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無敵の片鱗


 ぺしぺし


「ん~……」


 ぺしぺし

 ぺしぺし


「……ぐー……」


 ぺしぺしぺしぺしぺしぺし


「パパー! あさですよー!」

「ぐわっ!」


 突如巻き起こった耳元での大音量。

 跳ね起きることしか許されない俺。


 ぐおぉ、耳がぁ!

 な、なんだ!?

 獣の襲来か!?


 ぺしぺし


「おきましたか~?」


 寝ぼけ眼に飛び込んできたのは、大きく鮮やかな青い瞳。

 覗き込むように顔を近付けたマリーであった。


 そうか、ぺしぺしはマリーが俺の顔を触っていたんだな。


「よぜふおじいちゃんが、そろそろパパをおこしなさいって~」

「ああ、そうか、そうだったね。起こしてくれてありがとうマリー」

「うん! えへへー」


 そうだ。

 俺たちは昨夜、ヨゼフさんのご厚意によって泊めていただいたのだ。

 貸していただいた部屋にはベッドがふたつあり、一緒に寝たいと言い張るマリーを抱いて眠りについたんだった。


 ヨゼフさんが『とっておきですぞ』と言いながら振る舞ってくださったラム酒。

 あれが疲れていた俺には覿面に効いた。


 普段よりも倍の速度で酔っ払ったよ

 いやぁ、この歳になると酒も自重しなきゃならんね。

 

「ねぇ、パパ! ゆって!」


 横たわる俺の上で、ぴょんこぴょんこ跳ねるマリー。

 ゆって?


 そのマリーが小さな手に握っているのは二本の紐。

 ああ、わかった。

 『結って』か。


「髪を結んでほしいのかい?」

「うん!」


 俺が起き上がって胡坐をかくと、すかさず膝の上に座るマリー。

 ああ、もう。

 なんて可愛いんだ。


 俺はマリーのサラサラで長い金髪を、まず左右に分けてみた。

 むぅ、女の子の髪を結ったことなんてないからな。

 どうすればいいんだろう。

 と、取り敢えず、こんな感じ、かな?


「リヒトさん、起きましたかー…………キャー! 可愛い~~!」


 部屋へ飛び込んできたリーシャの第一声がそれである。

 ちょうど俺がマリーの髪を左右で縛った時であった。

 いわゆる『おさげ』にしてみたんだがね。


「マリーちゃん、パパに結ってもらったの? いいねー」

「うん! パパじょうず!」

「ハハハ、いやいや、てんで駄目さ」

「リヒトさん、結う前にマリーちゃんの髪をいてあげたほうがいいですよ。その方が分け目も綺麗になりますから」


 さすがは一応女性のリーシャ。

 おっと失礼、妙齢の女性だと言いたかったんだ。

 彼女の指摘は的を射まくっている。


 だけどな、俺が櫛やブラシを持っていると思うか?

 こんなおじさんが普段からそんなものを持ってたら逆に気持ち悪くない?

 俺はナルシシズムと無縁だぞ。


「言わずともわかってますって。無精なリヒトさんがそんな気の利いたものを持ってるはずがありませんよね」


 出た。

 思ったことをそのまんま言っちゃう病。

 俺の命名だ。


 この子の良いところでもあり悪いところでもあると思うが、どうせならこのまま突き抜けて欲しいものである。

 大多数は言いたいことも言えずに生きているのだから。

 俺もどちらかと言えばそうだ。


 だから余計に奔放なリーシャが眩しく見える。

 若い時は俺も口の減らないヤツだったんだがね……


 客商売なんてやってるとさ、頭下げてる方が楽になってきちゃうんだよ。

 いちいち言い返して揉めるのが面倒になる。

 それが大人になるってことなのかもしれないけど、なんだか情けないよね。


「はいどうぞ、私のブラシで良ければ使ってあげてください……どうしたんです? ボーっとして。あ、もしかしてまだ寝ぼけてるんですか? あははは」

「あぁ、ありがとうリーシャ。はは、昨日飲みすぎたかな」

「私、何度も止めたんですよ? マリーちゃんもウトウトしてましたし」

「そ、そうだったかい?」


 これ以上は藪蛇になりそうだ。

 酔った勢いで何を話したのかすら覚えていない。

 願わくば昨日の俺が余計なことを口走っていませんように。

 うむ、やはり深酒は控えよう。


 さらりさらりと、マリーの滑らかな髪を梳く。

 まるで上質な絹の如き手触りに改めて驚かされる。


 俺のパサついた髪とは大違いだ。

 加齢によって、脂っ気すら失われつつあるらしい。


 おぉ、やだやだ。

 歳は取りたくないもんだねぇ。


 マリーも気持ちがいいのか、ニコニコしたまま目を閉じている。

 それを蕩けきった表情で見つめるリーシャ。


 なんつー顔してんだ。

 せめて涎を拭きなさい。


「なぁ、リーシャ。マリーにはどんな髪形が似合うと思う? きみは女の子なんだからそう言ったことに詳しいだろ?」

「どんなのでも可愛いに決まってます!」


 断言かよ。

 いや、俺もそれは全面的に同意するが、もうちょっとこう、色々あるだろうに。


 俺は試しにポニーテールを作ってみた。

 マリーに鏡を渡し、本人にも確認させる。


「どうだいマリー?」

「かわいい~!」

「超可愛い~~~~!!」


 リーシャ、お前ってヤツは……

 まぁ、俺もびっくりするぐらい可愛いと思うけどさ。


「はぁはぁ! リヒトさん! 次、次はサイドテールをお願いします! はぁはぁ! その次は三つ編みをぉ!!」


 ちょっ、顔が怖いぞリーシャ。

 鼻息も荒すぎだ。


 その後、色々試してみたが、どれも可愛らしくて困り果てた。

 可愛い子ってのはどんな髪形も似合うもんだ。

 うーん、これは本人に決めさせるほうがいいか。

 俺とリーシャじゃいつまでも決まりそうにないしな。


「マリーはどの髪形が好きだい?」

「ふたつになったのー」

「リヒトさん! ツインテールですって!」

「よしよし、ちょっと待ってるんだぞー」


「リヒトさん、良かったら朝食も食べて行ってくださ…………おお……あまりの愛くるしさに眩暈が……」


 マリーの姿を見るなり、柱に掴まって頭を何度も振るヨゼフさん。

 だ、大丈夫ですか?

 お年なんですから、あまり興奮しすぎませんよう御自愛してくださいよ。




「では、ヨゼフさん。本当にお世話になりました」

「おじいちゃん、おせわになりましたー!」

「ヨゼフさんの牛乳、最高です。ありがとうございました!」


 いよいよ出立の時。

 ヨゼフさんへ揃って頭を下げる俺とマリー、そしてリーシャ。

 どれだけ感謝してもし足りない。


「ワシも久々に楽しい時を過ごさせてもらいましたよ。良い冥途の土産になりましたわい」


 そう言ってフサフサの白ヒゲを揺らして笑うヨゼフさん。

 この人には是非とも長生きしてもらいたいものだ。

 そして、出来ることなら成長したマリーを見せてあげたい。


 叶わぬ夢かも知れないがね。

 だって本当の両親が現れたとしたら、マリーを返してあげるのが筋ってもんだろう?

 たとえ俺がどんなに嫌だったとしてもさ。


 いや、ごめん。

 もう既に嫌だ。 

 俺の可愛い娘を手離したくない。

 そんなことは非常識だし、身勝手だとわかっちゃいるんだがね。


 なんなんだろう、この複雑な気持ちは。

 ハッ!?

 まさか、これが父性……!?


 俺はマリーを肩車して丘を登る。

 彼女たっての希望だったのだ。

 隣を歩くリーシャは、それを心底羨ましそうに眺めていた。


 丘の頂上から牧場を振り返れば、遠く小さくなったヨゼフさんが、まだこちらへ手を振っている。

 なんて良い人なんだ……

 ……いや、まさかとは思うがマリーとの別れが名残惜しいだけなのかもしれんぞ。


 俺たちは丘を降り尚歩き、ようやくアトスの街へと繋がる大街道へ出た。

 これで一安心。

 最早迷うこともない一本道だ。


「そうしてるとまるで本当の親子みたいですね」


 俺と、その肩の上で楽し気に鼻歌を歌うマリーを見ながらリーシャが言う。


「そうかい? そう見えるならなんだか嬉しいね。なー、マリー」

「ねー、パパー」

「くぅっ、だからって見せつけるのはずるいですよリヒトさん!」


 多分、傍から見れば仲良し親子三人に見えるんじゃないかな。

 俺が父親で、マリーが子供で……


 ……まさかリーシャも俺の子に見えたりするんだろうか。

 確かに年齢的には見えるかもしれん。

 リーシャは今年で16歳だと聞いたからな。


 ま、まぁ、それも仕方ないよね!

 二人の保護者は俺みたいなもんだしね!


 ガタゴトガタゴト


「やぁ、親子でお出かけですか? いい天気でよかったですなぁ」

「あらあら、随分お若いママさんですわね」


 馬車に乗った品の良さそうな老夫婦が、そんなことを言いながら通り過ぎて行く。

 俺たちも手を振って挨拶を返した。


「へへ、お若いママさんですって! 私、マリーちゃんのママに見えたのかな?」


 何故か少し嬉しそうなリーシャ。

 いいのか?

 その場合、きみの旦那は俺と言うことになるんだが……

 こんなおじさんが夫じゃ嫌だろう。


「パパ! あのおおきいのはなぁに?」


 マリーが足をパタパタさせながらちっちゃな指を差す。

 その方向にはアトスの街が見えた。


 門の付近では多数の人々が忙しなく働いている。

 どうやら門と塁壁の修繕をしているらしい。


 街中にだいぶガタが来ているんだ、なんて話を工事夫の連中から何日か前に子豚亭で聞いたもんな。

 アトスの街も歴史的にはかなり古いからね。

 って、やめろ俺。

 店をクビになったことなんて思い出したくもないぞ。


「あれはアトスの街って言うんだよ」

「あとすのまちー! おおきいねー!」


 ふむ。

 マリーは都市を見るのが初めてってことなんだろうか。

 いや、記憶が無いなら無理もないことだな。

 見るもの聞くもの全てが新鮮に感じることであろう。


「パパ、おろしてー、みてみたいの!」

「はいはい」


 建造物や人々が珍しいのか、マリーがキョロキョロと珍しそうに巨大な門へ走っていった。

 ツインテールがピコピコと跳ねてなんとも可愛らしい。


「おーい、マリー! 転ぶんじゃないぞー!」

「はーい! パパもりーしゃおねえちゃんもはやくー!」


 こちらへ向かってブンブン手を振るマリー。

 俺もリーシャもその愛らしい仕草にニヤけてしまう。



 ガラガラガラガラ



「ああ! 資材が落ちた! 逃げろ!!」



 工事夫の絶叫。

 門の上から崩れ落ちる大量の木材や石材。



 嘘だ。

 やめろ。


 その瓦礫全てがマリーに。


 

 そう俺が認識した瞬間、身体は反応した。

 強く踏み込んだ石畳が砕け散ったのを足裏に感じる。


 頭上の異変に気付いたマリーの顔が歪んでいく様子すら、俺にはスローに感じられた。

 マリーの恐怖心が泣き顔に変わる前に────


 俺はマリーを懐に抱えて伏せた。

 その刹那、俺の背中へ怒涛の如く降り注ぐ木材、石材、砂利、鉄骨。



「キャァァアアアア! リヒトさん! マリーちゃん!!」



 少し遠くから轟音まじりに聞こえるリーシャの絶叫。

 工事夫たちの怒号。


「誰か! 誰か! リヒトさんとマリーちゃんを早く助けて!」


「おい! スコップ持ってこい! こんな山に埋まっちまったらすぐ死んじまうぞ!」

「で、ですが親方、どこから手を付ければ……」

「馬鹿野郎! 全員集めろ! 片っ端から掘れ!!」

「……これじゃもう手遅れなのでは……」


「お願い! 早く助けてください! 小さな子も中にいるんです!」

「落ち着けお嬢ちゃん! 今すぐ…………え?」



 ボゴン



「ふぅ、息苦しかった。マリー、怪我はないかい?」

「うわぁぁぁん! パパ、ごめんなさい~!」

「泣かなくていいんだよ、無事だったんだからね。よしよし、もう大丈夫だ」


 俺はマリーを胸に抱え、スックと立ちあがる。

 あれ?

 誰も俺とマリーの無事を喜んでくれないのか。

 どうなってんだこの工事業者は。



「嘘ぉ!? リヒトさん!? マリーちゃん!?」

「お、お前さん……そんな何事もなかったように……」

「……あれほどの瓦礫の中から自力で……? こりゃあ夢でも見ているのか……?」

 


 呆然、唖然、愕然とした視線を受けながら、俺はマリーについた埃を落とすのであった。



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