パレード 2
嫉妬。
羨望。
憤怒。
怨嗟。
俺へ向けられる様々な思念。
止まぬどよめき。
シャルロット王女が放った投げキッスは、俺の周囲にいる観衆へ波紋を広げるばかりであった。
しかも当の王女本人は何事もなかったように、しれっと東公園側へ進んで行ったのだ。
そんな俺の心に何よりも突き刺さったのは、リーシャとミリア先生から向けられた白い目である。
後ろめたいことは何一つしていないのに、俺の動揺は収まらない。
シャルロット王女はなんでわざわざ俺の名を呼んだんだ!?
それさえなければこんなことにはならなかったのに!
あの夜の出来事は二人の秘密って言ってたよね!?
「パパー! すごいねー! おひめさまがちゅってしたよー!?」
「流石はわらわのお父さまなのじゃー! モテモテじゃのー!」
「おほほほ、【黒の導師】は伊達じゃなかったのねぇ。リヒトさんが王族と知り合いだなんて驚いたわぁ」
素直に賞賛してくれたのはマリーとアリスメイリスにジェイミーさんだけである。
いや、ジェイミーさんの場合は状況をわかっていながらも、故意に言っているような雰囲気だ。
お願いですから煽るのはやめてください。
事態が悪化するだけです。
「まさかとは思いますが、リヒトさんは王女さまと……こ、恋仲でいらっしゃるとか……? でなければあんなこと……」
ミリア先生が両手で口元を押さえながら悲しそうな瞳で俺に訴えかけた。
そんなわけがあるかと慌てて反論しかけた時、むんずと胸ぐらを掴まれる。
「リ、リ、リヒトさん! 本当なんですかそれ!? 嘘ですよね!? ね!?」
犯人はものすごい形相のリーシャであった。
普通の人間なら確実にムチウチになるほど俺の身体と精神を揺さぶる。
「おいおい、あのおっさん、嫁が二人と子供がいるのに、そのうえ王女にまで手を出したってのか……? どんなろくでなしだよ……」
「オレの王女さまに手を出しやがっただと? 許せねぇ! どいつだ!?」
「誰がお前の王女だ! 俺様のに決まってんだろうが!」
「なんだとぉ? あの投げキッスはオレに向けられてたもんだろ!」
「バカ言うな! 俺にだ!」
あぁぁ!
周りの観客まで揉め出したじゃないか!
リーシャ、ミリアさん、余計な飛び火をさせるのはやめてくれ!
「い、言っておくけど、なんらやましいことはないんだよ! 前に一度、偶然お声をかけていただいただけさ!」
怒りから涙目に変わったリーシャと、泣き崩れてしまいそうなミリア先生に向けて必死に言った。
こう言う場合は下手に嘘はつかず、概ねでも真実を語るしかない。
「……信じていいんですよね?」
「あぁ、勿論だよリーシャ。誓って何もない」
「リヒトさんは誠実な人ですもの、私も信じます」
「ありがとうございます、ミリアさん」
そんな俺たちの様子を見ていた周囲の野次馬からは『チッ』とか『ケッ』とか『なんだよ、ただの痴話喧嘩かよ。見せつけやがって。ペッ』などと言った声が上がる。
嫉妬なのか侮蔑なのかはわからぬが、取り敢えずはなんとかなったようであった。
今の騒ぎでリーシャの緊張もさらにほぐれたみたいだし、結果オーライってことかな。
…………あれ?
ちょっと待って。
これって結局、俺が恥をかいただけなんじゃ……?
「パパ、すごいあせ。わたしのじゅーすのむ?」
「あ、あぁ、ありがとうマリー。いただくよ」
「お父さま、わらわが汗を拭いてあげるのじゃ」
「すまないねアリス」
優しい娘たちのおかげでボロボロだった俺の心も潤うよ。
気分は介護される老人だが、この際それには目を瞑ろう。
ともあれ、パレードが二周目に差し掛かるころには、どよめきも俺の動揺も、そしてリーシャの緊張もだいぶ収まってきたのである。
例のピンク色に染められた巨大な象さん型の乗り物が、再び観客席の前を通る。
流石のシャルロット王女も疲れたのか、今度は席に座ったままおしとやかに手を振っていた。
その王女がチラリと意味有り気にこちらを見た。
俺はすかさず人差し指を口に当て、『余計なことは言うな』のジェスチャー。
シャルロット王女は了解の旨を俺に伝えるためか、バチンと魅力たっぷりなウィンクをしたのである。
ドォォォォォォオオオ
またも沸き起こる大歓声。
……この王女さまはもしかしてわざとやってるんじゃないだろうね……?
どうやら自分の存在がどれほど民衆にとって大きいのかをまるで理解していないようだ。
軽率な言動ひとつで国が傾くことも有り得ると言うのに。
ましてやこの国の世継ぎとなれるのは、このシャルロット王女をおいて他にはいない。
次代の女王となるべきおかたがこのようなご様子では周囲のお偉方もさぞや嘆いておられるだろう。
でもまぁ、王女が持つこの奔放さが人気の秘訣なのかもしれないね。
現王は暗愚とまでは言わないけれど、人気自体はそれほどでもないし。
代替わりを望む声も多いんだよね。
おっと、こんな考えは不敬罪になってしまうかな。
いずれにしてもあの王女と結婚する殿方は大変だね。
苦労するのが目に見えているもの。
パレードの列は歓声に見送られ通り過ぎて行く。
その隊列が完全に見えなくなった途端、正面に置かれた長方形の巨大な箱に、わらわらとどこからともなく男たちが集まってきた。
その中にグラーフの姿も見える。
つまり彼らは『冒険者ギルド青年部 生誕祭実行委員』の連中なのであろう。
その男たちが箱の三方を取り囲むと、壁に取り付けられていた綱を一斉に引っ張る。
『オーエス! オーエス!』と勇壮な掛け声とともに。
北側の部分だけを残して壁が動き出し、左右と手前に展開していく。
巻き起こる拍手の渦。
「ほぉー、こりゃあすごいね……まさかあの箱が舞台と観客席になるなんて……」
思わず感嘆の声が出てしまう。
三方向の壁は全て階段状の客席になっていたのだ。
俺たちのいる仮設の席とは違って、造りは立派だった。
多分だが、パレードを終えた貴族たちが座るのだろう。
北側の壁は王家の紋章と豪華極まる椅子が並んでいることから、王族用の席と思われる。
三方の壁は、きっと車輪か何かが取り付けられて可動式となっており、移動させると隠されていた舞台が現れる仕組み、と言うわけだ。
「毎年この『変形』を見るのが好きなのよ。男の子たちが懸命に流す汗……素敵だわ。おほほほ」
「そ、そうなんですか」
ジェイミーさんが頬を上気させながら見入っている。
まだまだ気持ちのほうはお若いようだ。
「王都の皆さーん! ごきげんよう!」
目算だが1メートルほどの高さがある舞台の上に立つ人影。
魔導拡声器を使っているのか、広場中に美しい声が響き渡る。
「えぇっ! 嘘っ!? 私、初めて見ますよ!」
「おいおいおい、本物かい!?」
俺とリーシャは揃って驚愕した。
「本日は王女シャルロットさまの生誕祭! お慶びを申し上げるとともに、わたくしマルグレーテより国歌を捧げさせていただきますっ!」
ウォォォォォオオオオォォォォオオオオ
パレードを凌駕するほどの大歓声。
主に男どもの声だが。
しかしそれは無理もなかろう。
【歌姫】マルグレーテを知らぬ者はこの大陸において存在しないくらいの絶大な人気を誇っているのだ。
俺も顔を見たのは、アトスの街で遠征コンサートを観覧した時の一度だけだが、歌は魔導蓄音機で何度も聞いたものだ。
彼女の持ち歌なら何でも歌えてしまうほどに。
朗々とアカペラで国歌を歌い上げるマルグレーテ。
観客の誰もが目を瞑り、それに聞き入っている。
天上の声とは、まさにこのことだろう。
歌い終えた途端、大歓声も復活した。
喉も張り裂けんばかりの野郎どもが発する絶叫。
「ありがとうございましたー! 引き続き『御前試合』も楽しんで行ってくださいねー!」
遠くてあまり見えなかったが、マルグレーテは舞台を降りて行った。
代わりに黒尽くめのタキシードを着た男が舞台に上がる。
「御前試合の出場者はこちらへお集まりください! 準備室が設けられております!」
「!!」
男の声にビクンと身体を震わせるリーシャ。
いよいよこの時が来てしまった。
「じゃ、じゃ、じゃあ、わ、私、行ってきます……」
カクンカクンと妙な動きで立ち上がるリーシャ。
ガッチガチの緊張状態に戻ってしまっている。
それをほぐしてやるのも、特訓パートナーとしての役目だろう。
「リーシャ、こっちへおいで」
「は、は、はい……わぷっ」
俺はリーシャを抱きしめた。
彼女の綺麗な赤毛をそっと撫でる。
「リ、リヒトさん? ……みんな見てますよ……」
「大丈夫だよリーシャ。きみなら勝てる。あの辛かった特訓を思い出すんだ。そしていつも通り行こうじゃないか。相手をグラーフだと思えば楽勝だよ」
「……はいっ。リヒトさんにそう言われるとやれる気がしてきました! そうですよね! グラーフならけちょんけちょんにしてあげます!」
すまんグラーフ。
ダシに使ってしまった俺を許しておくれ。
これもリーシャのためなんだ。
「りーしゃおねえちゃんがんばってね!」
「姉さま、肩の力を抜くのじゃ!」
マリーとアリスメイリスもリーシャに抱き着いて激励した。
これに彼女が奮起しないはずはない。
「うん! ありがとう、マリーちゃん、アリスちゃん! 私、やれるだけやってみるね!」
元気を取り戻したリーシャが力強く観客席を降りていく。
その背中には燃え上がる炎のようなオーラをみなぎらせていた。
「リーシャちゃん、勝てるといいわねぇ。勝利の女神にお祈りしておこうかしら」
「私、すっごく応援しちゃいます!」
ジェイミーさんとミリア先生も必勝を祈願してくれているようだ。
俺も祈ってるからね。
頑張るんだよ、リーシャ。
しかし、そんな俺へ声をかけてくる者がいた。
「【黒の導師】リヒトハルトさまですね? 申し訳ありませんが、こちらへきていただきます」
明らかに軍人と思われる服装の大男が、有無を言わせぬ口調でそう告げたのである。




