妄想カーニバル
いつもと変わらぬ日常の中、数日が過ぎた。
しかし、時が経つほど俺の中で焦燥感が蠢く。
のたうつ蛇が、体内でもがいているような気がしてくるほどに。
認めよう。
俺は焦っている。
この数日間、副ギルド長ネイビスさんからも、そして白百合騎士団団長のフィオナさんからも連絡はなかったのだ。
まだ調べがつかぬのか。
それとも動けぬ理由でもあるのか。
はたまた我々の調査が敵に露見したのか。
それすらもわからないまま座して待つのは、なかなかに苦痛を伴うものであった。
ストレスで胃がキリキリするよ。
時間が経てば国王も危ないし、なによりもリーシャが心配だ。
噂や新聞記事を見る限りヨアヒムって宰相はいかにも好色そうだったし、俺が言うのもなんだけど、リーシャはとっても器量がいいからね。
青びょうたんに言い寄られてしまう可能性は充分にあるんだよなぁ。
うおおお……
そんなことになってたら絶対に許さんぞ……!
思い切りクソ宰相をブン殴ってやらぁ!
いや待てよ。
あのリーシャが黙って言い寄られるはずもないよな……
きっと『は? あなたみたいなキモい人を好きになる女の子がいるとでも持ってるんですか? 冗談は顔だけにしてください。そうだ、来世に賭けるなら私が介錯してあげますよ』とか言って、相手を再起不能に落とすタイプだよね。
……いや、いくら『思ったことをストレートに言っちゃう病』が発症したとしても、そこまでは言わないか……
優しい子だもんな……
ぐあああ。
ダメだ。
待っているだけと言うのは、どうしても悪い方向にばかり考えが行ってしまうね。
そうだ。
こんな時こそアニマルセラピーだ!
「リルー! リルやー!」
俺は寝転がったまま居間のソファから声をかける。
『キャン!』とものすごく遠くから鳴き声が聞こえ、チャカチャカシャラシャラと爪や鎖を鳴らす音が徐々に近付いてきた。
さして待つほどもなく小さな白い姿が居間に現れ、すかさずソファに飛び乗ると早速俺の顔を舐め回し始めるのであった。
負けじとリルの頭や背中を撫でまくるが、逆にそれで大興奮したリルは目にも止まらぬ速度で尻尾を振り、ますます俺の顔を激しく舐る。
「わぷっ、こらリル。そんなに舐めるなって」
「キュウン」
「どこにいたんだい?」
「キャン」
「二階?」
「キャオン」
「そうか、一人で遊んでたのか。よしよし、いい子にしてたんだね」
「キューン」
うむ。
傍から見れば俺の頭がおかしくなったと思われることは間違いない。
なにせ子犬と会話しているのだから。
だが娘たちが学校へ行ってしまい、一人ぼっちの俺には大事な話し相手なのだ。
リーシャがいてくれればキャッキャウフフできるのになぁ。
いやまぁ、そんなのしたこともないんだけども。
むしろ、したい。
させてくれ。
例えばだよ。
海辺で二人して水着姿とかでさ。
リーシャが『リヒトさーん! こっちですよー!』なんてブンブン手を振ってさ。
俺は『はははは、待ってくれよリーシャ!』と追いかけるんだ。
たゆんたゆんしてるアレに目をくぎ付けにしてな。
すると『私をつかまえてくださーい! そしてずっと離さないでー! あはははは!』とか言いながらリーシャは逃げるわけだ。
俺は必死で追いつくんだけど、手を掴んだひょうしに二人とも、もつれるように倒れ込んでな。
そして抱き合ったまま俺の青い瞳とリーシャの赤い瞳が見つめ合っちゃうんだ。
そっと瞼を閉じるリーシャ。
俺はなんの躊躇もなく…………
なんつってな! なんつってな!
リルを抱きしめソファの上で悶える俺。
遊んでもらってると思ったのか、リルは喜びのあまり尻尾を振る速度が光速を超えそうだった。
ついでに舌がパッサパサになるほど俺の顔を舐めまくっている。
待て、待つんだ俺。
けしからん妄想はやめたまえ。
これではただの変態おっさんが織り成す脳内カーニバルじゃないか。
我ながらキモすぎる妄想に気分が悪くなってくる。
完全に主旨が変わってしまった。
立ち返ろう。
そもそも俺は不安やストレスを解消するためにリルを呼んだのだ。
俺は改めてリルをじっくりと撫でた。
白い毛並みはふわふわだ。
リル自身が綺麗好きらしく、毎日俺か娘たちと風呂に入っていたりする。
グラーフと一緒に入らないあたりは、やっぱりリルも女の子だから恥ずかしいのであろう。
まぁ女の子って言うか、メスって言うか……
伝説の魔獣フェンリルだもの、人より高い知性があるならば羞恥心くらい兼ね備えているんじゃないかな?
俺と風呂に入っても平気なのは、きっと父親かなにかだとでも思ってるのかもね。
俺はリルを持ち上げ、まじまじと顔を見る。
犬としても整った顔立ち。
もし人間だったら相当な美人であろう。
そして、きょろんと大きく愛らしい黒き瞳が俺の顔を映し出していた。
この瞳がまた不思議なんだよね。
黒々としてるのに、角度によっては虹色に見えたりするんだよ。
よく見かける躾もなっていないアホ犬と違って、この知性に満ちたリルの瞳が俺は大好きなんだ。
普段は垂れた耳も、時折ピンと立ったりすると精悍な狼そのものだ。
さすがフェンリル。
そのへんの犬とは一線を画している。
……小っちゃいけど。
俺はシャラリとリルの身体からぶら下がった、か細い白銀の鎖を手に取る。
この鎖も謎に満ちていた。
伝説によれば、神々がフェンリルを湖の底に封印する際に拘束具として使用した物、と言うことになっている。
そしてそれを裏付けるような出来事もあった。
運動するのに邪魔かと思い、俺はリルの四つの足首から鎖を外してやろうとしたことがある。
だが、どんなに力を込めても千切れるどころか傷ひとつ付くことはなかったのだ。
この全ステータスに【+SSS】を持つ俺ですらだよ?
まぁ、【+SSS】がなんなのかは俺にもわかんないんだけども。
とにかく、こりゃもう神さまの存在を疑うべくもないよね。
魔獣伝説は真実だったってことさ。
「クゥン?」
リルは少し首をかしげて、『どうしたの? もっと遊んで』と言った風に一声鳴いた。
その間も尻尾は休むことなくせっせと振られ続けている。
娘たちにもここまでの反応は見せないリルだ。
つまり、それほどまでに俺が好きと言うことか。
だとしたら非常に愛い子だと言わざるを得まい。
「あぁ~! もう、リルは可愛いでちゅね~!」
「キャゥン、クゥン!」
まるでリルが『わたしもパパ大好き!』と言っているような気がした。
やはり俺を父親だと思っているのだろう。
伝説になるくらいなんだもの、どう考えても魔獣フェンリルのほうが遥かに年上じゃないのかい……?
俺、そんなに老けて見えるのかな……
それでも堪らなくなった俺は、ソファから落下してもお構いなしに、床の上でリルを抱いたままゴロゴロ転がった。
しかもかなりの勢いでだ。
「リル~! 俺も大ちゅきでちゅよ~!」
「キュゥゥ~ン」
その時、突然どこからか強烈な視線を感じた。
ハッとして辺りを見回すと、居間の窓に二対の目が!
間者かと思い、すかさず身構えた途端にくぐもった声が聞こえてきたのである。
「……クスクスクスクス……まさかリヒトハルトさまのそんなお姿を見ることになるとは……とても可愛らしい一面をお持ちなのですね……クスクスクスクス」
「いやいや、リヒトハルトさまも人の子。時にはこうして癒しの時間を持つほうが余程健全ですぞ! ガハハハハッ!」
声の主は白百合騎士団団長のフィオナさんと、副ギルド長のネイビスさんでした!
いやぁぁぁぁ!
俺の恥ずかしい姿を見ないでおくれぇぇぇ!




