拠点
「…………これ、本気かい……?」
「……私も驚いてます……」
「……こりゃすげぇすね……」
「パパ、おおきいねー!」
「ほほー、なかなかのもんじゃのー」
俺たちはソレを見上げながら呆然と立ち尽くしていた。
ここは王都の城前広場南側に隣接する冒険者ギルド本部の裏手。
豪商や役人が軒を連ねる高級住宅街の一画。
我らの前にそびえ立つは、『お屋敷』と称してもなんら差支えのないほどの立派な邸宅。
樹木が生き生きと枝葉を伸ばす広大な庭。
敷地全体を囲ったもはや城壁とすら思える高い塀。
────そう、この事態引き起こした原因は一時間ほど前にあった。
「おはようございます! 『黒の導師』さま! とは言っても、もう昼ですがね! がっはっは!」
疲れと深酒が祟り、先程目覚めたばかりでまだフガフガしている俺の前に現れたネイビスさん。
朗らかな声とは裏腹に、彼のハゲ頭には痛々しく包帯が巻かれていた。
階段から落ちたってのに、随分元気な人だよね。
「おはようございますネイビスさん。お怪我は大丈夫なんですか?」
「おぉ、お気遣い痛み入ります! ですが、ほれ、ご覧の通り!」
「いやいや、いいですいいです! 無理しないでください!」
おもむろにスクワットを始めるネイビスさんを慌てて止める。
前にも言ったがギルドの職員は大抵が元冒険者だ。
体力には余程自信があるのだろうが、俺よりも遥かに年上な人に無茶はさせたくない。
「それで、どうしたんです?」
俺は、大の字になってまだ眠っているマリーとアリスメイリスに毛布を掛け直しながら、無駄に元気なおじさんに訊いた。
幼女二人はどうやら夜中に毛布を蹴飛ばしてしまったようだ。
可愛らしい寝顔に、思わずふたつの小さな頭を撫でる。
「おぉ、そうでしたな。『黒の導師』さまが昨日おっしゃっていた……」
「ちょ、ちょっと待ってください。ネイビスさん、申し訳ないんですが、俺のことはリヒトと呼んでください。黒の導師なんて言われ慣れてないんで肩が凝ります」
「栄光ある二つ名になんてことを!? まぁ、いいでしょう、確かにこちらも性急すぎましたからな。では、リヒトハルトさま、昨日の件なんですが」
フルネームでも呼ばないで欲しいんですけど……
しかも『さま』とか勘弁してくれませんか。
歳を取るとみんな人の話を聞かなくなっていくらしいよ。
俺もそうなってしまうのかねぇ。
「昨日の件?」
「はい。この王都に冒険の活動拠点となるようなアジトが欲しいとおっしゃっていたではありませんか」
言ってないけど!?
どんな解釈をしたらそうなるんだ!?
俺は宿の手配をして欲しいとしか言った覚えがないよ!
しかも『アジト』なんて言うと妙に怪し気な雰囲気が出るからやめてください!
「いや、そうじゃなくてですね……」
「それで、不肖このネイビスが、朝から色々駆けずり回って見つけてきましたぞ!」
「は、はぁ……」
だめだ。
まるで聞く気がないらしい。
「栄えある【オリハルコン】級冒険者に相応しいと思います! ですので、早速ご案内いたしますゆえ、ご足労を願いますぞ! ささ、はよ支度を!」
「ちょっ、まっ」
なんと言う強引さだろうか。
いや、このくらい強引じゃないと出世は出来ないのかもしれないが。
これはきっとネイビスさんがせっかちなだけだと思う。
とは言え、彼の厚意を無碍にするほど俺は鬼畜な人間ではなかった。
それで仕方なくみんなを起こし、急かされるままに案内されたのが、この立派すぎる邸宅であったと言うわけだ。
「がっはっは! どうです!? 立派なもんでしょう!」
「はぁ、確かにすごいお屋敷ですね」
「そうでしょう、そうでしょう! 多少お家賃は値を張りますが、【オリハルコン】級冒険者の【黒の導師】たるリヒトハルトさまにはこれくらいのところに住んでもらわねばこちらが困りますぞ! お渡しした報奨金があればしばらくは余裕もあるでしょうし!」
「はぁ!?」
いや、確かに報奨金は有難く受け取ったけど、あれは娘たちの将来のために貯蓄しておこうかと思ってたのに……
「さささ、私は仕事がありますのでギルドへ戻りますが、皆様は中を存分に見てやってくだされ!」
ネイビスさんは俺に立派な意匠を凝らした鍵を手渡すと、すぐにきびすを返して去って行った。
こちらに有無を言わせぬとは、なかなかのやり手である。
俺たちをここに住まわせることで、なんらかの利益がギルドに生じるのではないかなどと勘ぐってしまうほどに。
俺は立ち去る彼の背中を見送りながらそんなことを考えていた。
───と言うのがこれまでの経緯である。
「……こうしていてもしょうがないね。一応、見るだけ見てみようか」
「そうですね、リヒトさんがそう言うなら……ちょっと気が引けますけど」
「……なんつーか、恐れ多い気分になっちまいますねぇ」
リーシャやグラーフの気持ちはなんとなくわかる。
正直言って、こんな立派すぎる屋敷は俺たちに不相応としか思えない。
冒険者となって、まだ一ヶ月程度の人間が住んでいいような家とも感じられなかった。
「わーい! ありすちゃん、いこうー!」
「うん、あっ! お姉ちゃん待ってなのじゃー!」
だが、マリーとアリスメイリスは元気に庭へと駆け出していく。
子供たちが元気一杯に遊べる広い庭。
そう考えれば確かに悪くはないのかもしれない。
マリーとアリスメイリスの二人は花壇の花を見たり、池の底を覗き込んだりと楽しそうだ。
無邪気な子供たちの顔を見ていると、俺の心も揺らぐ。
もう少し詳しく見てみようか、なんて気持ちにさえなってきたのだ。
「おーい、二人ともー、家の中に入るよー!」
「はーい! パパー!」
「はーいなのじゃ、お父さまー!」
俺の声に走り寄ってきた二人と手を繋ぐ。
にへーっと笑うその顔の可愛さたるや。
俺たちが重厚な扉から中へ入ると、思った以上に清潔で広かった。
普段から誰かが手入れでもしているのか、埃っぽいとかカビ臭いなどと言うこともない。
俺が最も好感を持ったのは、貴族などの屋敷にありがちな、玄関を入ってすぐがエントランスホールと言う無駄に豪勢な造りではなかったことだろう。
あれってなんでか成金趣味に感じてしまって好きじゃないんだよね。
だがこの屋敷は玄関から真っ直ぐ奥まで続く広い廊下となっていた。
その廊下の両側にいくつか扉が点在し、一番奥に二階への階段が見える。
廊下のすぐ左手にある扉を開けると、大きな居間となっていた。
居間と言っても相当な広さがある。
ちょっとしたパーティーくらいは出来そうなくらいに。
ほぅ、と思わずため息が出てしまう俺たち。
流石に元が空き家だけに調度品はほとんどないが、ソファや絨毯、暖炉などは残されており、すぐにでもくつろげそうであった。
南側には大きな窓があり、採光も充分だろう。
子供たちや俺たちがここでのんびりと過ごす場面を想像し、ますます悪くない気分になってきた。
一国一城は男のロマンだ。
俺とて男だし、独立したら大きな家を建てよう、なんて夢想してた頃もあったよ。
でも気付けはこんな年齢になってたんだよね……
俺たちはその後も、キッチンと言うより厨房が相応しい台所や、だだっ広い応接間、風呂やトイレを見て回り、二階へ上がった。
二階は主に寝室や来客も泊まれるゲストルームがいくつもあり、ここにも浴場とトイレが備わっていて驚くばかりだった。
だが、こちとら女性連れだし、これはありがたい。
トイレや風呂を男女共同で使わずに済むのはリーシャも喜ぶことだろう。
「ねぇ、パパ! わたしのおへやもあるの!?」
マリーが俺の足にしがみついて、興奮気味にそんなことを尋ねた。
当たり前だがこれだけの部屋数があれば、子供部屋に使えそうな部屋はいくつもある。
「勿論だよ。だけど、マリーは夜一人で眠れるのかい?」
「ううん、パパといっしょにねるのー!」
「わらわもお父さまと一緒がいいのじゃ!」
「ははは、そうかそうか」
嬉しいことを言ってくれる二人の頭を優しく撫でた。
俺の気持ちはほぼ固まったと言っていいだろう。
だが、リーシャとグラーフはどう思っているのか。
「リーシャとグラーフはどう思う? この家に住んでみたいかい?」
「えっ? 私も住んでいいんですか!?」
「あっしもいいんですかい!?」
「あれっ!? 俺は最初からそのつもりだったんだけど……」
まさか問い返されるとは思ってもみなかった。
「あー、ごめん、言葉足らずだったかな。俺とマリーとアリスだけじゃこの家は広すぎるだろ? それに、なんと言うか……その、俺はきみたちのことも家族みたいに思ってたんだけど……迷惑だったかい?」
俺の言葉に、リーシャとグラーフは何故か瞳を潤ませた。
「な、なに言ってんですかリヒトさん! 嬉しいに決まってます! ……嬉しいにきまってるじゃないですか…………うぇ~ん! 嬉しいよぉ~!」
「あ、あっしも、こんなバカなあっしを家族だなんて言ってもらえるとは思ってもなかったですぜ……うぉ~んおんおん!」
さめざめと泣くリーシャ。
漢泣きのグラーフ。
「ちょっ、きみたち、なにも泣かなくても」
「りーしゃおねえちゃん、ぐらーふ、なんで泣いてるの~! うあぁ~ん!」
「……わらわまで貰い泣きしちゃうのじゃ……ふぇぇ~ん!」
あー、ほらほら。
子供たちまで泣いちゃったじゃないか。
でもまぁ、これで決まり、かな?
こうして俺たちは、王都に拠点を舞えることとなったのである。




