苦悩
「パパ! りーしゃおねえちゃん! いってきまーす!」
「お父さま、姉さま、いってきますのじゃー!」
「旦那、姐さん、今日も気合入れていってきやすぜ」
「ああ、いってらっしゃい。馬車には気を付けるんだぞ」
「はーい!」
「はいなのじゃー!」
「へい、ちっこい姐さんがたはあっしにお任せを」
「頼んだよグラーフ」
俺は登校する娘たちとグラーフを通りに出てその背中が雑踏にまぎれるまで見送った。
毎度のことだが、無事に帰ってくるまで心配で仕方がない。
大の大人であるグラーフがついているのだから、と自らに言い聞かせてもどうしようもない不安が付きまとうのだ。
俺って過保護なのかねぇ。
でも息子ならともかく、娘だからなぁ。
やっぱり色々と心配だよね。
出来ることなら授業も後ろから見守っていたいくらいだよ。
おかしなガキがいたらいつでも叱れるようにね。
まぁ、事前のリサーチでは悪ガキやいじめっ子のような存在はいないっぽいからまだ安心はできるんだけど……
「……はぁ」
我ながら心配性だと思うよ。
これでも一応自覚はあるんです。
「はぁぁ~~…………」
居間へ戻ると、俺よりも大きな溜息をついている者がいた。
俺は朝食の後片付けをしながらその人物を見やる。
出会った頃よりも少し長くなった赤い髪。
気に入ってくれたようで、外しているところを見たことがない俺が贈った金の髪飾り。
大きな真紅の瞳は憂いに満ちている。
いつもは強気な眉がやたらと下がっていた。
なんのことはない、リーシャである。
だが彼女はシャロンティーヌさまのお屋敷を辞して以降、ずっとこうなのだ。
しょげているように見えるが、実際深く悩んでいるのである。
原因はひとつ。
彼女が食い入るように見つめている紙片にそれはあった。
事の発端は先日のシャロンティーヌ邸での出来事。
たまたま現れた【剣聖】オルランディさまとの一件である。
「オルランディさま! 私を弟子にしてください!」
「ブホォッ! げっほげっほ……いきなり何を言い出すのだリーシャ嬢……えーっほえっほ! 気管にお茶が入ってしまったわい」
「す、すみません! でも私、立派な剣士になりたいんです! そしてあのバカ師匠を見返してやるんです!」
「お、落ち着きなさい。話はわかったから」
「じゃ、じゃあ!?」
「……ワシはもう歳も歳だ。半分引退した身と言ってもよかろう」
厳かにそう言ったオルランディさまであったが、俺の隣でシャロンティーヌさまが小さく『嘘おっしゃい』と呟いたのを聞き逃さなかった。
俺も自分が噴き出したお茶を拭き取りながら、正直『嘘こけ』と思ったことは否めない。
俺に気付かせもしない身のこなしと、ガッチムチな身体の癖によく言うよね。
むしろ今が絶頂期なんじゃないのか?
しかし、リーシャが弟子入りを志願するとは思ってもみなかったね。
前々から剣士になりたいとは言ってたけど、まさかこんな動機だったなんて驚いたよ。
「……そう、ですか……」
泣きそうな顔でうつむいてしまったリーシャに、オルランディさまは慌てて声をかける。
「ワシも先はそれほど長くなかろう、故に一から教えるには時間が足りまい。だからまずはリーシャ嬢の実力を知らねばならぬ。そこでこれだ」
どう見てもあと数十年は余裕で現役を張れそうなオルランディさまは、ペラリと懐から出した紙片をリーシャに渡す。
その紙片に目を走らせたリーシャは、すぐに驚愕の表情となった。
なんだなんだ?
「……御前試合、ですか!?」
「うむ。毎年あの親バカ王がシャルロット王女のために催す祝賀パレードの際に執り行われておる。とは言ってもエキシビジョンマッチであって勝ち抜き戦ではない」
「これに私が出るんですか?」
「そう言うことだのう」
何気に『親バカ王』とか聞こえたが、いいのだろうか。
シャロンティーヌさまにとって、今の王様は息子さんにあたるはずだが。
あ、苦笑いしてる。
『はいはい、言うと思ってましたよ』って顔だ。
きっと普段から言われすぎて慣れっこになってるんだな……
「その戦いぶりを見てから考えさせてもらおうかと思ってな」
「……わかりました。頑張ってみます!」
凛とした顔のリーシャ。
『希望が見えた!』みたいな顔はいいんだけど、俺にはオルランディさまが体よく弟子入りを断ろうとしてるようにしか思えないんだよね。
無理難題を吹っ掛けて諦めさせよう、的な思惑を感じるのさ。
「大丈夫ですよリヒトハルトさん。私からもオルランディには釘を刺しておきますから」
よほど俺の顔が不安そうだったのか、シャロンティーヌさまがそう言ってくれた。
慈母のような瞳で見られては俺も納得するしかない。
「よろしくお願いします」
俺は我が子を託すような気持ちでそう言いながら深く頭を下げたのだ。
なんてことがあったわけよ。
可哀想に、それ以来リーシャはずっと悩んでいるみたいなんだよね。
悩む理由も俺にはなんとなくわかる。
『御前試合』とは王族や貴族の前で試合をすること。
その高貴なかたがたに、素人や初心者のみっともない試合を見せられるはずがない。
つまり、リーシャの対戦相手は手練れの騎士や冒険者と、最初から決まっているようなものだ。
だがリーシャも【ゴールド】級冒険者とは言え、新米に毛が生えた程度であるのが現実。
故に悩む。
いかにして勝てばいいのかと。
グラーフには失礼だが、彼くらいのほぼ素人や、低級のモンスターならリーシャは負けることなどないだろう。
この街の衛兵が相手だとしても、まず勝てるはず。
しかし、騎士となるとまるで話は違う。
彼ら騎士は正式な剣術を習い、鍛錬の日々を送っているのだ。
なんせこの国を守ると言う確固たる信念を持っている。
だから強い。
「はぁぁぁ~……あぶぶぶ~……」
もはや溜息と言うより奇声を発しているリーシャ。
あまりのストレスで幼児退行してしまったのだろうか。
正直な気持ちを言うが、リーシャに弟子入りなどしてほしくはない。
俺も含めてみんなが寂しがるだろう。
でも、御前試合には勝って欲しい。
これは俺の勝手なわがままだ。
あのオルランディさまへ、うちのリーシャがいかに素晴らしいかを見せてやりたい。
リーシャには素質があると言うことを証明してあげたいのだ。
それに、オルランディさまが去り際に言っていた言葉を思い出す。
『リーシャ嬢はワシから教わるよりも、そこのリヒトハルトくんと訓練したほうがよいかもしれぬのう…………いや、むしろワシがリヒトハルトくんと闘ってみたいくらいだ』
明らかに俺へ向けられた不敵で含みのあるオルランディさまの笑顔。
どうやら俺のおかしな力も彼にはバレていたのかもしれない。
俺はあんなクソ強そうな爺さんとは闘いたくないけどね。
負けはせずとも勝ち目がなさそうだもん。
仮に優勢だったとしても絶対先に降参するのは俺だろうよ。
自慢の腰痛が炸裂するのは目に見えてるからな。
さて、落ち込むリーシャを元気付けてやらないとね。
俺はテーブルで頭を抱えているリーシャの前に座った。
ある決意を込めてそっと声をかける。
「リーシャ」
「……なんですか?」
「俺と特訓しよう」




