ハプニング? いいえ、お約束です
「うわぁ! リーシャが落ちたぞ! なんて無茶をするんだあの子は!」
「おねえちゃーん!」
「姉さまー!」
墜落したリーシャの元へ慌てて向かう俺。
あの高さから落ちたのでは重大な怪我を負った可能性も否定できない。
俺ですら【コートオブダークロード】の【飛翔】スキルは操作性がピーキーすぎて持て余したくらいだからな。
練習の時に何度も岩や地面に激突した俺を見ていたし、彼女もこれが危険なのは知っていると思ってたんだがね。
それでも、向こう見ずだけど優しいリーシャのことだ。
俺たちが心配でたまらず制止するグラーフを振り切り、文字通り飛んで来てくれたんだろうね……
素敵な子だよ本当に……
あぁ、とにかく急ぐんだ!
頼む!
無事でいてくれ!
水を蹴る足がもどかしくて仕方がない。
波は穏やかなのだが、海水が粘液のように両脚へまとわりついてくる。
気ばかりが急いている証拠に他ならなかった。
両腕が娘たちを抱えて塞がっているとは言え、俺はひょっとしたらこの二人よりも泳ぐのが遅いのではなかろうか。
水面に薄膜のごとく広がった黒いマントがやけに遠く感じる。
それでもなんとか黒布の端を掴み、急いで手繰り寄せると、リーシャはマントの真ん中に仰向けで浮いていた。
だが……これは……なんてことだ……
いかん、目を逸らすんだ俺よ!
こんな光景を瞼に焼き付けてはいけない!
そうは思うが意思に反して俺は凝視するしかなかったのである。
俺の目に映し出されたのは、あまりにも凄惨な光景であった。
リーシャの……真っ赤な……ビキニがいつの間にか無くなって……
その……そこそこ豊満な胸が露わになっていたのだ!
ぐはっ!
これは効く!
眩しすぎるよ!
「りーしゃおねえちゃん、おっぱいおおきいねー! いいなー!」
「わらわにもあのくらいあればよかったのじゃが……」
「なんの話だい!? こらこら! ツンツンしてはいけません! プルンプルンで目の毒です! そうだ、それよりもリーシャの水着を探してくれないかな? 丸出しじゃ可哀想だし」
「はーい」
「了解なのじゃー」
「あんまり遠くへ行くんじゃないぞー」
ぱちゃぱちゃと泳ぎだしていくマリーとアリスメイリス。
二人の姿を見失わないように注意しつつ、俺はリーシャへ近付いた。
なるべく、おっぱ……胸を見まいと無駄な努力をしながらリーシャの具合を確かめる。
ふぅ、取り敢えず出血や目立った外傷はないようだね。
しかしまぁ随分と立派な……いや、丈夫な身体……
ああ!
そうか!
【コートオブダークロード】の保有アビリティに【衝撃無効】が付いているのを思い出したよ!
なるほど、これに包まれて落ちたから怪我はなかったのか。
でも、リーシャは豊満な……じゃなくて、頑丈な身体に産んでくれた両親へ感謝するべきだろうね……
「リーシャ、リーシャ」
仰向けのまま目を閉じているリーシャ。
軽く頬を叩きながら呼びかけてみるが、反応はない。
顔色もあまりよくないように見受けられる。
赤毛もペッタリと額や頬に張り付き、なんだか痛々しく思えた。
む?
気絶してるのかな?
脈は……よしよし、ちゃんとあるな。
あれっ?
……ちょっと待て……
いかん!
呼吸をしていない!
失礼して美しく柔らかな胸に耳を当てると、肺がゴポゴポと音を立てていた。
どうやら水を大量に飲んでしまったらしい。
えーと、えーと。
こういう場合は……
「人工呼吸じゃの」
「まうすとぅまうすがいいんだってみりあせんせいがいってたよ!」
「なっ!?」
いつの間にか戻って来ていたアリスメイリスとマリーが俺の耳元で言った。
マリーの手には赤い水着が握りしめられている。
任務を果たして帰って来たのだろう。
それはいいけど、愛娘にミリア先生はいったいどんな授業をしてるんだ……
あー、元々は水泳の授業があるのに泳げないのは恥ずかしいから教えてくれって娘たちに頼まれたんだっけ。
「じ、人工呼吸……か」
確かにそれしかないだろうし、無論やりかたも知ってはいる。
アトスの街の冒険者ギルドで講習を受けたからだ。
だけど……
いくら緊急時とは言え、うら若き少女の唇を奪ってもいいものなのかね?
「なにを照れておるのじゃお父さま!」
「パパー、おねえちゃんをたすけないの?」
「はっ!? そ、そうだね……ええい!」
娘たちに諭されて俺は覚悟を決めた。
リーシャの顎を上げ、唇を寄せる。
水中なもんだから身体を固定するのもままならない。
「わくわく」
「ドキドキするのじゃ」
「!?」
物凄い勢いで凝視している娘たち。
それも興味津々のキラキラした瞳で。
おませさん!
こういうのに興味が出ちゃうお年頃なのかな!?
いいかい?
これはキスじゃなくて人助けなんだからね。
二人に見せるのは教育に悪いのではなかろうか?
などと思ったが、そんなことを考えている場合ではない。
大きく息を吸い、リーシャの口から吹き込む。
リーシャの胸が上がり、次第に下がっていく。
まだ呼吸は戻らない。
もう一度!
無我夢中で何度も空気を送り込んだ。
唇の柔らかさを堪能するような余裕は全くない。
娘たちの熱視線を感じながら、ただただ息を吸っては吹き込むのみである。
そして幾度目かわからなくなったころ。
「……ん゛………………ん゛ぅ!? ん゛ーーーー!!」
「ぷはっ! 気付いたかいリーシャ!?」
「やったー! おねえちゃんがめをさましたー!」
「よかったのじゃー! 色んな意味でドキドキしまくったのじゃ!」
リーシャはようやく意識を取り戻したのである。
青白かった肌には朱が差し、飲んでしまった海水を吐き出していた。
「いやぁ、目を覚ましてくれてよかったよ。一時はどうなることかと」
「げほっ、げほ……はぁはぁ……うぅぅ……」
俺は彼女の背中をさすりながら癒術をかける。
しかしリーシャは何故か俺を恨めしそうに見るのであった。
「けほっ……リ、リヒトさん……マリーちゃんやアリスちゃんの前であんな激しいキスをするなんて……ひどいですよ……せめてもう少し場所やムードを考えてくれないと……」
「えぇ!? まだ脳に酸素が回ってないのかな!? 人工呼吸だよ!? きみは溺れて気を失ってたんだ!」
「なかなか濃厚じゃったのー」
「パパすごかったよねー?」
知ってか知らずか思い切り煽りを入れてくる娘たち。
悪気がないだけに余計タチが悪い。
そしてリーシャは我が身に起こった最悪の事態に気付いてしまったのだ。
「きゃぁぁぁ! なっ、なんで私、胸が……!? ……まさか、リヒトさんに……!?」
「待ってくれ! 俺はなにもしちゃいない! それは墜落の勢いで……」
「パパはおねえちゃんのおっぱいじっくりみてたよー。おおきいねーって!」
「リーシャ姉さまのはなかなか立派じゃからのー。わらわもほしいのじゃー」
「!? いやぁぁぁ! リヒトさんのエッチ! スケベ! 変態!」
「誤解だぁぁぁぁ!」
俺の放った魂の叫びは、虚しく大海原に吸い込まれて行くだけだったのである。




