隣人がもたらしたもの
夜間の偵察飛行から二日が経った。
その二晩は俺が少々眠れぬ夜を過ごしたくらいで特に何事もなく平穏に過ぎ去り、今朝も子供たちとグラーフを学校へ送り出したところである。
眠れぬのには理由があった。
ひとつは、こうしている間にも国王の体調が悪化してしまうのではないかと言う懸念。
なにせ【毒】と言われても、どのような毒に侵されているのかすら定かではない。
わかっているのは即効性の劇毒ではないと言うことだけだ。
もうひとつは、俺と家族にも危害が及ぶのではないかと言う不安。
王族暗殺計画の首謀者は未だに判明していないが、王宮内にいると思って間違いないあるまい。
これほど大掛かりな計画である以上、犯人がたった一人と言うこともないはず。
そして俺は、その不届き者どもが巣食う王宮内で大々的に顔を晒してしまったのだ。
となれば、あの謁見で目を付けられたと考えたほうが自然である。
標的が俺だけであるなら別に構わないのだが、娘たちやグラーフ、リーシャにまで危害が及ぶとなれば話は別だ。
もしそうなった場合、俺は怒りを抑えることなど出来ぬであろう。
むしろ力の全てを解放してしまいそうである。
自分でもおっかなくて試したことがないんだけどね。
……なんだか取り返しのつかないことになりそうでさ。
ともあれ、我が家は敵────そう、これはもう敵と言っていいだろう。
敵の監視下にあると思って行動したほうがいいと判断し、普段通りの生活をしているのであった。
下手に行動して藪蛇にでもなったら、たまったもんじゃないからね。
本当は子供たちを学校へ行かせるのもまずいとは思うんだけどさ。
いきなり三人とも休ませるほうが余程不自然なんだよね……
念のため庭を含めた屋敷全体に、習得したばかりのスキル【魔導結界】を張り巡らせてはいる。
そして今のところ我が家に対して諜報系スキルを使用された形跡はない。
ただ、魔導結界があるとは言っても、遠方から直接目視で監視されているならこちらも感知できないのだ。
この待つだけの状況が余計に俺の神経をすり減らせる要因なのだが、こちらからは身動きできぬのが今の状況なのである。
情報収集はネイビスさんやフィオナさんに任せるしかないからねぇ。
聞きたい話は色々あるんだけど我慢我慢。
まさか直接俺が白百合騎士団の屯所へ聞きにいくわけにも行かないしな……
あ、でも、冒険者ギルドのほうならそんなに不自然でもないかな?
一応俺も立派な冒険者なんだからさ。
……いや、いきなりネイビスさんに面会を求めたらやっぱり不自然か。
あの謁見の場には彼もいたし、俺と親し気にしているのを様々な人間が目撃してるもんな。
ギルド内部に内通者がいないとも限らないし。
うん。
やはりここは我慢だね。
ふぅ。
気ばかりが焦るよ。
「ごきげんよう。リヒトさんはいらっしゃる?」
「はーい、今行きます」
表から女性の声が聞こえた。
俺は洗い物の手を止め、玄関へ向かう。
声だけで持ち主の顔が俺の脳裏に浮かんでいた。
果たして、ドアを開けると想像通りの人物が立っていたのである。
「おはようございますジェイミーさん」
「ええ、おはよう。ね、お時間はあるかしら?」
「大丈夫ですよ、子供たちも学校へ行きましたし。さ、中へどうぞ。お茶を淹れますよ」
「まあ、うれしい。お邪魔するわね」
非常にふくよかな身体でノッシノッシと玄関をくぐるお隣のジェイミー夫人。
似ても似つかないが、ジェイミーさんは娘たちの担任であるミリア先生のご母堂なのだ。
そして我が家となるまでこの屋敷を長年に渡って管理してきた人でもある。
しかしまぁ、ジェイミーさんから父兄の間では美人で名高いあのミリア先生が生まれたなんてね……
真偽は不明だが、若い時はジェイミーさんも痩せてて綺麗だったと、はす向かいのハリソン爺さんから聞いてはいるんだけどさ。
いまいち実感できないんだよね。
娘たちにも良くしてくれるし包容力があるから勿論ジェイミーさんのことは嫌いじゃないんだけどさ。
むしろ俺たち一家は全員この人を好きだと思うよ。
ギィィッシと派手にソファを軋ませながら腰を下ろすジェイミーさん。
中古品ではあるものの、愛用のソファが潰されてしまうのではないかと心配になる。
そんなジェイミーさんへ尻尾を振り振り駆け寄るリル。
彼女の豊満な肉体が好きらしいのだ。
きっと抱かれ心地がいいのだろう。
「あらあら、リルちゃん。今日も元気で偉いわねぇー、いい子いい子」
「キャン!」
時々動物が羨ましくなるよね。
なんせ元気に生きてるだけで褒められるんだから。
俺も美女に可愛がられて幸せな一生を終えるような愛玩動物に生まれたかったよ……
……いやいや、人間の尊厳を捨ててどうする。
自らの額を叩きながら、湯を沸かしお茶を淹れた。
「ねぇ、リヒトさん」
「はい?」
膝に乗ったリルの背中を優しく撫でながら声をかけてくるジェイミーさん。
お茶を淹れる俺の手つきを惚れ惚れと見守っていた。
「さっき、家のほうに副ギルド長からの使いと名乗るかたがいらしてね、この手紙をリヒトさんに届けてほしいって言われたのだけれど」
「えっ!?」
俺らしくもなく動揺し、ガチャンと少々乱暴にティーカップをテーブルへ置いてしまった。
ジェイミーさんはそんな俺を気に留めた風もなく、バッグから白い封筒を取り出す。
こりゃネイビスさんも相当周囲に気を配ってるね。
ギルド側の人物が直接俺を訪問したら怪しまれるもんな。
ふーむ、なるほどねぇ。
全く事件と関連性のないジェイミーさんを連絡役に使うとは。
これなら普段から頻繁に我が家を訪れる隣人が今日もやってきた、としか見えないもんな。
なかなか大した機転だよ。
人のいいジェイミーさんなら『なんで直接リヒトさんへ届けないのかしら?』などと疑うことなく引き受けてくれるのも見越したんだろうね。
手渡された封筒の裏面には赤い蠟で封がされていた。
間違いなく冒険者ギルド本部の紋章印である。
しかし封筒自体の紙質は安っぽいものであった。
これはきっと、良い紙を使ったのでは重大事がしたためられてあると推察されかねないからであろう。
敢えて粗悪品にすることで偽装を図ったわけだ。
うーん。
ネイビスさんにしては色々と手が込んでるなぁ。
誰かに入れ知恵でもされたのかねぇ。
「これを持ってきた人はどんな感じでした?」
「背が高くてね、なんだか無表情のかただったわ」
それだけでもうわかってしまった。
諜報部長のリアムさんだろう。
彼のキレッキレな思考回路ならこの措置も納得できる。
何度か頷いた俺は、手紙を開封することなくそのまま懐へ入れた。
「あら? お読みにならないの? 火急のお話とかではないのかしら」
「ええ、特に重大な用件じゃなかったようなので」
「そうなの?」
「キャゥン、キュゥン」
「あらあら、リルちゃんどうしたのかしら? もしかしたら喉が渇いたの?」
「キャン!」
「まあ、そうなのぉ。リヒトさん、ミルクはあるかしら?」
「ありますよ。ちょっと待っててくださいね」
ナイスだリル!
適当な鳴き声でジェイミーさんの気を手紙から逸らしてくれるなんて!
さすが伝説の魔獣フェンリルだよ!
今夜は上等な牛肉を振る舞ってやるからな!
……最大の誤算はジェイミー夫人がそれから三時間も喋くり倒してようやく帰ったことだけどね。
俺、ほとんど相槌を打ってるだけだったぞ……
女性ってのはよくもまぁあれほど話題があるよね……
さてと、施錠と結界を確認したら、いよいよ手紙を開封しないとね。
敵に繋がるような情報があるといいけどなぁ。
そう思い、玄関の鍵をかけようとした時。
「こんにちはぁ」
と、のんびりした声が外から聞こえてきたのである。
誰だろう?
ジェイミーさんが忘れ物でもしたのかな。
しかしまた、随分と狙ったかのようなタイミングで来たもんだよね。
鍵を閉める寸前だったよ。
俺が苦笑しながらドアを開けると、そこには意外な人物が立っていたのであった。




