謁見
前略。
父さん、母さん。
あなたたちの息子であるリヒトハルトは。
今、とんでもなく場違いなところにいます。
俺ですらこれからどうなっちゃうのかわかりません。
なので遠い空から見守っていてください。
草々。
白を基調とした壮麗な王宮内。
豪奢極まる内装や調度品の数々。
大陸各地から選りすぐりの美女ばかりを集めたのかとさえ思える侍女たち。
趣味の悪い金持ちにしか着こなせないような、無駄に豪華な衣服の連中。
カツンカツンと足音がやけに響く大理石の床。
俺の眼前には毛足の長い赤き絨毯が真っ直ぐに伸び、数段高い場所へ設置された豪華極まるまだ誰も腰かけていない玉座にまで続いていた。
大きい玉座と、少し小さめのがその左右に二脚。
王、王妃、そして王女用なのであろう。
そう、ここはいわゆる『謁見の間』である。
正式名称は知らない。
先程説明された気もするが、俺は緊張と混乱で聞いてなどいなかったのだ。
こんな場所へいきなり連れて来られては、俺の脳内にも父母への手紙みたいな文が思い浮かんでしまうのも無理はなかろう。
「リヒトハルトさま。それほど緊張せずともよろしいですぞ。国王陛下は気さくなおかたですから」
「むしろ、小うるさいのは周囲の者たちです」
「ガハハッ! フィオナ団長もなかなかおっしゃりますな! されどその通りですぞ! ガハハハ!」
俺の右に立つは、白百合騎士団団長のフィオナさん。
背筋もビシッと綺麗な直立不動を崩さない。
麗人と言うに相応しい横顔も素敵である。
彼女には女性ファンが多いのも頷ける話だ。
そして俺の左側にデンと立っているのは副ギルド長のネイビスさんだ。
腹がいっぱいだからか、少しダルそうに立っている。
これから国王に謁見する人間にはとても見えない。
周囲には貴族や重鎮っぽい人々もいるのに、大声すら憚らないとはなんとも豪胆な人であった。
そのフィオナさんとネイビスさん、そして俺は昼食を共にしたあと、そのまま三人揃って王宮へ参内したのである。
昼食と言っても娘たちのお弁当を作った残りや、簡単な料理しか出せなかったのだが、それでもネイビスさんはおろかフィオナさんまでが目を輝かせて美味しそうに食べてくれた。
元料理人の俺としてはそれがどれほど嬉しいことか。
『美味しい』は最高の賛辞なのだから。
「シャルロット王女殿下! ご出座ー!」
衛兵の甲高い声が聞こえ、ざわめきがピタリと止んだ。
俺もフィオナさんやネイビスさんに倣ってすかさず片膝をつく。
複数人の足音が聞こえる。
俺は顔を伏せていたが、自らの激情に負けて少しだけ玉座のほうへ目を向けた。
途端にズグンと心臓が鈍く痛む。
向かって右の玉座に座ったシャルロット王女。
そしてその少し後ろに控えて立つのは────
リーシャだ!
あぁ、リーシャ!
白銀に輝く鎧なんか着ちゃってるけど、間違いなくリーシャだよ!
よかった、顔色も悪くないし元気そうだ!
俺が見ていることに気付いたのか、真面目な顔のまま瞳のみで笑いかけてくれるリーシャ。
それだけで彼女の万感の想いが伝わってくるようであった。
俺の感覚を肯定するかのごとく、金の髪飾りがリーシャの赤髪でキラリと輝く。
以前に贈ったものであるが、彼女は今でも大事にしているらしくかなり磨き込まれていた。
俺があまりにも笑顔で見つめていたからか、リーシャの頬がだんだん朱に染まってきた気がする。
彼女も飛び切りの笑顔を見せたいが我慢している、そんな風に見受けられた。
そんなところが愛おしく感じてたまらない。
あっ、あれっ!?
リーシャってこんなに可愛かったっけ……?
いや、可愛いのは前からわかってるけど、なんでだろう?
俺の目には以前よりもすごく魅力的に見えるんだよね。
しばらく会ってなかったからかな?
なんかこう、今すぐ抱きしめて、柔らかな髪を撫でて、見つめ合って、そして熱いキ────
「【黒の導師】リヒトハルトさま。面をあげてくださいませ」
俺の妄想を打ち砕くシャルロット王女の声。
ビクリと背中が震え、グキリと腰が痛む。
片膝の体勢は結構つらいのだ。
「ははーっ」
俺はかろうじて答え、顔をあげた。
幾人かの貴族だか重鎮だかの連中が見ている以上、キョロキョロするわけにもいかない。
視線をシャルロット王女に定める。
本当はリーシャをずっと見ていたいんだけどね。
王女は、これでもかと言うほどレースまみれの白いドレス姿だった。
ウェーブのかかった長い金髪にそれが良く映えている。
そして、ものすっっっごい笑顔だった。
俺が少し引いてしまうほどに。
周囲の人々は完全にドン引きしているご様子。
こんな王女を見たことがなかったのだろう。
事情を知らないネイビスさんはポカンとし、だいたい把握しているフィオナさんは苦笑していた。
「リヒトハルトさま、お久しぶりですわ! 御前試合以来ですわね!」
「はっ、王女殿下のご尊顔を再び拝謁し、恐悦至極に存じます」
嘘つきでございますね、と心の中で思いながら俺は無難な答えを返しておいた。
最後に王女と会ったのは御前試合のだいぶあと、白百合騎士団の本部屯所に俺とリーシャが拉致された時であるからだ。
拉致事件は完全に非公式。
つまり、あの場にいた王女はお忍びだったと言うわけだ。
それを公にするわけにもいかず、俺にも言うなと釘を刺すつもりもあっての発言なのであろう。
俺とてそのくらいはわきまえているつもりだ。
「いやですわ、そんな他人行儀な。わたくしたちはもう、そんなにかしこまるような仲ではないはずですわよ」
「!?」
ドヨッと貴族たちがざわつく。
すかさずリーシャがシャルロット王女の脇腹を小突いた。
ナイスだリーシャ!
ややこしくなることを言い出す前に王女を黙らせてやってくれ!
「ほほう、では一体どう言う仲なのだね? 余は気になって夜も眠れぬではないかシャルロットよ」
「あっ、えっ? こっ、国王陛下ご出座ーーーっ!!」
ゴツゴツと杖を突きながら歩いてくる人物。
どうやら、国王は衛兵が出座の声をかける前に入って来てしまったらしい。
周囲の重鎮やリーシャもすさまじい速度で深々と頭を下げた。
ひと目で高級とわかる赤いマントに立派な王笏。
そしてこれまた立派な金髪と整えられた髭。
かつては素晴らしい体躯を誇っていたであろう高い身長。
それが国王陛下その人であった。
だが。
幾年か前に見た肖像画とは全く別人のように痩せ細ってしまっている。
ご病気でも召されたのだろうか。
しかし、その瞳だけは全く力を失った様子は無く、凛とした雰囲気も王に相応しいと言えるだろう。
「頭を垂れずとも良い。そなたが冒険者リヒトハルト殿であるか。どれ、顔を良く見せよ」
「はっ。国王陛下におかれましては」
「挨拶などよい。余は長々しい世辞は好かぬでな、ワハハハハ」
「はっ、ははっ。失礼いたしました」
すごい!
俺の言葉を速攻で遮るあたりがシャルロット王女とそっくりだよ!
さすが親子!
そして噂通り、気さくなおかたらしい。
お母上が元々は庶民のシャロンティーヌさまだからかもしれないね。
王は何かを探るように、金色の瞳を熱心に俺へ向けている。
一介の田舎冒険者である俺などに興味があるのだろうか。
しかし、とてつもない眼力である。
気分は猛禽類に睨みつけられた兎だ。
重鎮たちですら、王の瞳を見ないように顔を伏せている始末。
だが俺は臆することなく国王陛下の目を見返した。
理由は……特にない。
強いて言えば、そうするべきであるような気がしただけだ。
「ふむ、どうやらそなたはシャルロットやネイビスから聞いた通りの男らしいな。だが、なぜであろう……そなたの顔をどこかで……」
ブツブツとなにやら呟く国王。
その間にシャルロット王女が立ち上がり、高らかにこう告げた。
「リヒトハルトさま。此度のオークロード討伐、実にお見事でありました。父王と全臣民に代わってお礼申し上げますわ!」
「あっ、こ、これ! 余のセリフを……」
国王陛下の呟きは、俺へ向けられた歓声と盛大な拍手によって、虚しくもかき消されてしまったのである。




