魔獣伝説
「伝説、ですか? いやぁ、俺は田舎者なんで伝承には疎いんですよね……ははは、お恥ずかしい」
「いいえ、【黒の導師】さまも、きっと聞いたことがあると思います。『封印されし魔獣』伝説を」
ギルド職員の言葉に、ガンと脳天を打ち抜かれたような衝撃が走る。
この国ではかなりポピュラーな伝説であったからだ。
遥かな太古。
250年前に起こった『魔神大戦』よりも遠く昔。
まさに神代の頃。
昔々あるところに、とても大きく、とても強く、とても賢い一匹の狼がいました。
狼は、その大きさで地上の全てを壊してしまいました。
それを見て怒った神さまたちは、狼をこらしめようとしました。
ところが狼は、その強さで神さまたちを逆にやっつけてしまったのです。
困った神さまたちは集まって相談しました。
こらしめられないのなら閉じ込めてしまおうと決めたのでした。
狼は、神さまたちによって決して切れない鎖につながれてしまいました。
そして、湖の底へ沈められてしまったのです。
狼は、その賢さで、今もどうやって地上へ帰ろうか考えているのでしたとさ。
と、まぁ、要約すればこんな感じのお話だ。
子供のころに読んだ絵本の記憶がベースだから、ちょっと幼児向けな内容になってるけどね。
「ちょっとだけおおかみさんがかわいそう」
「わらわもそう思うのじゃ、マリーお姉ちゃん。でも、悪いことをすれば叱られるのは仕方のないことなのじゃ」
「うん、そうだねありすちゃん」
マリーとアリスメイリスは、リーシャからこのお話を聞かせてもらったらしく、実に可愛らしい意見を交わしていた。
「いつもは優しいお父さまとて、怒った時にはこーんな顔になるからのー」
「あははははははは! ありすちゃん、パパにそっくりー! あはははは!」
えぇ!?
俺ってそんなに目をつり上げて怒ってるのかい?
しくじったなぁ、そんな風に見えているなんてね。
こらこら。
リーシャもグラーフも笑いすぎですよ。
その様子にギルド職員も少し笑みを覗かせる。
王都へ残してきたという妻子を思い出しているのだろうか。
「失礼。そう言えばお互い名乗ってませんでしたね。俺はリヒトハルトです」
「ああ、いえ、こちらこそ失礼いたしました。私はリアム、冒険者ギルド諜報部長を務めさせていただいております」
改めて握手を求める。
国からの依頼なだけあって、ギルド側も精鋭を送り込んでいるようだ。
この人もかなり優秀なんだろうなぁ。
俺よりも少し年下に見えるけど、要職に就いているんだからね。
「それでですが、【黒の導師】さま……いえ、リヒトハルトさまならば既にご推察かとは思いますけれど」
「このおとぎ話は現実にあったことだと?」
「はい、その通りです。王立学術院所蔵の文献に照らし合わせると、どうやら件の湖がここのようなのです」
「……うーん。それが本当だとして、今回のクエストとなにか関連性があるんですか?」
今ひとつフワッとした話に、少々懐疑的な俺。
仮に伝説の魔獣が現存していたとしても、お話の通りならば神々の封印を施されてるはず。
その封印を解こうとでもしない限り、別段問題はなさそうであるが……
「……まさか」
「流石ですね、もうお気付きになりましたか」
リアムさんの表情で察してしまった。
つまり、その封印を解こうとしている者がいるのだ。
「……そんなことが可能なのは、人間以上の知性を持つ者……」
「はい。オークロードです。湖のほとりにある古い祭壇にて、なにやら怪しげな儀式をしているとの報告もありました」
またしても俺の脳天にハンマーが振り落とされたような衝撃を感じた。
なにもそんなストレートに言わずともよかろうに。
あまり考えたくない事態なんだからさぁ。
「まずいですね」
「ええ、非常にまずいです」
「すぐにでも行動を開始するべきでしょう」
「はい。かつて、世界を滅ぼしたとされる魔獣など、復活させるわけにはまいりません」
「ですが、取り敢えず魔獣の件は伏せておくべきですね。今そんな説明をしても無用な混乱を招くだけです。彼らには当初の目的であるオーク退治に集中させましょう」
「た、確かにリヒトさまのおっしゃる通りです。では、私はそれを念頭において冒険者を鼓舞することにします」
リアムさんは闘いへの参加を促すために冒険者たちのところへ去って行った。
俺もこれからどう対処すればよいのか思案に暮れてしまう。
そんな俺へ、リーシャとグラーフが声をかけてきた。
気負っていると感じたのか、軽い口調でだ。
二人の気遣いを汲み取り、俺も軽口で返す。
「なんだか大変なことになってきちゃいましたねリヒトさん」
「旦那ぁ、どうするんですかい?」
「全くだね。まぁ、どうもこうもないよ。こうなったらやるしかないってだけさ」
「でさぁねぇ」
「でも、マリーちゃんとアリスちゃんは……?」
「うん。それなんだけど、次戦では俺が前に出ることになるだろうし、きみら二人で娘たちを守ってあげてくれないかな?」
「任せてくだせぇ! あっしが身体を張って姐さんがたを守りやすぜ!」
「勿論ですよ! リヒトさんは後ろを気にせず思い切りやっちゃってください!」
頼もしいリーシャとグラーフに、思わず笑みがこぼれる。
俺のちっぽけな人生の中でも、二人の娘ときみたちに出会えたことが一番の宝物だよ。
「マリー、アリス。こっちへおいで」
駆け寄ってくる娘たちをしゃがんでギュッと抱きしめる。
二人も俺の首に手を回し、しっかりと抱き着いた。
「いいかい二人とも。ちゃんとリーシャの言うことを聞くんだよ」
「はい!」
「はいなのじゃ!」
「いい子だ」
マリーとアリスメイリスの額にキスをしてから立ち上がった時、リアムさんの檄が飛んできた。
「今現在、我々は、いや、この国は危機に瀕していると言ってもいい! この水源を奪われると言うことは、ここにいる我々だけでなく、王都にいる諸君らの大事な人々にも危害が及ぶのだ! これを黙して見過ごすというのか!?」
集められた冒険者たちは、リアムさんの檄に黙って耳を傾けている。
最初はみんな下を向いていたが、家族や友人、恋人が害されると聞くや、ハッとした表情へ変わっていった。
「確かにモンスターの数は多い! だが安心してほしい! 諸君も先程の凄まじい闘いの中で見たであろう! 【闘神】と言っても過言ではない、【黒の導師】さまの雄々しきお姿を!」
オオオッと歓声があがる。
やめてくれぇ。
聞いてるこっちが照れくさくてかなわん!
リアムさん、俺がプロパガンダに使われるなんて聞いてませんよ!
「神が我々のために救世主を遣わしたのだ! 冒険者諸君! 【オリハルコン】級冒険者、【黒の導師】リヒトハルトさまが先頭に立ってくださるぞ! さぁ、立ち上がれ! そして奮起せよ! 我々も勇者となるのだ!」
ドォォオオオオオォォォ
大歓声と興奮の坩堝。
一斉に立ち上がった冒険者たちが、俺を期待に満ち溢れた瞳で見つめる。
全く、リアムさんめ。
この流れは完全に想定外だったよ。
演説が上手いようだし、政治家にでもなったほうがいいんじゃないのかい?
これはもう、俺もやけっぱちになるしかないよね。
俺は内心冷や汗ダラダラであったが、余裕たっぷりに笑いつつ右拳を高々と突き上げて見せた。
ウォォオオオオオオオォォォ
歓喜した冒険者たちはこぞって呼応し、次々と同じように腕を突き上げるのであった。




