娘ができました
「お、俺はきみのパパじゃないんだよ」
「ううん! パパだもん!」
俺の首に顔を摺り寄せる少女。
この子は突然何を言い出すんだろうか。
もしかして、恐怖体験から記憶を混同しちゃってる、とか?
だとしたらあまりにも可哀想だ。
とてもじゃないが無下にできそうもない。
でもな、こう言うことはきちんと話し合ったほうがいいと思うんだよ。
たとえ相手が幼い少女であってもね。
「どうして俺がパパだと思うんだい?」
「だって、かみのいろもおめめのいろも、わたしとおなじ!」
あぁ、そう言うことか。
確かに俺も金髪碧眼だ。
無精ヒゲにまみれてはいるがね。
でもそれだけで?
「あとね、パパといるとなんだかうれしいきもちになるの! パパってかんじのにおいもするの!」
「そ、そうなんだ? 臭うのか……まさか加齢臭……? 身体はちゃんと洗ったんだけどなぁ……じゃあさ、お名前を教えてもらえるかな? 俺の名前はリヒト。きみは?」
「……マ……マリー……?」
疑問形!?
うーむ。
これはもしかしたら大変なことになるかもしれないぞ。
「そうかぁ、ならマリーって呼んでもいいかい?」
「うん! パパ!」
元気に返事をし、ニッコリと笑うマリー。
それはいいが、パパじゃないってのに。
でもさぁ、強く否定なんて出来ないよな。
パパって呼ばれてちょっとだけ嬉しい俺もいるんだよね。
「マリーのお家はどこだかわかるかな?」
「わかんない」
おやまぁ、即答ですか。
こりゃまずいな。
予感が確信に変わりそうだぞ。
「じゃあ、ママはどんな人?」
「……わかんないの……ママのおかお、おもいだせないの……」
「そうか、いいんだ。変なこと聞いてごめんな」
途端に悲し気な顔になるマリー。
俺はそっとマリーを抱きしめて背中を撫でた。
確定だ。
最悪の事態だ。
どうやら、マリーは記憶を失っているらしい。
恐ろしい体験が原因で記憶を無くしたのか。
それとも、元々記憶が無いのかはわからないが、由々しきことには変わりがない。
もうひとつ、重要なことがある。
彼女の両親を捜索するのは困難を極めると言うことだ。
俺はこの子を見つけた時から両親を探してやろうと思っていたのだが、記憶が全くないのでは探しようがない。
こういう場合はどうするべきなんだろう。
アトスの街へ帰って衛兵に預ける、とか?
それとも、冒険者ギルドへ俺から捜索の依頼を出すとか?
……ちょっと待てよ。
ふと思い出したんだが、冒険者特別権限の項目になんて書いてあった?
確か『遺跡等において、特別な発見が成された場合は冒険者ギルドへの申告が義務付けられる』だったか。
……よし!
思い出さなかったことにしよう!
マリーのケースはこれに当てはまらないと思うよ、うん。
小さな少女を『特別な発見』とは、普通言わないよな、うんうん。
「パパー。わたし、あつくなってきちゃった」
「あ、ああ、そうか。そうだな、そろそろ上がろうか」
「うん!」
子供は体温が高いからな。
すぐのぼせちゃうのかも。
俺はマリーの身体をタオルで拭き、服を着せようとして困った。
またこの粗末な服とも言えぬ布を着せるのは忍びなかったのだ。
でも裸のままでは湯冷めしそうだしなぁ。
丁度その時、風呂場の扉がノックされ、ヨゼフさんの声がその向こうから聞こえてきた。
「リヒトさん。脱衣所へワシの娘が小さいころに着ていた服を置いておきます。良かったらその子に着せてあげてくだされ」
「ありがとうございますヨゼフさん! なにからなにまで本当に助かります!」
何と言う神の思し召し。
マリーはきっと神々に愛された子なんだろう。
なにせこんなに人の良い俺に拾われたんだからな……なんちゃって。
自画自賛もほどほどにして、俺はマリーに服を着せた。
柔らかな綿の白シャツと、青い吊りスカート。
おお……ちゃんと下着まである。
どれもこれもサイズがぴったり!
ヨゼフさん、あなたが神だ。
俺も着替えを済ませ、タオルで頭を拭きながらマリーの手を引いて居間へ戻った。
リーシャもヨゼフさんも、マリーの愛らしい姿を見て目を丸くする。
そして瞬時に目尻がさがっていく。
わかるわかる。
可愛いもんなマリーは。
「リーシャ、ヨゼフさん。この子はマリーと言う名でした。それがどうにも記憶を……」
「キャー! マリーちゃんて言うの!? 可愛い~~! お姉ちゃんのところにおいでおいでーー! 冷たい牛乳があるよー! 牛乳は好きかな? 飲めるかな~?」
「おぉ、おぉ! 実に愛らしい子ですのう! ワシの孫にも負けておりませんな! いやぁ、その服も良く似合っておる! 娘が小さかった頃を思い出しますわい!」
あの……盛り上がるのは良いんですけど、俺の話も聞いてください。
今、大事な説明をしてるところなんですがね。
「そうでしたか……記憶を……うっうっ、これほど幼いのになんと不憫な……」
「ぐすっ、マリーちゃん……大変だったね……」
俺が説明を終えると、二人はいきなり泣き出した。
マリーは、リーシャの膝の上でコクコクと牛乳を飲みながらキョトンとしている。
自分の状況が哀れだなんて思ってもいないのだろう。
うぅ……それがまた涙を誘う。
歳のせいか俺も最近涙もろくてな……
……よし、おじさんは決心したぞ。
「それでですね、冒険者ギルドに預けるのも忍びないんで、しばらく俺が面倒を見ようかと思ってるんですよ」
「賛成ですぞ!」
「大賛成に決まってます!」
賛成多数!
じゃなくて挙手、早っ!
一応、本人にも聞いておかないとね。
後から『人攫い!』なんて言われても困るし。
「なぁ、マリー。しばらくの間、俺がパパになってもいいかい?」
「うん、パパはわたしのパパだもん、ずっといっしょにいたいの」
ですって。
こりゃ聞くまでもなかったかな。
「や~~ん! 可愛い! 可愛い~~!」
「なんと健気な子だ……ウッウッ……」
膝に乗せたマリーを後ろから抱きしめるリーシャ。
顔がびっくりするぐらいデレデレだぞ。
ほらほら、牛乳がこぼれるって。
ヨゼフさんに至っては最早号泣してるし。
「ではそろそろ夕飯の準備をしますかのう」
ビショビショのハンカチを持って立ち上がるヨゼフさん。
泣きすぎですよ。
脱水症状になったらどうするんです。
「いえ、さすがにそこまでご迷惑はかけられません。一応携行食を持ってきてますので」
「なにをおっしゃいますかリヒトさん。そんな幼子に干し肉を食べさせるおつもりですかな? ワシとて固い干し肉には辟易するくらいですぞ」
ぐっ。
そう言われちゃうと何も言い返せない。
俺だってマリーには栄養のあるものを食べさせたいからね。
このくらいの年齢の子には栄養価の高い食べ物を与えよ、と何かで読んだし。
「ではこうしましょう。リヒトさん、宿泊代としてワシに料理を振る舞ってくださいませんかな? 幸い、搾りたての牛乳はありますし、シチューの材料も揃っておりますので」
「あぁ、それはとても良い考えですね! 喜んでお作り致しますよ!」
「わぁ! リヒトさんの料理に興味があったんですよ私! お手伝いさせてください!」
「わたしも! わたしもパパのおてつだいするのー!」
何と言う嬉しい申し出。
ヨゼフさんは本当に俺の料理を愛してくださっていたんだな。
これこそ料理人冥利に尽きるってもんさ。
俺はエプロンを借り、リーシャとマリーを引き連れて早速キッチンへ向かった。
「はい、あーん」
「あーん! ……はふ、はふ」
「焦らなくてもいいからね。ゆっくりと、よく噛んで食べるんだよ」
「……うん!」
「美味しいかい?」
「とっても!」
マリーは俺の膝の上で、ピンク色のほっぺが落ちちゃうんじゃないかってくらい美味しそうな表情をしていた。
俺はスプーンにすくったシチューへ念入りに息を吹きかけて冷ます。
火傷なんて洒落にもならんからな。
「…………」
「……………………」
一生懸命シチューを頬張るマリーを、とんでもなくだらしない顔で見守っているのはヨゼフさんとリーシャだ。
二人とも隙あらばマリーの口の周りを拭いてやろうと、タオルを握りしめ身構えている。
どんだけマリーの世話をしたいんだ。
あのですね、あなたがたも食べていいんですよ?
せっかくのシチューが冷めますけど。
それとも、熱くて食えないってんなら俺がフーフーしましょうか?
「あむ、あむ」
「野菜もちゃんと食べられるんだね、偉いぞマリー」
「えへへー、パパのしちゅー、おいしいんだもん」
「はぁん……マリーちゃん、かわいすぎるよぉ……」
「愛くるしさに言葉も出ませんな……」
こうして、おっさん爺さん女の子によるデレデレの夜は更けていくのであった。