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娘の決断


「……バカな……封印解除の儀式になにか手違いでもあったと言うのか……ま、まさか、神々め……二重に封印を……?」


 メラメラと燃え盛る炎の中で、絶望と驚愕に満ちた声を漏らすオークロード。

 周囲にやたらと香ばしい匂いが漂っているのは、彼がイノシシだかブタに似た生物のせいだろうか。


「いやいや、俺たちとしては心底ホッとしてるよ。あんたにとっては無念かもしれない。だけど、俺はこの世界を気に入ってるんでね」

「……フン……それもよかろう……貴様らの勝ちだ、人間……」


 ズゥゥウウン


 そう言い残すと、オークの君主はついに地面へ倒れ込んだ。


 野望を台無しにしてすまない。

 でもまぁ、今度生まれ変わったら善人になりなよ?



 自分たちの統率者が負けたと察したオークたちに、覆しようもないほどの動揺が走る。


 指揮系統は最早なく、どうしてよいのかもわからずに右往左往するオーク。

 多少なりと知性のあるハイオークなどは、地面にへたり込んでさめざめと泣いていた。


 この機を逃す手はあるまい。


勝鬨かちどきだ! 勝鬨を上げろ!!」


 俺の叫びをギルド職員たちが大声で復唱していく。

 たちまち沸き起こる大地も揺れんばかりの雄叫び。


 オォォォオオオオオオォォォォォ


 そして震えあがるオークの群れ。


「さぁ、ここからは掃討戦だ! ヤツらを西の辺境へ追い返そう! だけど無理に倒さなくていい! 少しばかり連中の尻を蹴っ飛ばしてやれば逃げ帰るはずさ!」


 ウォォォオオオォォォォ


「西へ! 西だぞ!」

「追え! 追えぇ!!」

「おらおら! とっとと逃げろよブタどもぉ!!」


 冒険者に背後から追い立てられ、一気に西へと潰走していくオーク。

 人数的には冒険者のほうが遥かに少ないのだが、元々統率力のないモンスターな上に、指揮官まで倒されたのではたまったものではなかろう。


 俺は、息も切らせず走り寄ってきたリアムさんへ、『決して彼らに深追いはさせないように』と念を押す。

 彼は深く頷き、音も立てず冒険者たちの後を追って行った。


 さてと。

 大まかにはこれでなんとかなるだろう。

 後事は彼らに任せても問題あるまい。


 俺にはもうひとつやることがあるんでね。


 少し足を踏ん張りながら、【飛翔】のスキルを発動させた。

 このスキルは飛び立つ瞬間が一番難しいのである。


 軽々と宙を舞った俺は、湖の中央まで一飛びし、溺れて泣きわめく子犬をヒョイと拾い上げた。

 ただでさえ小さい身体なのに、純白の毛皮も濡れそぼって余計貧相な姿になってしまっている。


 犬とか猫って濡れると縮んだみたいに細くなるよね。


 懐へ子犬を収めようと思った時、シャラシャラと綺麗な金属音がした。

 手にも金属の感触。

 よく見れば子犬の全身には、非常に細い白銀の鎖が巻き付いているではないか。


 おいおい。

 この子が本当に【フェンリル】だってのかい?


 だとしたらオークロードの魔獣復活と言う目的自体は果たされていたと言うことになる。


 俺の懐で震えながらクゥンと鼻を鳴らす【フェンリル】のようなもの。

 とてもじゃないが、伝説の【封印されし魔獣】とやらには見えない。


 ま、まぁいいや。

 さすがに溺れさせたまま放っておくわけにもいかないからね。

 そんなことをしたら。マリーやアリスからどんなそしりを受けるかわかったものではないよ。


「パパー!」

「お父さまー!」

「リヒトさーん!」

「旦那ァ!」


 まだチロチロ燃えているオークロードを目印に祭壇へ飛び戻った俺の元へ、マリーとアリスメイリス、リーシャにグラーフが駆け寄ってきた。

 そのままの勢いで抱き着いてくる二人の娘。


 よしよし。

 怖い思いをさせちゃったね。


「あー! わんわん! わんわんがいるー!」

「子犬なのじゃー! かわゆいのー!」

「キュウン?」


 あれぇ?

 そっちぃ?


 娘たちの興味が一瞬で俺から犬へ移っちゃったぞ。

 ……犬に負ける父親って……


「わぁー、真っ白で可愛い子犬ですね! あ、私タオル持ってますから拭きますよ。よしよし、いい子ねー」

「ほほぅ、こいつぁ、メスでさぁね」

「バカグラーフ! そんなこといちいち言わなくていいの!」

「すっ、すいやせん姐さん!」


 あれあれぇ?

 リーシャとグラーフも……?

 俺をねぎらってくれる人は家族の中にいないのかい……?


 リーシャにタオルで拭き取られ、すっかりフワフワのもふもふ毛並みへ戻った【フェンリル】……っぽい子犬。

 ヘッヘッと小さな舌を出しながら、ピコピコ尻尾を振っている。

 満面の笑みでそれを抱きかかえているのはマリーとアリスメイリスだ。


 あー。

 なんだかすっごく嫌な予感がするんですけど。


「ねー、パパー」

「のー、お父さまー」


 ほら来た。


「このわんわん、おうちでかってもいい?」

「うちで飼いたいのじゃー」


 やっぱりね!


「だめだめ。家では面倒をみられないよ」

「えぇ~!? ……だって、ここにおいていったらひとりぼっちでわんわんがかわいそうだもん……」


 瞳に溢れんばかりの涙を溜めてマリーは訴えかける。

 ズキリと痛む俺の胸。


 だが親として、ここはきちんと話しておかねばならない。


「いいかいマリー。生き物を飼うってことはね、とっても大変なことなんだよ。嫌になったからって、途中で投げ出したりなんかできない。もしかしたら他の人にかみついたりして怪我をさせちゃったりするかもしれない。だから、しつけや世話をしたうえで責任を持つのが飼い主の役目なんだ」

「……」


 俺の言葉を無言で聞くマリーとアリスメイリス。

 対して、腕組みで目をつぶり、大きく頷いているリーシャとグラーフ。

 この二人も幼少期に似たような経験を経てきたのだろう。


 俺もそうだった。

 猫を拾ってきては母親に毎度怒られたもんさ。


 俺とて頭ごなしに駄目だと言っているわけではない。

 むしろ、責任感と覚悟をもって臨むと言うのであれば、以降の判断は娘に任せるのもやぶさかではないとすら考えているのだ。


 小さな頭を大いに悩ませ、真剣な顔で思考を巡らせているマリー。

 そんな表情が、俺に娘の成長を感じさせるのであった。

 

「……パパ。わたし、それでもこのわんわんをかいたいの! ちゃんとおせわもするから!」


 マリーが下した、初めての決断。

 当然だが俺はそれを尊重するつもりだ。


「お父さまぁん、わらわからもぉ、お願いなのじゃぁ」

「こらこら、アリス! そんなのどこで覚えてきたんだい!?」


 シナをつくってクネクネと俺にすり寄るアリスメイリス。

 愛娘にこんなことを教えた不届き者に天誅を食らわせたい気分である。


 俺はしゃがんで、娘たちの瞳をしっかりと真正面から見据えた。

 本気の話し合いをする時には、視線の高さを合わせねばならない。


「マリー、アリス。二人できちんと面倒をみるって約束できるかな?」

「はい!」

「はいなのじゃ!」

「……よし、わかった。その子犬は今日から我が家の一員だよ」

「! やったぁ! パパだーいすき!!」

「愛してるのじゃお父さまー!」


 犬を抱えたまま俺に抱き着いてキスの雨を降らせる二人。

 キュン、と子犬も悲鳴をあげる。


「ははは、子犬が潰れちゃうよ。おっと、そうだ。名前をつけてあげなくちゃならないね」

「パパにきめてほしいの! わんわんもパパのこどもになるんだもん!」

「それはいい考えなのじゃ!」

「えぇ!? 俺がかい!?」


 ものすごく期待に満ちた目で俺を見つめるマリーとアリスメイリス。

 瞳が今にもこぼれ落ちそうなほど見開いている。


 こりゃ参ったね。

 名前、名前かぁ。


 ……そのまんま【フェンリル】じゃ怒られそうだしなぁ。

 うーん。

 少し捻ったほうがいいよね。


 グラーフがこの子犬はメスだと言っていたな。

 となると女の子っぽい名前がいいか。


 フェンリル、フェンリル……


 そうだ!

 『フェン』の部分を取って、『リル』って言うのはどうだろう!?

 我ながら悪くないと思う!


「えーと、『リル』なんて名前はどうかな?」

「リル!? かわいいかわいいー!」

「リル……うん、さっすがお父さま! いい名前じゃのー! この子にピッタリなのじゃ!」

「やりますねリヒトさん。私が思い浮かんだのなんて『シロ』とか『ポチ』とかすっごくベタベタな名前でしたよ。あははは」

「旦那のネーミングセンスにゃ脱帽しましたぜ。あっしなら考えるのが面倒臭くて『犬』とか呼びそうでさぁ」


 おお。

 なかなか好評なようじゃないか。

 娘たちも気に入ってくれたみたいだし。

 よかったよかった。



「よーし。今日からきみの名前は『リル』だよ。わかったかい?」



 リルの頭を撫でながらそう言うと、まるで俺の言葉を理解したかのように、キャンと一声鳴いて返事をしたのである。




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