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勅命


 またもや事態は我が家の庭から動き出すとでも言うのか。


 あまりの奇縁に俺は少しばかり辟易しながらも、逸る心を抑えつけて切り出した。

 つとめて明るく、普段通りに。


「これはこれは。ネイビスさん、フィオナさん、こんにちは。なかなか珍しい組み合わせですね。ささ、どうぞお掛けになってください。お茶を淹れますよ」


 門からノッシノッシと歩いてきたのは禿上がった頭部も煌めく、副ギルド長のネイビスさん。

 その後ろに続くのは、右の半面を髪で隠した白百合騎士団団長のフィオナさんであった。


 フィオナ団長の姿に、俺の魂がざわめいてやまない。


 言っとくけど、別にフィオナさんが恋しかったわけじゃないぞ。

 ただ、彼女が来たと言うことは、リーシャの身になにかが起きたんじゃないかって不安になっただけだ。


 俺はすぐにでも問いただしたい気持ちをグッとこらえてお茶を淹れる。

 だがネイビスさんの表情は明るいし、フィオナさんも深刻な顔をしていなかったのは救いと言えるだろう。

 いや、彼女はリルを見て目の色を変えてはいるのだが。


 つまり、最悪の事態が起こったから来たのではないってことだよね。


「リヒトハルトさま。あの子犬がくだんの……?」

「ええ、そうです」

「おぉ……聞き及んでいなければ己の正気を疑うところでしたわい」


 ネイビスさんが小声で耳打ちしてきた。

 諜報部長のリアムさんから、リルが伝説の魔獣【フェンリル】であると報告を受けたのだろう。

 問いと言うよりも確認の意味で尋ねられた気がする。


 そう言えばネイビスさんがリルを見るのは初めてか。

 ま、予想通りの反応だよね。

 現場にいて全てを目撃した俺ですら、いまだに信じられないくらいだし。


 一応、ギルド側と協議し、リルが【フェンリル】であることは隠しておくこととなっている。

 それは王都内に無用な誤解と混乱を招かぬためであった。


 なので、その事実を知る者はごくごく一部である。

 現にネイビスさんも、フィオナさんには聞こえないように話していた。

 知っているのは、我が一家とギルド上層部の数名と言ったところであろう。


 渦中のリルは、新たな遊び相手が来たと思ったのか、それともこの二人に邪気がないと悟ったからか、頭を撫でまくるフィオナさんを無垢な瞳で見上げ、フサフサの白い尻尾を振っている。


 フィオナさんも普段の毅然とした相好を崩し、穏やかで優しい瞳をリルへ向けていた。

 頬も少し赤く、ピクピクしているのは、『可愛い~~!』と叫び出すのをこらえているからであろう。


 この場にはどうせ俺たちしかいないのだし無理せず叫べばいいのにね。

 団長の威厳を保つために無駄な努力をしてるっぽいよ。


 人の上に立つ者ってのは大変だねぇ。

 いつでもどこでも、体裁だの体面だの沽券だのがついてまわるんだもんな。


 ふたつのカップにお茶を注ぎ、ネイビスさんとフィオナさんの前へ置いた。

 まるでそれを待っていたかのように口を開くネイビスさん。


「昨日は大変だったようですな。私が不在であったことを深く陳謝いたしますぞ」

「いえ、いいんですよ。俺もあんなことになるなんて思ってませんでしたから」

「ですが、史上最年少の冒険者が誕生したことは祝福させてくだされ。しかもそれが他ならぬマリー嬢であったのは非常に喜ばしい! 親子そろってとんでもない快挙ですな! ガッハッハ!」

「どうなんでしょうね。俺としてはマリーに冒険者をさせたくはないんですけど」

「ガッハッハッハ! なにをおっしゃられますか! 既に噂を聞き付けた連中からの依頼が、マリー嬢宛てに殺到しておるのですぞ!」

「はいぃ!?」


 冗談じゃないよ!

 どうせ最年少冒険者が珍しいからってだけで、内容も無茶苦茶な依頼なんだろう?

 そんなもん絶対マリーにはやらせないぞ!


「ま、年齢や学校があることなども考慮して、ギルドのほうから依頼のほとんどを断っておるので安心してくだされ」

「あ、あぁ、そうなんですか。それはありがとうございます」


 なんだ。

 流石は副ギルド長のネイビスさんだね。

 俺たちの事情をよくわかってくれているじゃないか。

 いやぁ、年の功は伊達じゃないねぇ。

 こりゃとっておきの菓子も出さねばならないよ。


 そんな配慮をされては、ころっと手の平を返すしかない俺なのである。


「ああ、それと、リヒトハルトさまの冒険者カードですが」

「はい」

「我々も八方手を尽くしましたが、やはり【+SSS】が表示される原因はわからぬようでした」

「そう、ですか」

「魔導システムを構築したあのお方でなければ、根本的な改善も見込めぬようです」

「あのお方と言うのは……例の【名も無き魔導士】ですか?」

「おお、よく知っておられますな。【剣聖】オルランディさま、【聖女】シャロンティーヌさまと共に冒険者ギルド設立の立役者となったお方です」

「でも、行方知れずなんですよね?」

「おっしゃる通りですぞ。なにせここだけではなく、他の四大陸の冒険者システムも構築なさったほどのお方ですからな。最後に確認されたのは東の大陸で、それもだいぶ昔のことだそうです」

「なんと……! そりゃあすごいですね! 五大陸全てを股に掛けるとは……!」

「ええ。冒険者としても超一流と言ってよいでしょうな。まぁ、足取りはそこまでで、そのあとは本当に行方がわからなくなってしまったのですがね。一説によれば、今も旅を続けているとか、更には別の世界へ旅立ったとか、星を飛び出して月へ行ったとか、しまいには人間に嫌気がさして魔物の王になったなどと言う噂もありましたな」

「へえぇー! 浪漫だなぁ」


 遥か遠方に広がる世界へ思いを馳せる。

 見たこともない土地や風景、人々、そしてモンスター。


 各大陸ならではの特性を持ったジョブを使う冒険者たち。

 とてつもない力を秘めし凶悪な魔物ども。


 これをロマンと言わずして、なにをロマンと語るのか。


 俺がもし若く、なんのしがらみもない血気あふれる冒険者だったならば、きっと世界を目指しただろう。

 現在の中年を迎えた俺ですらも胸が熱くなるほどの魅力がそこにはあるのだ。


「あ、リヒトハルトさま。お茶のおかわりをいただきたいのですが」


 一瞬で現実に引き戻すネイビスさんの声で、思わずズッコケそうになる俺。

 どうやら彼にはあまり空気を読む能力が備わっていないようである。


「……」


 無言のまま、少しだけ乱暴にカップへお茶を注ぐ俺。

 せめてもの抵抗である。


 そんな俺の視界には、リルを思い切り抱きしめ、幸せいっぱいな笑顔のフィオナさんが映った。

 意外な一面を見た気がする。

 まさかこれほどまでの動物好きだったとは。


 だがそこでふとした疑問がわいた。

 彼女はいったいどうしてここへ来たのか、と。


「そう言えばフィオナさん。なにか俺に用事があったとかじゃないんですか? まさかリルと遊びに来ただけとか? それはそれで大歓迎しますけど」

「ハッ!? い、いえっ! 大事な用件があってのことですからっ……!」


 騎士である己の使命を思い出したのか、慌ててリルを離そうとするも動物好きの主義に反するのかそれは叶わず、結局胸に抱き直してしまうフィオナさん。

 哀れなほどに顔が真っ赤である。


「いやいや、抱いてていいですよ。リルも嬉しそうですし」

「キャン!」


 こ、こら!

 大きく頷くなリル!

 返事もしちゃいかん!

 高い知性があるってバレちゃうだろ!?


 しかし、偶然だと思ったらしく、ネイビスさんもフィオナさんも気付いてはいないようで一安心した。

 あとでリルにはよく言い聞かせておくしかあるまい。



 だが、俺のそんな思いは、フィオナさんのたった一言で打ち砕かれたのである。




「……リヒトハルトさま。これは勅命です! 王宮へ参内さんだいしてください!」




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