鬼
それからしばらくの間、俺とリーシャは特訓に明け暮れた。
その中で様々な訓練法が編み出されては消えていく。
効率的ではなかったり、『効果あるのこれ?』と疑問に思ったものは淘汰されるのだ。
その過酷な生存競争を生き残った訓練がこの三つである。
杭に木製の人形を取り付け、それを相手に木剣で打ち込む訓練。
人形はリーシャが作成したのだが、どことなくグラーフに似ているのは気のせいだろうか。
……リーシャ本人は嬉々として人形をボコボコにしているから良しとしておこう。
自分よりも大きな相手を想定しておくのは重要だからね。
拾い集めた小石を俺が投げ、リーシャが躱す訓練。
俺は当初、危険ではないのかと危惧した。
しかし、リーシャたっての希望で俊敏性と察知能力を高めたいからと強引に押し切られたのだ。
なるべく肌の露出していない部分へ向け、十二分に力を押さえつつ投げるがやはりどうしても当たってしまうことがある。
すぐにヒールで癒すものの、リーシャはかなり痛そうに顔をしかめていた。
女の子の身体をこれ以上傷つけるわけにはいかんと思った俺は、石のかわりに小さく柔らかい木の実を使うことにした。
我が家の木々に実ったものであるが、食用ではない。
だが、この木の実なら当たってもさして痛くない上に、命中した部分へ赤い果汁を付着させる。
つまり、どこに当たり、どう避ければ良かったのかの確認が出来るのだ。
「うぇ~ん! これじゃ血まみれに見えますよぉ!」
全身を果汁で赤く染めたリーシャの談である。
マリーとアリスが少しでもリーシャの手助けになればと一生懸命集めてくれた木の実だ。
全部使い切るまでこの訓練を終わらせる気はない。
そしてもうひとつ。
俺が放った攻撃を、剣で受けとめるか、受け流すか、躱すかの三択を迫る訓練だ。
全力を出さないとは言え俺の膂力による攻撃を受け止めるには、リーシャにもそれ相応の筋力が求められる。
彼女は元々筋力のステータス値が高い。
要はその長所を更に伸ばそうと言うものだ。
受け流す場合には体幹、言わば全身のバランス力が必要となる。
リーシャもここを重点的に鍛えたいらしく、積極的に受け流そうとするのだが結構な頻度で失敗した。
そのたびに俺は彼女へ当てないよう剣の軌跡を修正するべく、なけなしの神経をすり減らすのだ。
これじゃむしろ俺のほうが鍛えられちゃってるよ。
躱すのは動体視力と間合いの感覚、そして思考の瞬発力を鍛えるためだ。
なぜ躱すのかと言えば、そのあと瞬時に反撃へ移行できるからである。
特に相手の大振り。
これを見逃す手はない。
なので、躱しの訓練をする際は意図的に大きく振るのだが、『ぬるいです!』と俺が叱られるのだ。
躱せなかった場合はどうする気なのだろう。
いくら木剣でも当たりどころが悪ければ、最悪死ぬと言うのに。
いや、俺は自分で言ったではないか。
『緊張感を伴わねば成長しない』と。
涙を飲んで心を鬼とするのだ。
リーシャのためにも。
それからの俺はまさに鬼神の如し、であった。
半ベソのリーシャから「オニ!!」と罵られるほどに。
すかさずマリーとアリスメイリスが『おにごっこするの!?』と反応したのは言うまでもない。
「ごきげんよう。今日も精が出るわね」
我が家の門から顔を出しているのは、お隣のジェイミーおばさんであった。
邪魔しちゃ悪いとでも思ったのか、庭へ入ってこようとせず声だけかけてきている。
「ジェイミーさん、こんにちは。そんな遠くでは話も出来ませんよ。どうぞ、遠慮なさらず入ってください」
「そお? お邪魔じゃない?」
「いやいや、大丈夫ですよ。それとも、俺たちうるさかったですか?」
「いいえ、全然。じゃあ少しお邪魔しようかしら」
「どうぞどうぞ」
ゆっさゆっさと恰幅の良い身体をゆすりながら歩いてくるジェイミーさん。
俺は彼女に手製の木椅子を勧めた。
グラーフと俺とで作った自慢の庭用テーブルセットである。
椅子が5脚と丸いテーブル。
そしてグラーフ会心の作、大きな日傘が完備されていた。
せっかくの広い庭を生かさない手はない。
これらがあれば、庭でお茶や食事を楽しむことができるのだ。
はー、よっこいしょーと椅子へ腰かけるジェイミーさん。
「今、お茶を淹れてきますよ。リーシャ、少し休憩しようか」
「あらまぁ、お構いなく」
「私はまだ行けます。打ち込みの練習してますね」
二人の返事を背に受けながら家に戻った。
汗を拭き、茶を淹れてから戻ると、リーシャは人形相手に熱の篭った打ち込みを続けている。
それを黙って見つめるジェイミーさん。
「どうぞ、お待たせしました。リーシャもおいで」
「ありがとう、いただくわね。うぅ~ん、いい香り。リヒトさんのお茶は今日も最高だわね」
「もうちょっと打たせてください。今いいところなんです」
「リーシャちゃんは本当に熱心ねぇ」
「えぇ、全くです」
なんとなく俺とジェイミーさんは無言でリーシャの背中を見守っていた。
ここ最近、リーシャはオーバーワーク気味な気がする。
確かに御前試合の日は間近に迫っていた。
故に焦る気持ちもピークを迎えているだろう。
だが、無理に身体を動かしたところで結果がついてくるかは別であるのだ。
最低でも前日は完全休養にあてないとならないだろうね。
疲れを残したまま出場しても実力を出せるはずがないよ。
「リーシャちゃん、御前試合に出るんですってね。私も応援に行くわ」
「ありがとうございますジェイミーさん。是非見てあげてください」
「!?」
俺たちの声がリーシャに届いたのか、彼女の肩がビクリと震えた。
途端に滑らかだった剣筋が乱れ始める。
やっぱり緊張してるのかなぁ。
「行きたいと言っていたし、ミリアも連れて行くわね。そうそう、ミリアったらね、最近リヒトさんが忙しそうなもんだから、『お料理を教わりたいけど、訓練のお邪魔になるかしら……』なんて嘆いてたのよ」
「おや、そうでしたか。非常に申し訳なく思ってますとお伝えください」
ビクンビクン
今度はリーシャの全身が震えている。
しかし、それに反比例してグラーフに似せた木製人形を叩く音が力強くなった気がした。
「ミリア先生……いえ、ミリアさんは教師だけあって調理の覚えも早いですよ。まだ二回しか教えていませんがコツをつかむのも早いですし、俺にしてみれば優秀な生徒ですね」
「あらそうなの? これまで全然料理なんてしたこともなかったのに、今では毎日家でも作ってるのよ。やっと花嫁修業をする気になったのかしらね」
ビクビクビクン
ゴキッバキッ
リーシャが震える度に打撃音は加速度的に大きくなっていく。
じわじわとグラーフ人形の頭部が歪んでいった。
「もうあの子もいい年ですものね…………そうだ、リヒトさん、よかったらミリアを嫁にもらってくださらない?」
「えぇ!? 俺がですか!?」
「そうよ。あなたみたいな人なら安心して嫁がせることができるわ」
「で、ですが、ミリアさんは俺のことなんて、別になんとも思ってないでしょう? せいぜい『料理を教えてくれるおじさん』くらいにしか……」
「そんなことないわよ。あの子ったらね、毎日リヒトさんの話をするんだから。まるで恋する乙女みたいにね」
「むきぃぃぃぃ!」
バキィィィィ
あぁぁ!
グラーフ人形の首がもげたぁぁぁ!
リーシャ渾身の一撃がグラーフの、いや人形の首を刎ね飛ばすのであった。




