特訓
「今、『俺と結婚しよう』って言いました!? 言いましたよね!?」
「!? 言ってないですけど!? 特訓だよ! 特訓!」
「あぁ、なんだ、特訓ですか…………特訓!? 私が!? リヒトさんと!?」
いったいリーシャはどんな都合のいい耳をしているのだ。
なんの前触れもなくいきなり求婚するような度胸が俺にあるとでも思っているのだろうか。
それほど積極的な俺であったならば相手はどうあれ、とうの昔に結婚していそうなものだが。
ともかく、俺の投げかけた一言は、絶大な効果をリーシャにもたらしたようだ。
軟体生物のごときふやけた身体が瞬時に引き締まっている。
鮮度の落ちた魚のようだった目は爛々と輝きだしていた。
「特訓……いい響きですね……!」
「そ、そんなに?」
リーシャはマゾヒストの気でもあるのか、全身を興奮でみなぎらせている。
辛いことをいとわないその精神力は素晴らしい。
「で、なにをすればいいんですか?」
「うん。まずは庭に出ようか」
俺とリーシャは武装して庭へ出た。
きちんと朝食の食器を片付けてからなのは言うまでもない。
「さ、構えて」
「え、はい。でも、真剣でやるんですか?」
己の握った長剣を見つめて少し戸惑うリーシャ。
無理もない。
普通の訓練なら木剣なり刃を丸めたなまくらを使うはずなのだ。
たぶんだが、御前試合そのものも木剣で行われることだろう。
死人を出すのが目的ではなく、日ごろの鍛錬による賜物を見せるのだから。
「うん。短期間で実力を底上げするには緊張感が伴わないとダメだと思うんだ。無論、リーシャは俺を斬りつけて構わない」
「そんな……!」
「俺の身体がおかしいのは知っているよね? きっと大丈夫さ」
「でも……」
「あのチラシにはスキル使用禁止と明言されていた、ってことは、純粋な剣術によるガチンコ勝負なわけだろ? だったらもう徹底的に対人戦闘の勘を養うしかないと思う」
「そう、かもしれませんけど」
「さ、ここからはお互い剣で語ることにしよう」
俺は無駄に格好をつけてそう言ってから背中のバスタードソードをガラリと抜き放つ。
アトスの街に住む名工が鍛え上げた刀身はギラリと陽光を跳ね返した。
売らなくてよかったなぁ、この剣。
最近では使うこともないからと倉庫へ入れっぱなしだったんだけど、まさかまた日の目を見るとはね。
「さぁ、どこからでも来い」
「……」
「俺を剣の素人だと思ってるね?」
「……えぇ、まぁ。剣でリヒトさんに負けるとか有り得ませんから」
ここで出ちゃった!
『言いたいことをストレートに言っちゃう病』!
完全に舐められてるじゃないか!
「ほう。じゃあ、ちょっとだけ俺の実力を見せちゃおうかなー?」
「?」
俺はくるりと向きを変え、庭の隅に並ぶ木立へ剣を構えた。
訝し気なリーシャの視線が背中へ突き刺さる。
「ハァッ!」
俺は剣を上段へ振りかぶり、裂帛の気合と共に全力で振り下ろした。
ビシッと空気が斬り裂かれる音。
ズズズ……バキバキバキ
袈裟に断ち切られた樹木が倒れる。
「えぇっ!? す、すごいです! あの太い木を一太刀で! しかもこんなに遠い位置から! あんなのが当たったら死んじゃいますよ!」
口元に手を当てて驚愕するリーシャ。
俺が全力で振ったことにより発生した剣圧と衝撃波が、樹木だけではなく庭の地面をも断ち割っていた。
振り終えたあとの姿勢でドヤ顔を決めていた俺であったが、きっと頬は赤く染まっていただろう。
だって、狙ったのは隣の木だったんだよ……!?
完全にノーコンじゃないかちくしょう!
俺と言うヤツはどうにも決まらないねぇ……
しかし我ながらすごいと思うよ。
ただ思い切り剣を振っただけで、剣術もなにもないんだけどさ。
それでこの威力だからね。
名工の剣じゃなかったら俺の力に耐えきれず、へし折れてるところだったよ。
世の中には『魔剣』なんてものがあるらしいけど、それを俺が使ったらどんなことになっちゃうんだろうか。
「ど、どうだい? これでわかったろう」
「……はい……!」
恥ずかしさを誤魔化すようにふんぞり返ってみたが、どうやらリーシャの闘争心にうまいこと火が付いたようだ。
口を真一文字に結び、俺へ向けて剣を構え直す。
いい子だ。
それでこそリーシャだよ。
さて、俺も本で齧った程度の剣術知識でどこまでいけるかな。
「さぁ、今度こそ来い!」
「えあぁっ!」
バカ正直に突っ込んでくるリーシャ。
腹を狙い、横薙ぎに振るわれた長剣をバスタードソードで受ける。
「浅い!」
「はぁっ!」
俺の眼前で一回転し、逆方向から横に剣を振るうリーシャ。
それを軽く後ろへ飛んで躱す。
「俺に読まれるようじゃまだまだだぞ!」
「くうっ!」
すかさず俺を追うように突きを入れてくる。
狙いは首のようだ。
いいぞ。
本気になってきたな。
俺は首だけを捻って剣先を躱し、刀身の平たい部分でベンとリーシャの隙だらけな頭を軽く叩いた。
「いたっ!」
「踏み込みが甘い! あれじゃモーションが大きすぎてすぐ反撃されるぞ。それと首を狙うのは的が小さすぎる、あの場合は動きの少ない腹のほうがいい」
「くぅぅぅっ! はい!」
ギン キィン ガキン
そのまま何合か打ち合ったあと、俺の視界から突然リーシャが消えた。
下だ!
と思った時には俺の足から鈍い打撃音が聞こえた。
身を低くしたリーシャに右膝を斬りつけられたのだ。
普通の人間相手ならこれで戦闘終了となっただろう。
膝をやられては立ち上がることすら困難になる。
「今のは良かったね。剣を使う者と言うのは、あまり足元への攻撃を想定していないって聞いたことがあるよ。打ち合いで俺の気を上へ集中させてたのも上手かった。さすがリーシャだね」
「はぁ、はぁ、えへへ、やっと褒めてもらえました」
汗に濡れたリーシャがようやく笑みを見せた。
ここしばらく見ることのなかったその笑顔に、なんでか俺はドキリとしてしまったのである。
一生懸命な女の子って、素敵だよね。
「はぁはぁはぁはぁ、ゴクゴクゴク……ぷっはぁー! はぁはぁはぁ」
「もっとゆっくり飲みなよ」
「はぁはぁ……リヒトさん!」
「ごくごく、なんだい?」
「私いま、すっごく充実してます!」
「そ、そうかい、それはよかったよ。おかげで俺の腰はイッちゃったけどね……いててて」
「あはははは! 運動不足ですよ!」
「えぇ!? こんなに動いてるのにかい?」
「あはは、私のためにありがとうございます。あ、でもさっきの攻撃なんですけど」
「うん、あれは実戦だとどうなんだろうね?」
「機敏な人だったら躱されちゃうかもしれません」
「だね。踏み込む速度をあげるしかないかな?」
「うーん、痛しかゆし、ってところですね……」
俺とリーシャは背中合わせに座り、一息ついていた。
乾いた身体に冷たい水が染み渡る。
だが俺が見込んだ通り、リーシャの飲み込みは早い。
特訓開始から数時間ほどで、俺も攻撃を受けるのに全力を出さねばならなくなった。
若い子の体力に押し切られる場面も多い。
肉体にダメージがないとは言え、普通の人間ならズタズタにされているところである。
俺もまだまだってことだね。
リーシャも意外と容赦なく当ててくるし。
変な角度に捻って元々弱い腰も痛めたし……とほほ。
でもまぁ、良しとしよう。
リーシャもすっかり元気になったみたいだしね。
この特訓でなにか掴んでくれたなら俺も無茶した甲斐があるってもんさ。
「パパー! りーしゃおねえちゃーん! ただいまー! ふたりでなにしてたのー? おにごっこー? わたしもやるー!」
「お父さまー、姉さまー! ただいま帰ったのじゃー! おにごっこならわらわも入れてほしいのじゃー!」
「旦那、姐さん、ただいま帰りやし…………うわぁぁぁ! イチャイチャしてるじゃねぇですかぁぁぁ!」
門のほうから聞こえてくる娘たちとグラーフの元気な声。
気付けば既に夕方となっていたのだ。
「しくじりましたよリヒトさん!」
「な、なにが?」
「私たち、お昼ご飯も食べてません!」
リーシャの必死な顔に、俺はつい笑ってしまうのであった。




