学問のすゝめ
俺たちが屋敷で暮らし始めてから数日が経った。
ご近所への挨拶回りも抜かりなく済ませ、不審な目で見られることを何とか回避もした。
我々のメンバーがメンバーだけに予防線を張ったのである。
だって、おっさんと幼女二人に若い男女ってどう見てもおかしな御一行様だからね。
そんな裏工作をしたにもかかわらず、グラーフが耳にした噂によれば、俺はバツイチ子連れ親父に見えるらしいよ。
しかも、リーシャやグラーフまでもが俺の子供だと思われてるらしいんだ。
……人の噂に戸は立てられぬ、なんて言うけど、まさにその通りだよね……
そんな状況ではあったものの、周囲の住人もそれなりに俺たちを認め、受け入れてくれたようであった。
中でも絶大な効果を発揮したのが、ギルドから押し付けられた【オリハルコン】級冒険者の称号である。
俺が思っている以上に名誉ある称号だったらしく、最初は胡散臭そうな表情だったご近所さんたちの顔や態度が、あからさまに一変したほどだった。
【オリハルコン】の称号は冒険者としての功績だけでなく、その強さも示さねば認定されることはない、と言うのが副ギルド長ネイビスさんの談であった。
俺の場合は古代の最強種である【真祖】の再発見と討伐した結果を、冒険者カードから自動でギルドへ転送される情報通信を受けての認定だったようだが、現実とは少し違っている。
そこをとやかく言うつもりはない。
なし崩し的にとは言え、【オリハルコン】級冒険者と認定されてしまった以上、今更あれは違うんですと異議を唱えたところで詐欺師と謗られるだけであろう。
俺はまだしも、子供たちやリーシャとグラーフが可哀想だからな。
『やーい、詐欺師の子供ー』などとマリーたちが悪ガキどもにからかわれた日には、街ごと焼き尽くしてしまうかもしれないしね。
……冗談です。
俺にそんな度胸はありません。
ともあれ、さしたる活躍もしないまま最強の称号に達してしまった俺を、ご近所さんたちが『高名な冒険者が住んでくれるのなら、ここら辺も安泰ですな!』などと諸手を挙げて歓迎してくれたことに、取り敢えずは感謝しているのである。
「こぎげんよう【黒の導師様】! あら、お掃除中? いいお天気ですものねぇ」
このモコモコ白髪でやたらと恰幅のいいご夫人も、その俺たちを歓迎してくれた一人であった。
名をジェイミーさんと言う。
俺の母親くらいの歳だと思われる老齢を迎えた彼女は、これまでこの空き家だった屋敷の面倒をみていてくれたかただ。
つまり、管理人さんというわけである。
彼女の夫は豪商で、没落した貴族の別荘であったこの屋敷をだいぶ昔に買い取り、それ以来ずっと管理を続けてきたと言う。
今のご時世ではなかなか買い手もつかず、とはいえ家と言うものは人が住んでいないとダメになってしまう。
そこで最近賃貸制にしたところ、まんまとネイビスさんが引っかかり、俺たちへ斡旋されることとなったのだ。
「こんにちはジェイミーさん。できれば俺のことはリヒト、と呼んでください。あまり目立つと仕事に差し支えますんで」
俺は噴水をデッキブラシでこすりながらそんな挨拶をした。
勿論嘘である。
単に恥ずかしい二つ名なのでそう言ったまでであった。
「あらそぅお? 素敵だと思うけれどねぇ」
ゆっさゆっさと太った……失礼、非常に豊満なお身体を揺らしながら歩くジェイミーさん。
俺は庭に置いてある手作りの椅子を彼女へ勧めた。
はー、よっこらっしょ、と腰をかける夫人。
大きな身体のせいか、彼女はあまり足が良くないらしい。
それなのに夫人は、俺たちが入居してから頻繁に屋敷を訪れ、色々と世話を焼いてくれるのだ。
理由は聞いていないが、よほどこの屋敷に思い入れがあるようであった。
ちなみに、彼女の家は屋敷に向かってすぐ左。
つまりお隣さんだ。
ジェイミーさんは、ガッシュガッシュと噴水内を掃除する俺に視線を送っている。
別に熱視線ではない。
なんとなく眺めているといった風情だった。
「私はね、リヒトさんたちが来てくれて、本当に良かったと思ってるわ。まるでこのお家が生き返ったみたいに生き生きとして見えるもの」
「ははは、そう言ってもらえると俺も嬉しいですよ」
「あら、本当よ。家の中も色々と修繕してはいたんだけれど、やっぱり人が住んでいないとどうしてもねぇ」
深々と溜息をつくジェイミーさん。
数十年見守ってきたこの屋敷を、感慨深そうに見上げていた。
俺は敢えて彼女へ声をかけず、掃除を続けた。
遠き過去へ想いを馳せている時に邪魔をするのは無粋と言うものであろう。
それに、長年使っていなかった噴水は頑固な汚れも多く、それなりに集中力が必要だからでもあった。
これからは暖かくなり、やがて夏が来る。
暑い夏に涼を取るなら水場が必要だ。
そう、俺は子供たちに水遊びをさせるためにと掃除を頑張っていたのである。
噴水は子供にとって絶好の遊び場に違いなかろう。
俺も小さい頃は川や池でよく遊んだもんさ。
だが、水の事故にだけは気をつけてあげねばならないよ。
いくら浅くとも、子供にとっては溺れる危険があるからね。
子供たちで思い出したが、少しだけ懸念があった。
俺はご夫人にそれを訪ねるか迷ったが、その前に口を開いたのは彼女だった。
「今日は誰もいらっしゃらないのかしら?」
「いえ、子供たちは中にいますよ。リーシャとグラーフは買い出しへ行っています…………あの、ジェイミーさん」
「どうかしました?」
「えーと、ですね。娘たちがよく庭で遊んでるじゃないですか」
「ええ」
「その……うるさくてご迷惑ではありませんか?」
「おほほほ、なにをおっしゃるの、マリーちゃんとアリスちゃんが来てから、私たちも若返った気分なんですよ」
「そう、ですか?」
確かに二人はご近所さんからものすごく可愛がられている。
だがそれは、俺に気を使っているからではないかと思ったのだ。
「ええ! 子供たちの無邪気な声は、私たちにも元気をわけてくれるのよ。はす向かいのハリソンさんなんて、『まるで孫ができたみたいじゃわい! あの子たちが大きゅうなるまで死ねんわ!』なんておっしゃってましたわ。私も娘の小さかった頃を思い出したりなんかしちゃってねぇ……」
「は、はぁ、そう言ってもらえると助かります」
ハリソンさんとは、とんでもないガチムチの絶倫みなぎるお爺さんだ。
放っておいても数十年は死にそうにないが、娘たちが生きる張り合いになっているのは喜ばしいことである。
「パパー、だれかきたのー? あー! じぇいみーおばあちゃーん!」
「お婆さま、ごきげんようなのじゃー!」
俺たちの会話を聞きつけたのか、マリーとアリスメイリスがドバーンと豪快に家から出てきた。
そのままジェイミーさんに駆け寄って抱き着く二人。
「こらこら、二人とも」
「いいのよリヒトさん。ごきげんようマリーちゃん、アリスちゃん。今日も元気ね」
「うん!」
「うんなのじゃ!」
優しく包容力のあるジェイミーさんに、すっかり懐いた子供たち。
見ている俺もなんだか微笑ましくなってくる。
「そうだ、リヒトさん。今日はね、ちょっとしたお話を持ってきたのよ」
「お話、ですか」
「それと、お菓子もね」
「わーい! おかしー!」
「美味しそうなのじゃー!」
そしてジェイミーさんはお菓子の袋を子供たちへ渡しながら、こう言ったのである。
「マリーちゃんとアリスちゃんを学校へ通わせるのはどうかしら?」




