問題提起
闇の中、誰かが佇んでいる。彼と私以外に誰もいない空間。嫌な空気が漂っていることをヒシヒシと感じる。彼はこちらに少しずつ歩み始めた。直感的に逃げなければと、なぜか思った。しかし体は金縛りにあったかのように動かない。
ゆっくりと近づいてくる。
振動は体全体へと伝わってくる。
ドン ドン ドン…
何か心に重くのしかかってくるような音だ。そして次の瞬間、彼は突然歩みを早め、私の両肩をつかんだ。顔は黒くぼんやりとしている。何か言おうとしても声は出ない。
「なんで生きる?」
彼は静かに問いかけて来た。
わからない、今の私にはわからなかった。自分がなぜ生きているのか、改めて考えても分からず、ただただ震えた。怖かった。自分の存在意義が見出せなかった。そして視界がシャットアウトしていく。
(待って、まだ答えがわからないんだ)
私は声にならない叫びを彼にぶつけた。だけどそれは何も意味のないことだった。意識が遠のいていく。
「ハッ!!!」
私は目が覚めた。隣をみると柚月が気持ちよさそうに寝息を立てている。
これはつまり、私は現実の、現代の私に引き戻されていなかった。
それはきっとさっき見た夢と関係していているのではないかと思った。それが私の自意識の中に働き、この状況に置かれている。
とりあえず、そういう風に解釈することとした。
そのあと、しばらくして柚月が起きて一緒にラジオ体操に出て、昼間は秘密基地で遊んだ。私の自意識から投げかけられた問いにも答えを出さなければいけないと思ったが、とりあえずまだ時間はある。そういう風に、都合よく考え、虫相撲に熱中した。昨日採取したカブトムシ、ヒラタクワガタはかなり強く勝ち星もかなり取れた。そしてそんなこんなで日は暮れて、夜になった。
夕食を食べ終え、私は昨日の礼を皓のとこに言いに行こうと思い彼の部屋へと赴いた。ノックをすると、どうぞーと言われたので中に入った。彼は本を読んでいるところであった。。
「皓兄、昨日は改めてありがとう。とってもたのしかったし、とった虫は強かったよ」
「いえいえ、俺は同行しただけだしそれに楽しかったんだ。久しぶりに現実を忘れられた気がしたからさ」
そう語る皓の手にはサリンジャーの小説が収まっていた。
「本読むのが好きなの?」
「ん?そうだよ。ボクくんはよく本読んだりする?」
私はとりあえず首をふっておいた。
「読書はねー、本当にいいと思うよ。だってさ、すごいと思わない?体はここにありながら、そこを離れていくことができるんだよ。んー、分かりにくいか。簡単に言えばさ、自分のことじゃないことでも自分がしたような気持ちにさせてくるよね。それが俺は好きなんだ。なんかさ今の自分とかそういうものを忘れられるような気がするんだ」
彼の言ってることはなんとなくわかる気がした。そして私自身、今は読書をしているような状態なのかもしれないなと思った。
「でもね、これはきっと逃避だと思うんだ。浪人という現実から逃げるためのね。あー、浪人ってのは大学に行くために勉強している人ね。でさ、そんな俺が言うのもあれなんだけど、時には逃げることも大切だと思うんだよね。だからボクくんもさ、なんか辛いことがあったりしたら逃げてもいいと思うんだ。そして深く考えるといいのかもね。まぁ、難しいとは思うけどさ」
彼は彼なりに色々なことを考えているのだなと思った。そして彼の置かれている浪人という立場と現実の私の立場には何か共通点があるのかもしれない。そんなことも感じた。その後はたわいも無い会話をして床へとついた。
“ボク”の体になってから色々なことに気がついた。それは普段の生活でただ見落としてしまっていることなのかもしれない。それは自分自身が無くしてしまったものでもあるかもしれない。もしかしたら、大人となってしまった自分の立場からは見えないことでもあるのかもしれない。
どうであるにせよ、私はきっとこのチャンスを逃すわけにはいかない。例え夢であったとしても。自分のもつ問題、それを解決しなければきっと前へは進めないのだ。
時には逃げてもいいかもしれないけれど、逃げてばかりではだめだ。
そんなことを確認しつつ私は目を閉じた。




