王女
「さぁ、一国の王女たるわたくしが名乗りを挙げたのですから、あなたも名乗るべきです」
尖塔に備え付けられたカンテラの灯りに照らされ、汗に濡れた金髪を指で払いながらシャルロット王女と思われる若い少女が言った。
どう見てもリーシャと同じくらいの年頃だが、その声には不思議と威厳がある。
この国でご本人以外が自らをシャルロット王女だなどと虚言を吐けば、瞬時に投獄されるのは赤子でも知っているはず。
王の親バカぶりは大陸中にあまねく知れ渡っているからだ。
つまり、この女性は王女に間違いないのだろう。
確かに気品あふれる仕草と容姿を兼ね備えているようだ。
だが、少々、いやかなりお転婆がすぎやしないだろうか?
「早くなさい。わたくし、のろまは嫌いでしてよ」
「これは失礼いたしました」
俺は片膝を付いて右手を胸に当て一礼をした。
彼女が本物の王女である場合、機嫌を損ねて妙な難癖をつけられるのも困るからだ。
「私は【オリハルコン】級冒険者、リヒトハルトと申します、シャルロット殿下」
「【オリハルコン】!? ……これはこれは……敬意を表さねばならないのはわたくしのようですわね。さぁ、お立ちください」
「恐縮です。ですが、敬意だなど私にはもったいない……」
「まさかあなたが【黒の導師】なのかしら?」
「ええまぁ、冒険者ギルドからそんな二つ名を与えられ……」
「まあぁ! そうでしたの! あなたが【黒の導師】リヒトハルトさまでしたのね! なるほどー、悠々と空を飛んでらしたのも、あなたほどの賢者ならうなずける話ですわ!」
俺の発言に被せてきまくる王女。
せっかちなのだろうか。
だがキラキラした黄金の瞳で俺を見つめる王女は、年相応でなんだか可愛らしく思えた。
王女の人気はすさまじいと聞き覚えはあったが、その理由がわからなかった。
しかしこうして直接会ってみれば明るく快活なかたで、なんとなく国民の気持ちもわかるような気がしたのである。
そもそも王女ってのは奥まった豪華な一室に篭り切りで、顔も滅多に見せないものかと思っていたよ。
深窓の令嬢的なね。
それはいいとしても俺を賢者だなんて、ひどい勘違いをしておられるご様子。
どうやって誤解を払拭したものか。
「先程は王女殿下へ気軽にお声がけなどして誠に申し訳ありませんでした。よろしければ、私に発言の許可をいただきたいのですが」
「いいえ、お気になさらなくても良いですわ。発言も自由にしてくれて構いません。わたくしは噂で耳にしていたあなたにずっと会いたいと思っていたのですから」
「そ、それは恐縮です。ですが、私は賢者などと大それた……」
「あぁ! そんなことよりも、リヒトハルトさまはどうやって空を飛んでおられるのかしら? そのマントになにか秘密が!?」
聞いてくれない!
これでは発言の許可がまるで意味をなしていないじゃないか。
「わたくしは魔導に興味がありすぎて困っているのです。この『試作型魔導飛行装置』も王立魔導技術研究所から無理を言って借りたものですわ。自由に空を駆ける、なんてロマンチックじゃありませんこと? ですから夜ごとにこっそりとこうして空の旅を楽しんでいるのです。まだまだ飛行時間が短くてのんびりとは飛んでいられないのが欠点ですのよ」
「は、はぁ、そうで」
「でも驚きましたわ! この装置が陳腐に思えるほどのリヒトハルトさまの雄姿ときたら! 自在に飛ぶ、と言うのはリヒトハルトさまのようなことを指すのですわね!」
「いえ、私の力ではなく」
「それでそれで!? どう言った魔導をつかってらっしゃるのかしら!? わたくし、とても興味がありますわ!」
「お聞きなさい!」
「ひっ!」
しまった。
つい声を荒げてしまった。
大人げないにもほどがある。
しかも相手は王族。
王族に盾突いた日には、極刑になってもなんら不思議ではない。
これはいけない。
愛する娘たちを残して死ぬわけにはいかないのだ。
俺は自らの不明を呪いながら再び膝をついた。
とにかく謝罪するしかあるまい。
「も、申し訳ありません殿下。王族へ口答えするなどあるまじき行為。私はいかような処罰も受けますゆえ、我が娘たちにはどうかご容赦を」
「あら、ご息女がいらっしゃるの? 意外ですわ。ふふ、大丈夫、驚きはしたけれど怒ってはおりませんから。むしろわたくしを叱りつけるなんて新鮮でしたの! それに、『せっかち王女』とか『お転婆姫』などの蔭口も存じてます。それでも、わたくしの魔導に対する興味は尽きないのです!」
「お気持ちはわかりますが、一国の王女たるおかたが軽々に出歩いていいのですか? ましてやまだ試作段階の飛行装置でなど、万が一事故になった場合……」
「まぁ! あなたも大臣たちみたいなことをおっしゃるのですわね! ですが夜の空中散歩をしていることはわたくしとリヒトハルトさまだけの秘密ですよ」
鈴を転がすと言うのがぴったりな笑い声をあげるシャルロット王女。
これほど奔放な王女だとは思ってもみなかった。
だが寛容な心も備えていらっしゃる優しいかたのようである。
と、取り敢えず俺の首は繋がったらしいね。
クビになった俺が斬首とか、なんの洒落にもならないよ。
「わたくし、リヒトハルトさまがすっかり気に入ってしまいましたわ」
「はぁ、それはありがた……は!?」
「わたくしを王女と知りながら、面と向かって叱れる度量。大賢者に相応しい飛行の魔導。どちらも素晴らしいものです」
「……有難きお言葉。ですが……」
「もっとお話していたいのだけれど、今宵はもはや刻限。これ以上はわたくしがいないことも侍女にバレてしまうでしょう。お名残り惜しいですが、これにて」
ガシャガシャと飛行装置の翼を器用に折りたたんでいくシャルロット王女。
これは相当慣れた手つきだ。
お忍びでかなりの回数城から脱け出しているのが見て取れる。
あれほど喋り倒した王女はもはや何も言わず、こぼれるような笑顔で俺に小さく片手を振ると、足場に備え付けられた階段をスルスルと降りていて行くのであった。
俺も思わず笑顔になり手を挙げて返したが、今までの時間は全て幻だったような、狐につままれたような、そんな感覚に陥る。
な、なんだったんだ一体……?
はぁ。
それにしても、まさかシャルロット王女があのような性格のかただったなんてね。
驚いたと言うか唖然と言うか呆然と言うか。
失礼だけど、かなり変わってるよ。
あれじゃ国王もご苦労なさってるんじゃないかなぁ。
でもまぁ、収穫はあったね。
『吸血鬼』の正体は夜遊びに耽るお姫さまだったわけだ。
モンスターや変質者じゃなかったとわかっただけでも安心できるってもんさ。
俺も帰ろう。
みんなが待つ家へ。
俺は徐々に白んできた空へ向かって飛翔した。
そして、娘たちのお弁当を仕上げるために帰路を急ぐのであった。




