戯れ
「いってらっしゃい。みんな気を付けるんだよ」
「はーい!」
「いってきますなのじゃー!」
「いってきやーす!」
娘たちとグラーフの登校を見送る。
今日もみんなはすこぶる元気で非常によろしい。
本来ならば、当初の目的である冒険者適正試験を合格したのだから、グラーフはもはや学校へ行かずともよいとは思う。
だが、本人の希望もあり、俺もそのほうがいいだろうと判断して登校させたのだ。
彼も色々あって学校教育を受けられなかったみたいだしね。
どうせなら学生生活を満喫してもらいたいじゃないか。
……せっかく冒険者になれても、授業がある以上遠方のクエストには当分いけないだろうけど……
ま、合格しただけでもたいしたもんさ。
……マリーとアリスメイリスまで受かっちゃったのは想定外だったけどね。
だもんで、昨日は大変だったよ。
最年少冒険者誕生と言うことで、非番のギルド職員まで駆り出し、隣の直営酒場で飲んだくれてた冒険者連中まで巻き込んで盛大な宴会が催されたのだ。
なんでも、五大陸全ての冒険者の中で最年少ってんだから、そりゃあ大騒ぎだよね。
世界記録として永久に残るんだもの。
我が愛娘のマリーがこんなことになるなんて、誇らしいにもほどがあるよ。
不在だったけど、副ギルド長のネイビスさんにも祝って欲しかったなぁ。
彼もマリーをとても可愛がってくれているから、きっと喜んでくれると思ったんだけど、いなかったんだよね。
まぁ、昨日は休日だったし、どこかへ出かけていたとしても不思議ではないか。
それに、俺自身のことも相談したかったんだよね。
もちろん俺の冒険者カードの件さ。
結局【+SSS】の表示は、意味すらもわからずじまいだった。
『こんな状態のカードは初めて見ます! マニュアルにも載ってませ~ん!』などと眼鏡の職員が言い出しちゃってね。
わざわざ休暇中の魔導技師まで呼び出して聞いても、『文字化けは直せても、システムバグだとすれば直しようがありませんよ!』と匙を投げる始末。
そんないい加減な仕事で給料をもらっているのは、なんだか少し納得がいかない。
ただ、古参のギルド職員から少しだけ有力な情報を得られたのは幸いだった。
ギルド創設時から働いていると言う高齢の御老人なのだが、なんと過去に、とある人物のカードでそれを見たことがあると言うのだ。
しかもその人物が凄かった。
誰あろう、あの【剣聖】オルランディその人だったのである。
ただし、彼の場合は【剣技】の横に【+SSS】が表示されていたと言う。
剣を極めし者の二つ名を持つオルランディさまならば得心もいく。
この情報を鑑みるに、なんらかを極めた時、この表記が現れるのではなかろうか。
つまり、俺のステータス値の部分に【+SSS】が出たのはそう言うことなのかもしれなかった。
ってことはなにかい?
俺は筋力や体力などのフィジカルを極めちゃったってことかい?
こんなに足腰が痛いのに?
ははは、冗談はよしてくれよ。
……いや、外部のダメージを全く受け付けない身体はやっぱりおかしいよな……
それもこれもシステムバグのせいって言うなら、作った奴は出て来て謝罪してほしいもんだよ。
なんてことを思い返しつつ、俺は朝食の片付けと屋内の掃除に励んでいた。
リーシャが不在なぶん、家事全般は俺の手にゆだねられているのだ。
さて、お次は洗濯だ。
俺はみんなの洗濯物をタライに入れて井戸まで運び、水につける。
キャンキャンと子犬にしか思えぬリルが、遊んでもらえると思ったのか嬉しそうに駆け寄ってきた。
「そうかそうか、遊んでほしいのか。いいとも、ただし洗濯が終わったらね」
「キュウン!」
俺の言葉を理解しているらしく、舌を出しながら大きく頷くリル。
さすが伝説の魔獣【フェンリル】だ。
いい香りのする洗剤をタライに入れ、衣類を優しく手もみ洗いする。
特に娘たちの服は丁寧に扱う。
俺が力を入れると、すぐボロボロになってしまうからだ。
ま、俺とグラーフのは男臭いからゴシゴシ洗うけどね。
娘に『パパくさーい!』なんて言われたら立ち直れないもんな。
俺の洗濯する手元を熱心に見守るリル。
泡が珍しいのだろうか。
小さな白い身体に巻き付いた鎖がシャラリと鳴った。
そんな彼女の姿を見ている俺のほうが癒される気分である。
「……リルがいてくれてよかったよ」
「キュン?」
『なにが?』と言わんばかりに首をかしげるリル。
「リーシャがいない寂しさも、きみのおかげで少しは紛れているからさ」
「キュゥン」
しゃがんだ俺の膝へ、前脚をかけて見上げたリル。
俺は両手が塞がって撫でることも出来ず、その頭に頬をすりつけた。
なんだかお日様の匂いがする。
なんだっけ、こう言うの。
病人とかが動物で癒されるって話をどこかで見た気がするんだよね。
その気持ちもわかるよ。
無邪気な動物は人間の心を浄化してくれるのかもしれないね。
洗濯物を干し終え、庭でお茶を飲みながら約束通りにリルと戯れた。
犬の特性も持ち合わせているのか、俺が放った棒切れを嬉しそうに咥えて戻ってくる。
「ははは、よしよし、偉いねリル」
「キャン」
「え? もう一度投げろって?」
「キュン!」
「よーし、ほーら!」
「キャンキャン!」
放物線を描く棒切れを追って一直線に駆け出していく。
あれほどの全力疾走で鎖が脚に絡まないのはたいしたものだ。
本当ならマリーやアリスメイリスと同様に、俺もリルと駆け回ってあげたい。
しかし、俺の足腰でそれをやってしまうと再起不能に陥るような気がしてならないのであった。
少なくとも数日は痛みで立ち上がることすらままならなくなるであろう。
これじゃおっさんと言うよりもお爺さんだよね……
ヘタすりゃ、はす向かいのガチムチ老人ハリソンさんにすら負けるよ俺。
あの人やたらと頑強だもの。
ああいう風な『生涯現役』って感じに歳を取りたいもんだねぇ。
やはり長年立ち仕事に従事していたのが良くなかったのかもしれない。
二十代の後半には既に腰痛と闘っていたからだ。
料理人であったこと自体はなんの後悔もないし、むしろ誇りに思っている。
だがこの足腰の様子だと、どの道長くは続けられなかった可能性も高いだろう。
あのタイミングで冒険者となったのは運命と言うヤツだったのでは?
などと己の半生を振り返っていた時、ハッハッと息を切らせたリルが棒切れを咥えて戻ってきた。
楽しそうにキラキラと輝く彼女の黒い瞳は『もっと遊んで!』と雄弁に物語っていたのである。
「よしよし、なら今度は高ーく投げるよ。上手くキャッチできるかな?」
「キャン!」
『任せて!』と言ったように聞こえる。
俺は痛む腰を限界まで反らし、真上に棒切れを投げ上げた。
「あっ」
「キャンッ!?」
まるで強弓から放たれた矢のごとく、一直線に空へ消えていく棒切れ。
どうやら力を入れすぎたらしい。
しかも、落ちてくる気配は全くなかった。
どこまで飛んで行ったと言うのであろうか。
『どうすんのアレ? さすがに取れないよ』と言わんばかりにジト目で俺を見つめるリル。
非常に申し訳ない。
俺としては軽く放ったつもりだったのだが。
「仕方ないね。リル、きみの気に入った棒切れをそこら辺から拾って来てくれよ。そうしたらまた投げてあげるからさ」
「キャウン!」
リルが一声鳴いて、庭の探索に向かった時。
「リヒトハルトさまは御在宅ですかな……おお! おられましたか!」
「リヒトハルトさま、ご機嫌麗しゅう」
二人分の声が門のほうから聞こえたのである。
俺がそちらへ振り返った途端、心臓が跳ね上がるのを感じた。
その二人の人物とは、副ギルド長のネイビスさんと、白百合騎士団団長のフィオナさんであったからだ。
フィオナ団長が来たってことは……
まさか、リーシャの身になにかあったのか!?




