娘が増えました
洞窟を揺るがすほどの俺たちが受けた衝撃。
自らを真祖と名乗ったアリスメイリスは俺の膝の上で鼻息も荒くドヤ顔だ。
「……で、アリスの姐さん、真祖ってぇのはなんですかい? すげぇんですかい?」
「えぇぇ!? お主、真祖を知らぬのかえ!? すごいに決まっておろう!」
グラーフの間抜けな質問に怒り狂うアリスメイリス。
今にも猫の如く飛びかかり、小さな手に伸びた鋭い爪で彼を引っかきまくりそうなほどであった。
俺はすかさず彼女の腹を押さえて膝の上にとどめる。
真祖か……
俺もちょこっと文献か何かで見たくらいの記憶しかないな。
確か不死者たちの王たる存在とか書いてあった気がするが、完全にうろ覚えだ。
そしてマリーはともかくとして、リーシャもあまりよくわかっていないのか、少し汗を垂らしながら愛想笑いを浮かべていた。
下手に知らないと言えば引っかかれると判断したのだろう。
非常に賢明な子だ。
俺は、ここまでの旅をしてきて痛感したことがあった。
それは冒険やモンスターに対する、圧倒的な知識不足である。
未発見の新種ならば仕方ないが、割とポピュラーそうなモンスターと遭遇してもいちいち『あれはなんだ!?』と、なってしまうのは冒険者としていかがなものだろうか。
今後も冒険者としてやっていくならば、パーティー内の誰かが【識者】系のスキルを持っていなければお話にもならないと考えたのである。
俺はアリスメイリスの柔らかなお腹を押さえながら、懐の冒険者カードを取り出す。
親指でカードを操作し、お目当てのスキル一覧を表示した。
えーと、識者系、識者系、と。
おっ、これだな。
【解析】、それに【モンスター知識】、取り敢えずはこのふたつを取ろう。
他にも【世界地理】だの【言語学習】だのと無数にあるけど、今は必要ないもんな。
ポチリとボタンを押した途端、物凄い勢いで脳内に情報が流れ込んでくる。
あまりの情報量で脳みそがパンパンに膨らんだ気さえした。
だが、これでだいたいは理解できたと思う。
俺は念のため、アリスメイリスへ【解析】を使ってみた。
使い方は簡単、対象物を注視しながらスキル発動を念じるだけ。
わざわざスキル名を叫ぶ必要すらない。
……なんて便利なんだ。
どれどれ。
『モンスター名:真祖 個体名:アリスメイリス・ゴールディア 年齢:310歳(人間換算で約10歳)』
『所持スキル:幻惑 吸血 物理耐性 魔導耐性 小動物変化』
ほう。
この子の言っていたことは真実だったんだな。
疑っていたわけではないが、確証が取れてホッとしたよ。
って、310歳!?
流石は不死者の王だね……
『各部サイズ:身長130cm 体重32kg 胸囲』
待て待て待て!!
いくらなんでもこれ以上はプライベートすぎるだろ!
なんだこのデリカシーの欠片すらないスキルは!
俺は解析のスキルを即座に解除した。
解除も簡単、見るのをやめればいい。
これからは【解析】の使いどころを考えねばならんな。
……でもこれ、人間にも使えるらしいんだよね……
もしリーシャに使用したら、あのなかなかにグラマーなボディの……ごくり。
いやいや、俺はそんな情けない大人じゃないぞ!
ともあれ、これで情報は得られたわけだ。
「みんな、この子が言っていることは本当だよ。彼女は【真祖】に間違いない」
「まさかわらわに【解析】を使ったのかえ!? ど、どこまで見たのじゃ!?」
バッと両腕で胸を隠し、真っ赤な顔で俺を睨むアリスメイリス。
「え? い、いや、スリーサイズは見てないから安心していいよ」
「真かえ!?」
「スリーサイズ!?」
とんでもない速度で反応したのはグラーフだった。
ちらちらと横目でリーシャの胸を見ているあたり、とてもわかりやすい男である。
「ちょっと! どこ見てるのよ! バカグラーフ!」
「いででで! リーシャの姐さん! こりゃほんの出来心でさぁ!」
いつものコントを始める二人。
これではいつまで経ってもまるで話が進まない。
なので勝手にこちらで進めることにした。
「なぁ、アリス。きみが不死者の王【真祖】の末裔なのはわかったよ。でも、どうしてここに一人でいたんだい?」
「……その前に、お主の……いえ、あなたさまの名を聞かせてくれませぬかの」
「ああ、これは失礼したね。俺はリヒトハルト、リヒトと呼んでくれていいよ。この子はマリー。俺の娘だ。あっちの子がリーシャで、あの男の子はグラーフ。二人とも旅の仲間さ」
「リヒトハルトさま……あなたさまはわらわの幻術を打ち破ったおかた。若輩とは申せ敗北した【真祖】は不死者の王に非ず。いかようにもこの身をお好きになさいませ。討ち取って名を挙げるもよし、捨て駒として使うもよし、なんなら夜伽のお相手もいたしますゆえ」
「は?」
「へ?」
「はい!?」
「はいー?」
アリスメイリスの発言に、俺とマリーだけではなく、じゃれ合っていたリーシャとグラーフまで硬直した。
だがきっとマリーはアリスメイリスの言った意味がわからなかったであろう。
な、何を言い出すんだこの子は!
よ、よ、夜伽だなんて!
こんなマリーとさして変わらないような小さい子にそんなことをさせるはずもないだろう!?
本当に意味がわかってる!?
「い、いや、俺はそんなことを望んじゃいないよ。俺はただ、こんなところに一人でいるきみがとても寂しそうに見えたんだ。よかったら事情を話してくれないかな?」
「……なんと慈悲深きリヒトハルトさま……!」
アリスメイリスは俺の膝の上で反転し、金色の瞳を潤ませながら両手両足を使って抱き着いてきた。
温もりを噛みしめるように俺の胸へ顔をうずめるアリスメイリス。
「わらわは……ずっとここにひとりぼっちだったのじゃ……」
俺にしがみついたままポツポツと語りだす【真祖】の少女。
遠く過ぎ去りし時を思い出しているのか、黄金の瞳が揺れている。
「リヒトハルトさまは250年前に起きた闘いを知っておりますかえ?」
「ああ、『魔神大戦』だね?」
魔神大戦とは、この国、この大陸だけでなく、全世界をも巻き込んだ空前の闘いである。
今となってはおとぎ話と変わりないが、その当時、この世界は滅亡寸前にまで陥ったと伝え聞く。
そして不思議な事に、大戦に関する様々な文献や資料が現代にまで残されているにもかかわらず、誰がなにと闘っていたのかが未だに判明していないのである。
どの資料にも『世界は滅亡に瀕した』とか『激しい闘いの末、人類は救われた』などの記述が見受けられるばかりなのだ。
後世の歴史家たちは、その立ちはだかる謎が解けず、結局『勇者が魔王を倒した』などの創作を捻出するほかなかったのである。
『魔神大戦』などと言う名称が、それに拍車をかけたのだろうと思われた。
魔導力学が体系化されたのもその頃らしい。
なので、魔導が暴走したことによる大災害だったのではないか、いやいや、魔導士たちが勃発させた大戦争なのではないか、などの論説も根強く残っている。
ともあれ、現代を生きる俺たちには解明のしようもないのが現状だった。
「……その折に、わらわの両親も出陣することになって……この洞窟ごと幼子だったわらわを封印し、護衛にレインファントムを置いて、そのまま……」
だんだん涙声になって行くアリスメイリス。
不死者の王として両親は闘いに赴いたのだろう。
幼い我が子の命を守るためにも。
世界が滅んでしまうと言うのであれば、人間やアンデッドの枠を超えて協力するしかなかったはずだ。
そして戦禍のさなかに命を落とし、ここへ戻ってくることは出来なかったと言うことであろうか。
アリスメイリスはこんな場所でずっと帰ってくることのない両親を待ち続けたってのかい?
250年に渡る長い時を一人でだよ?
……こんな悲しくも健気な話があっていいのだろうか……
俺は堪らず、アリスメイリスの小さな震える身体を抱きしめた。
「……もう、両親の顔も思い出せなくなっちゃったのじゃ……」
アリスメイリスの言葉に、鼻をすするリーシャとグラーフ。
何を隠そう、俺も泣く寸前であった。
これではマリーと同じ境遇じゃないか。
幼いのに親の顔も忘れ、まだまだ愛情を必要とする年齢なのにそれすらも与えてもらえないんだぞ?
俺はそんな子を放っておけるのか?
無理無理。
そんなこと出来るはずがないだろう。
「……アリス、ひとつ提案があるんだけど……きみさえ良ければ……」
「ありすちゃんもパパのこどもになればいいの!」
俺の言葉を遮り、マリーが元気づけるように言った。
きっとマリーも俺と同じことを考えていたのだ。
我が子の聡明さに俺は顔がにやけてしまう。
「……わらわが……リヒトハルトさまの子に……?」
見開かれた彼女の黄金の瞳が、俺の笑顔を映し出している。
「そうだよ、マリーも訳あって俺が父親になったんだ。だからきみも遠慮しなくていい。本当のお父さんには負けるかもしれないけど、精一杯努力するよ。リーシャ、グラーフ、俺の判断は間違ってるかな?」
「いいえ! 大賛成です!」
「あっしもいい考えだと思いやすぜ!」
「だってさ。どうするアリス?」
戸惑った瞳で俺を見つめるアリスメイリス。
そしておずおずとこう言った。
「……お父さま……?」
「なんだい? 遠慮せず思い切り甘えていいからね」
「……お父さまぁ! うあーん!」
弾けるような笑顔が嬉し泣きに変わったアリスメイリスの小さな頭を、俺は泣き止むまで撫でるのであった。




