特訓 2
「リヒトの旦那、あっしを特訓してくだせぇ!」
「は?」
グラーフが突然そんなことを言い出したのは昼下がり。
早朝から冒険者ギルドへ出かけていた彼が、帰宅して開口一番に放ったのがこれである。
その時俺は、あまり食べたくもない昼食を一人でもそもそと摂っていた。
朝食と娘たちのお弁当制作の際に出た残り物が勿体ないので、無理に胃へ押し込んでいる最中であったが、グラーフの血相にその手が止まってしまった。
「リヒトの旦那! あっしを特訓してくだせぇ!」
「待った待った! なんで二回言ったの!?」
「いや、旦那の反応が薄かったもんで、聞こえてねぇのかと思ったもんでさぁ」
「そんな大声、聞こえないわけないだろう? いいからまずは落ち着いてちゃんと説明しなさい」
「へ、へい……」
彼にしては珍しく神妙な顔で椅子へ腰かける。
そしてなぜか上目遣いで俺をチラチラとうかがっているのだ。
その微妙な気持ち悪さに耐えきれず、俺のほうから声をかけた。
「きみ、昼食はまだかい?」
「へい。朝からなにも」
「丁度良かった。これ、一緒に食べてくれないかな。朝食と弁当の残りで申し訳ないんだけど、一人じゃ食べきれなくてね。いつもならリーシャが全部ペロリと平らげて…………」
「…………」
会話の途中で押し黙ってしまった俺に、グラーフも無言で追随する。
俺がリーシャの件でどれほど心を痛めているか、彼にもわかっているのだろう。
だからこそ余計なことは言わない。
そんなグラーフの男気に、不覚にも感動してしまう俺。
「……ははは、すまないね」
「いえ」
「さぁ、腹が減っただろう? どんどん食べてくれよ」
「へい。いただきやす!」
沈んだ空気を振り払うように、もっしゃもっしゃと豪快に頬張るグラーフ。
彼の食べっぷりに、いくらか救われた気分になる。
やっぱり家族ってのはいいもんだねぇ。
ただそばにいるだけで救ったり救われたり出来るんだからさ。
「それで、特訓ってのはなんだい? 俺がリーシャとしていたような訓練かな」
「いやぁ、あれはあれで面白そうだったんですが、違いやす。冒険者適正試験のほうでさぁ」
「ほほう。ってことは筆記試験だね?」
「へい! お願いしやす! あっしはどうにも難しい言葉を並べられるとチンプンカンプンになっちまうんでさぁ!」
己が情けなかったのか、サラダの器に顔を突っ込んでしまうグラーフ。
彼も恥を忍んで打ち明けているのだろう。
「あっしも少ねぇ脳みそで必死に考えてたんです。リーシャの姐さんを手伝う方法がないのかって。そんで行きついたのが、冒険者になっちまえば少しはなにか出来るんじゃねぇかなと」
「……なるほど」
「今日、ギルドに行ってたのは直談判でさぁ。試験だのなんだのは後にして冒険者にならせてくれって」
「そんなことをしたのかい?」
「へい……冒険者になれば一般人が入れないような施設も入れるとか聞いたもんで……」
大きな勘違いをしているようだが、彼なりに考えた上での行動だったのであろう。
確かに冒険者には特権的に立ち入り禁止区域に入ることが出来る場合もある。
だがそれは、一部の古代遺跡などに限られているのだ。
当然であるが王宮や騎士団の宿舎はそこに含まれない。
そもそも、それが可能なら俺はこんなに悶々としているはずがないんだけどね。
でもまぁ、グラーフの気持ちはよくわかる。
その心意気は買おうじゃないか。
「わかった。俺で良ければ手伝ってあげるよ」
「本当ですかい!?」
「ただし、学校にはサボらずきちんと行くこと」
「へ、へい……すいやせんでした」
俺とグラーフは昼食を済ませ、後片付けをし、最近滞っていた屋敷内部の掃除や洗濯を終わらせた。
グラーフのお陰か、俺も前向きな気持ちが少しずつ湧いてきたのである。
リーシャが帰って来た時に絶対叱られるもんな。
『うわ! 汚っ! あー、もう、リヒトさんはダメですねぇ!』なんてことを言われるに決まってる。
いつもの、思ったことをストレートに言っちゃう病を発症させながらね。
それから俺とグラーフは庭の畑で作物のチェックと草むしりに励み、最後に水を撒いた。
そうこうしているうちに日もだいぶ傾いて、俺たちは二人の娘を迎えに学校へと赴いたのである。
「パパー! ぐらーふー!」
「お父さまー! あ! サボりのグラーフもいるのじゃー!」
「うげっ、サ、サボりじゃねぇですよアリスの姐さん……」
「はははは、子供たちにまで見抜かれてるじゃないか」
帰宅後、夕食と後片付け、それに娘たちと入浴も済ませた俺は、いよいよ特訓の準備を始めた。
まずは小さく切った長方形の紙束を用意する。
そしてそこに次々と文字を書き込んでいった。
「それはいったいなんですかい?」
「これはね、いわゆる単語帳だよ」
「たんごちょう……ですかい」
「うん。試験に出そうで重要な言葉を書いておくから、きみは何度も読み返して綴りも覚えるんだ」
「へ、へい」
「あー、おもしろそう! わたしもやるー!」
「わらわも一緒にやりたいのじゃー!」
「ほら、マリーとアリスも手伝ってくれるってよ」
「が、がんばりやす!」
「ミリア先生もおっしゃっていたよ。グラーフの記憶力自体は悪くないってね」
「そ、そうだったんですかい!? あぁ……ミリアママ……ミリアママだけはボクをちゃんと見ていてくれてるんでさぁねぇ……」
ダメだ。
グラーフの目が完全にイッちゃってる。
しかも『ボク』って……
いくらなんでもキモすぎないかね?
褐色の頬を赤く染め、黒い瞳にハートマークを浮かべてあらぬ虚空を見つめていた。
単語帳の完成にはもう少しかかる。
しばらくはこのまま放っておこう。
「じゃあ、ぐらーふ、これはなんてよむの?」
「えーと……冒険者……?」
「惜しいのじゃ。これは冒険者ギルドと読むのじゃ」
「あっ、そうでしたね」
「じゃあこれは?」
「えーっと、えーっと」
風呂上がりで頭にタオルを巻いたマリーとアリスメイリスが、グラーフへ単語帳を使っての猛特訓を開始した。
妥協を許さない娘たちにかかっては、いかなグラーフとて単語を嫌でも覚えざるを得まい。
暗記のほうは娘に任せ、俺は次の特訓材料制作に取り掛かった。
適正試験とはその名の通り、冒険者としての基本的な心構えや行動などを、簡単に確認するためでもある。
つまり俺が受けた試験と、彼が受けるであろう試験にそれほどの差がないことは明白であった。
グラーフは視覚的に覚えるほうが得意そうだと見て取った俺は、試験内容の図解化をはかったのだ。
大きな画用紙に略式の絵を描いて、それを見せながら説明したほうが良いと判断したのである。
しかし、ここで重大な問題が発生した。
俺には致命的に絵心がなかったのだ。
その絵を見た全員が大爆笑するほどに。
マリーは大の字になって笑い転げているし、アリスメイリスは床をバンバンと叩きながらお腹を抱え、グラーフは涙を流しながらゲラゲラ笑っていた。
その様子があまりにもおかしくて、俺まで大笑いをしてしまう。
これほど笑ったのは、リーシャがいなくなって以来、初めてではなかろうか。
ともあれ、全員からダメ出しを受けた俺よりも、はるかにマシなマリー絵師と交代したのである。
俺の説明とポーズの通りに描き出していくマリー。
うんうん。
流石は俺の娘だ。
上手に描けてる。
更に幾枚か絵を描いてもらい、それを使って紙芝居風にグラーフへ解説をする。
単語帳に書き込んだ言葉を交えつつだ。
これならば状況が絵によってひと目でわかるし、難解な単語もさり気なく織り込めるのである。
効果は抜群なようで、グラーフどころかマリーとアリスメイリスも俺の説明に聞き入っていた。
どうやら彼と娘たちの精神年齢は同じくらいらしい。
ま、女の子のほうが成熟も早いって言うからね。
あんまり早く成長されるのも、親としては寂しい限りなんだけれど。
そして、そんなこんなの特訓は、夜遅くまで続いたのであった。
翌日、全員が寝不足に陥ったことは言うまでもない。




