の良い母は茶飲み友達が多かったし来客も多かったから、その中にいたのかもしれない。仕方ない、


「ああ、そう・・・でした? すみません(笑)」


 一応無難な返答はしたがやっかいだ。私は母とは真逆の、他人に(いや、オバサマ方に)無関心人種であり、来客があっても数人一塊を『人々がいる』という認識をして済ませてきた。顔を合わせた事があったとしても覚えているはずはない。


 バカバカバカバカ、私のバカ!


 お買い得チラシに引き寄せられ、実家近くのスーパーに来ちゃったおかげで、苦手分野に出会ってしまったじゃないか。

 これから、買い物という軽いミッションに向かおうとしている矢先に、『オトク』に引き寄せられ、思わずラスボスに出会っちゃったよ。というカンジだ。



 終わった。



「あらぁ、でも、お元気そうで良かったワ。お母さん、ご心配なさってたから」

「そう・・・でしたか。(何を心配してたんだろう?)」


「ご結婚なさったの?」

「はい、もう十年になります(結婚式にはお呼びしてない方なのか・・・誰?)」


「そうなのぉ〜。まぁ、それじゃベテラン主婦ねぇ」

「いえ、全然・・・」


 ソツなく返事を続けるにも、そろそろ限界だぞ。コアな話題に突入したら「実はあなたの事しりませんでしたぁ」という、恥ずかしい事を露呈ろていしかねない。母にも迷惑だろう。それより・・・。


 それより、このスーパーの入り口。店内の放送が届きにくい距離のこの場所。

 バッタリ出会って立ち話をする女性も多いが、ベンチに腰かけながら、目の前のバス停に立ちながら、いや立ち話をしながらでも、他人の会話を刻銘こくめいに聞き取っている人間は多い。

 下手な行動に出て、このド派手な女性に恥をかかせては、今夜の夕食時辺りから、光○レッツをしのぐ早さでもって、人から人へ伝達されるだろう。

 しかも、このド派手で、足元ゴスロリで、髪は昔の「ボヘミア〜ン」なカンジで、メイクはグラデーション無しのマッドなブルー、口紅はこれもマッドなオレンジのオバサンは、存在だけでも、すでにプロローグは充分作りあげている。

 何とかせねば。


「それにしてもねぇ。今どき同居してくれるお婿むこさんなんて、ありがたい事よねぇ」


「ええ・・・」


 同居? お婿さん? 誰のこと?

 私は確か、親と同居はしていませんよ。確実に婿取りではありませんし。


 その女性はマジマジを私を見つめる。

 間違いない。全く見ず知らずの女性だ。

 今の話題で、彼女も明らかに人違いとさとったのであろうか? いや、私はまだ言葉にしていない。適当に合わせている。それでも女性はますます私を食い入るように見つめる。ちょっとヤメテくださいな気分なんですけど。

 もしかして、その視線は私に助けを求めているという事だろうか。『無難ぶなんなエンディングにご協力お願いします』のサインなのか。

 それならそれで、協力はしみませんよ。だって、年上の女性に恥をかかせるのは、やっぱり失礼ですし。


「よくこちらのスーパーにいらっしゃるんですか?」


 今度はこちらから無難な質問を繰り出してみた。どうぞ適当に完結してください。


 ・・・しかし、まだその女性はマジマジと私を見たままだ。大丈夫か?

 それとも話題に戸惑っているのか?


「私は、こちらにはあまり来ないので、おススメとかあったら教えてくださいね(ニコッ)」


 まだ、女性は無言でマジマジを続けている。マジマジマジマジ、マジマジマジマジ・・・。


「・・・」


「・・・」


「・・・」


 そして唐突に女性は叫んだ。



「あらぁ〜! 私! 人違いしちゃったよ! あっはははは・・・」


 彼女はそのままクルリと背を向けると、立ち尽くす私を置き去りにしたまま、スタスタとその場を去ってしまった。


 ダメージが・・・大き過ぎる。




「今日は帰ろう」

『一話完結』どころか、『一話で放置』にならなければ良いのですが・・・。

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