融合
「フェンリル……いや、リル。いいかい? きみが俺を喰うんだ」
そう告げるも、イヤイヤするように涙を流しながら首を振るリル。
この子は賢い。
どんな結果が待っているのかを理解しているのだろう。
彼女も以前はもっと無慈悲だった気がする。
神々を滅ぼしたあの頃は。
これほど情に脆くなってしまったのは、やはりマリーと同じように俺が『リル』と言う名を与え、共に穏やかな暮らしを送ってしまったせいかもしれない。
だがこれでいい。
全ての過去とは決別したのだから。
俺はリルの鼻面を撫でる。
「リル……優しい俺の娘……だけどわかるだろう? 今のきみと魔神が戦闘を続ければ共倒れしかねない。しかし、きみが俺を喰らえば爆発的に魔導力は跳ね上がる」
ルォォ……
『でも父上……パパが……』と呟くリル。
俺は堪らず少し湿った彼女の鼻を抱きしめた。
「いいんだ。きみやマリーたちが助かるのならね。言っておくけど、これは自己犠牲でもなんでもないよ。こんなところで死んだら、きみたちと楽しく暮らせないじゃないか。ははは」
ルォン……
納得いかない様子のリル。
俺の口先では誤魔化せなかったようだ。
「おい、貴様ら。朕を忘れるでないわ!!」
ボギン
ガルァアアアアアアォオォォ
リルの右後ろ脚が粉々に砕かれた。
激痛に顔を歪めるリル。
「リル! 早くするんだ!」
それでも目を閉じ、頑なに拒むリル。
妙なところで頑固なのは誰に似たのやら。
埒が明かないと判断した俺は、強硬策に出た。
折れた両腕を無理矢理動かし、リルの口をこじ開けたのだ。
ルォオオン
リルは焦ったように跳ね飛んだようだが、もう遅い。
俺はリルの体内の奥へと進んだ。
そこは真の暗闇。
一条の光も差さぬ漆黒。
あまりの暗さに俺の目は何も映さない。
ただ、いくつもの思い出が眼前に浮かび上がってくるだけだ。
あぁ……まさか『子豚亭』をクビになってからの日々のほうがよっぽど幸せだったなんて……
マリー、リーシャ、アリス、グラーフ……
……他のみんなも……俺と出会ってくれてありがとう。
本当に感謝してるよ。
とても楽しかった。
とても……幸せだった!
さぁ、最後の仕事をしようじゃないか。
最深部。
幾重にも魔導結界を張り巡らせたリルの魔導力の源へそっと触れる。
構築式を書き換え、俺と同期させた。
「ルォオオオオおおおおお!!」
「なっ、なんだこれは、何が起こったのだ!?」
愕然とする魔神春宮の前に立つは、巨大な白き狼の獣人。
神と魔獣フェンリルが融合した姿であった。
「形が変わった程度で驚くと思うでないわ!」
春宮の剛腕が襲い掛かる。
今、思い切り驚いてたじゃないかと思いつつ、その拳を軽く尻尾で打ち払ってやった。
「なっ!? なにぃ!?」
ならば数だと言わんばかりに拳の弾幕を張る春宮。
またしても腕を無数に生やしていた。
こちらも四肢を以て応戦する。
躱し、打ち払い、いなし、切断する。
春宮の顔に明らかな焦りが見えた。
しかしそれはいやらしい笑みへと変わる。
魔神の口から溢れる黒き奔流。
闇のブレスとで言うべきか。
濁流は獣神体を押し流そうとするも……微動だにすらしなかった。
小川のせせらぎ程度にも感じぬ。
「なんだとぉ!?」
今度こそ驚愕に歪む春宮の顔。
その汗まみれの顔はもはや一片の余裕もない。
闇のブレスは彼の切り札だったのだろう。
「融合など……汚いぞ貴様!」
「おいおい。どの口で言うんだい?」
「朕にはこれしか……これしか手がなかったのだ! これだけが朕を救済してくれたのだ!」
「……救済だって? 違うだろう? きみはその力に逃げたんだ。他の手段を模索しようともせずにね」
「ち、違う! 手段など有りはしなかった!」
「違わんさ。きみにもう少し次代の皇帝としての自覚があれば暴虐に振舞ったりはしなかっただろうに」
「ぐっ……!」
「そうであったなら、末子の秋津姫宮が生まれたとしても、人々はきみから離れたりせずについて来てくれた」
「貴様如きに何がわかる!」
「わかるさ。きみが帝には相応しくない馬鹿なガキだってことくらいはね」
「おのれぇええええ!」
「俺が公爵になった時はね、のしかかる重圧で圧し潰されそうだったよ。領民全ての命を預かる身なんだからさ」
「…………」
「人々の上に立つ人間は負う責任も大きい。俺はそれに耐えられそうもなくて、職を辞そうかと思ったくらいだ」
「…………黙れ」
「でもね、そんなヘタレな俺についてきてくれる領民たちの顔を見ちゃうとさ、そんな弱音は吐いていられないんだよ。彼らは上がどんな人物であろうと、より良い明日が来るって信じるしかないんだから。なら、為政者はそれに応えてあげるべきだと思わないか?」
「黙れと言った! そんな理想論は聞く耳持たぬ!」
「その理想に少しでも近付けるのが俺たちの義務なんだ。そのくらい、きみも現皇帝陛下から教わっただろう?」
「ぅぐっ! ……黙れ黙れ! 理想だけではメシも食えぬ! 暴力は無くならぬ! ならば圧倒的な力で支配するのが一番なのだ! それが朕の理想なのだ! 貴様が滅びれば朕の理想に近付くのだ!」
「親の心子知らず、か……この分からず屋め……」
更に膨れ上がる春宮の狂気と魔力。
説得どころか事態は悪化の一途を辿るばかりだ。
まずいのは俺の意識が薄れてきたことである。
大きすぎるダメージを受けたまま融合したせいで、力の天秤が傾き、俺が魔獣に呑み込まれかけているのだ。
一刻も早く決着を付けねばなるまい。
そんな状況を察知したのか、魔神春宮が一気に肉迫してきた。
「死ねぇぇえええええ!」
「……いいだろう。ただし、きみも共に、だ」
「!?」
俺は左右の力を、たった一点に集中させた。
右手の生命力。
左手の魔導力。
右は生かす力。
左は殺す力。
神の力。
魔神の力。
相対す矛盾。
矛盾が交わる時、互いは滅する。
「真なる滅び……【対滅】」
一粒の輝きは更に凝縮した後、膨大な閃光と化す。
「がぁぁあああああああ! な、何だこの力は!? 身体が……朕の強大な身体がぁぁあああああ!」
魔神春宮の姿は輝きによって既に見えない。
俺の目がやられただけかもしれぬ。
だが、確実な消滅が始まっていることはわかった。
────お互いの身に。
隔絶空間そのものが胎動し崩壊の歌を奏でている。
キュゥン
気付けば真っ白な子犬のリルが俺の腕の中にいる感触。
悲し気でもあり、嬉し気に鳴くリル。
その声は、こう聞こえた。
『パパ。いつまでも一緒に……』
「ああ、勿論さ」
もう見えぬだろうが、俺は笑顔でそう答える。
意識が霞み、途切れた時。
俺は超高層建造物群に囲まれ、雑踏の中に立ち尽くしていた。
────……ここはいつか見た白昼夢。
だったら、あの時と同じように────
やはり、彼女はいた。
長い金髪で碧眼の美しい女性が。
俺を慈愛と懐かしさの篭った瞳で見つめている。
『パパ……やっとまた会えたね』
彼女は微笑みながらそう言った気がした。
そうか…………きみは遠い遠い未来でも人々を救い続けているんだね……
そしてきみは、過去である今の俺までをも────
彼女が……別の未来に生きる愛娘が俺を抱きしめると、全てが白く染まった。




