身に起こった異変
油でヌルヌルの握手を交わした俺とリーシャは、一度冒険者ギルドを後にした。
理由は明確。
装備を整えるためである。
流石に普段着とダガー一本でクエストを受けるわけにもいくまい。
俺はこの街『アトス』に住んでからだいぶ経つんでね。
ここの地理くらいは把握している。
当然、腕のいい鍛冶屋や武具の店も網羅済みさ。
ま、職人たちもよく子豚亭へメシを食いに来てたってのもあるがな。
そんなわけで、リーシャと共に街一番の名工を訪ねるべく、テクテクと歩いているのだ。
俺くらいの年齢になると、若い娘とこうやって歩き回る機会など皆無に等しい。
なので、俺は少しだけデート気分に浸っていたりする。
我ながらキモいとは思うが許してくれよな。
これまで仕事一辺倒の人生だったから慣れてないんだよ。
当のリーシャは俺の気分などおかまいなしに、何かの串焼きをさも美味そうな顔で頬張っていた。
しかも両手いっぱいに様々な屋台グルメを抱えている。
きみはさっき丸鶏のローストを平らげていたよね?
その細い身体のどこへ入って行くんだよ。
太るぞ。
と言いたかったが、おくびにも出さないのが俺のいいところだ。
歳を取るのも悪いことばかりじゃない。
人付き合いの線引きってもんが嫌でも上手くなるのさ。
あ、これ以上踏み込んだら怒るな、って雰囲気がなんとなくわかったりする。
それに、無用な揉め事を回避できたりな。
これは生きる上で重要なことだ。
いちいち降りかかる火の粉を払っていたのでは身が持たない。
ちょっとくらい我慢してでもいなすことが人付き合いの秘訣ってもんだよ。
「ちょっとあんた! お婆さんになんてことするのよ! 大丈夫ですか?」
「ああ? なんだこのアマ。ババァがオレにぶつかって来たんだ、謝るのがスジってもんじゃねぇのか? おぉん?」
あの、リーシャさん?
なにをしているんです?
なんできみはいかにもガラの悪そうなチンピラ兄ちゃんと対峙してるんですか?
しかも、まるで俺の思考を読んだかのようなシチュエーションですよ?
「お婆さん、怪我はありませんか? 立てます?」
「あ、あぁ、ありがとうねぇ。私は大丈夫よ」
「オレ様は大丈夫じゃねぇなぁ。クソババァのせいで怪我しちまったよ。おー、いてぇ。こりゃあ治療費をもらわねぇとなぁ」
あー。
典型的な因縁のつけかただよ。
俺も何度かこう言う手合いに難癖つけられたもんだ。
若いうちはイキってたこともあって、いらぬ怪我を負ったりもしたなぁ。
「ふざけないで!」
「こちとら全然ふざけちゃいねぇんだよ。それともなにか? オメェが身体で払ってくれてもいいんだぜ? 結構可愛いし、なかなか良い身体してんじゃねぇかよ」
「ちょっ、いやらしい目で見ないでよ!」
あーあ。
リーシャもこんなのまともに相手するんじゃないよ。
生真面目か。
こうなっては最早殴り合いになるのも秒読み段階だろう。
しかも絶対、リーシャから殴りかかるに決まってる。
短い付き合いだが猪武者だってのはわかってるからな。
リーシャよ、正義感も時と場合を考えるべきだぞ。
仕方あるまい。
場をおさめるには俺が介入するしかないんだろうね。
「あぁー、いやすみませんねぇ、お兄さん。俺の連れがなにかやらかしました?」
「あぁ? なんだおっさん? こいつの親父か?」
「いやぁ、まぁ、保護者みたいなもんでしてね。粗相があったなら俺が謝りますんで」
「へぇ、そうか、よっ!!」
バキィ
「ぐふっ」
くそ、問答無用かよ。
腹にいいのをもらっちまった。
いってぇぇ! …………くない。
あれぇ!?
なんだ?
この男、実はすっごく良い奴で俺に手加減してくれたとか?
ないない。
あるわけない。
じゃあなんで!?
「ふふん、どうした? 悶絶したかおっさん。今のは良い角度で肝臓に入ったもんな……え?」
何事もなかったようにスックと立った俺を、驚愕の目で見るチンピラ。
余程自分のパンチに自信があったんだろう。
彼の言う通り、本来なら悶絶からの寝ゲロでみっともない姿を晒していたはずだからな。
いや驚かせてごめん。
俺にもなにがなんだかわからないんだ。
俺がチンピラに近寄ると、ジリッと後退りする。
おいおい。
そうビビんなって。
殴ったりしないからさ。
ちょっと忠告だけさせてくれよ。
「なぁ、兄さん。さっきあっちから衛兵たちの声が聞こえたんだ。逃げた方が良くないかい? この状況はお兄さんに分が悪いよ?」
「マジか!? わ、わかった、チャラにしてやる!」
そう言い残してチンピラ兄ちゃんは周囲の野次馬を威嚇しつつ足早に去って行った。
当然、衛兵の件は真っ赤な嘘である。
話がこじれるくらいなら、この程度の嘘は許されると思うんだよね。
だから見逃してくれよな、お天道様。
「え? あれ? どうなっちゃったんです? リヒトさん、あの不良はなんで行っちゃったんですか?」
なにが起こったのかわからず、目をパチクリするリーシャとお婆さん。
彼との会話はヒソヒソ声だったからな。
それにしても不良って。
田舎娘らしい表現ですこと。
「ああ、話せばわかってくれる人だったよ」
「でもリヒトさん、殴られてたじゃないですか! 怪我とかしてません!?」
「ん」
俺は黙って腹を見せた。
打たれた部分は怪我どころか、赤くすらなっていない。
自分でも不思議だった。
「あのあの! もうわかりました! 見せなくてもいいですからぁ!」
真っ赤な顔を手で覆うリーシャ。
おやおや。
田舎娘らしい純情さですこと。
今のは褒め言葉ね。
婆ちゃんのほうは俺をガン見してるってのにな。
中年の腹を見て何が嬉しいのやら。
その後、何度も頭を下げる老婆と別れ、再び武具店へ向かった。
だが、何故かリーシャは膨れっ面である。
「どうしたリーシャ」
「だって」
だってじゃわからん。
「言いたいことは言っていいんだぞ。今のところ俺はきみのパートナーなんだからね」
「だって、納得できません! あんな乱暴狼藉を振るった悪漢をどうして見逃したんですか!」
狼藉に悪漢て。
若いのに言い回しがいちいち年寄りっぽいぞ。
「あのな。ああ言った手合いを相手にしてるとキリがないだろ? 都会での処世術なんだよ。無駄な揉め事を起こさないってのはね」
「頭ではわかっています! でも心が納得してくれないんです!」
くっ。
なんて眩しくて真っ直ぐなことを言うのだろう。
おじさん、若いころを思い出してちょっと感動しちゃったよ。
でもな。
それだけじゃ駄目だと言うことがいずれわかるもんさ。
ま、そんな子供を諭すのも大人の役目ってね。
「うん。リーシャの気持ちはもっともだ。だけどな、自分よりも遥かに相手が強かったとしたらどうするんだい?」
「うぅっ、それは……」
「立ち向かったきみは覚悟もあるだろう、だがあのお婆さんはどうなる?」
「…………」
「説教臭くてごめんな。でも、リーシャはまだ若い。これから長い先があるんだ。だからさ、こう言うのはおじさんの……大人の仕事なんだ。きみや子供たちを守るのがね。信頼できないかもしれないし、頼り甲斐がないかもしれない。でも約束するよ。それとな、きみの勇敢さは冒険者にとって必要な物だから、決して悪いことではないんだ」
「……ふふっ、リヒトさん、自分からおじさんって言ってますよ。それに私はもう子供じゃありませーん」
見た目も行動も子供そのものじゃないか……
だが少しは吹っ切れたみたいだな。
「でも、さっきの言葉はちょっとかっこよかったですよ! ドキッとしちゃいました! 『君だけを守ると約束するよ』だなんて! キャー、照れる~!」
言った覚えがないけど!?
脳みそどうなってんだ!?