独白
俺たちは春宮に促されるまま席へ着いた。
当然、罠を疑うが、おくびにも出さす粛々と座る。
全員に魔導結界を常時張り巡らせてあるし、看破のスキルも発動中だ。
姑息な罠のひとつやふたつ、問題にもなるまい。
ただ、看破のせいだろうか、春宮の見え方がおかしい。
まるで影が差したようにくすんで見えるのだ。
そして彼の身体の中心。
鳩尾……いや、心臓の付近。
あれは……
「いや、驚いたぞ。リヒトハルト殿の武勇は朕のところまで響いてきたからな」
毒など入っていませんよとばかりに茶を啜る春宮。
特に疑ってもいないのだが、俺たちに気を使ったつもりなのだろうか。
だが、それよりも気になったのは春宮の一人称だ。
確か『朕』と言うのは当代の帝だけに許されるものではなかったか。
つまり彼は自らを帝とみなしているわけだ。
未だ現皇帝はご健在であらせられるのに。
勝手な奴だと言わざるを得ない。
今や本物の末子であるアキヒメが次代の……
そこまで考えて泣きそうになる。
先のことは置いておこう。
問題はいつだって今にあるのだ。
「武勇だなんて大袈裟ですよ。道中の悪党を懲らしめていただけですから」
俺はそう答えて同じように茶を啜った。
疑っていませんよのアピールと、万が一の毒見を兼ねている。
毒は無し。
流石に良い茶葉を使ったお茶だ。
「はっはっは、謙虚なことよ」
泰然とした態度でひとしきり笑う春宮。
そんなやり取りを見て、みんなもお茶に口をつけた。
「ところでリヒトハルト殿よ。単刀直入にお聞きするが、そなたの目的はどこにある?」
目を伏せながら春宮は言った。
視線から思惑を悟られないようにするためだろうか。
己の目付きの悪さを考慮しての行動か。
その真意は推し量れぬが、さて、どう答えるべきか。
まさか『あんたを殴りにきた』なんて言えないしなぁ。
嘘をつくのは不味いから無難な回答にしておくか。
「一刻も早く中央大陸に帰還することですね」
俺の言葉にハッとする霞ちゃん。
どうやら彼女は魔神を倒すことが俺の目的だと思っていたらしい。
娘たちもリーシャも、そのあたりのことは説明しなかったようだ。
俺も含めて。
俺の発言そのものは春宮を探るための方便だったが、素直な霞ちゃんには裏切りに聞こえたのかもしれない。
あとでフォローしなくちゃと思った時にはリーシャが俺にウィンクを飛ばし、ゴニョゴニョと霞ちゃんへ耳打ちしていた。
それを聞いて納得した様子の霞ちゃん。曇った顔が晴れていた。
うむ。さすが俺のリーシャ。
以心伝心である。
「ほう。ならば、荷車の天誅人などと祭り上げられているのは不本意であると?」
「ええ。実際俺が言い出したわけではありません」
「そうだろうとも。いつだって祭り上げるのは周囲の民衆どもよ」
「その通りです」
んん?
話が見えなくなってきたぞ。
何が言いたいんだ?
「朕も幼き頃は『春宮誕生よ』、『次代の皇帝よ』と重臣も民衆も群がって祭り上げられたものだ」
当時を思い返すように目を瞑る春宮。
一瞬だがそれは幸せそうにも見えた。
彼にとって一番輝いていた時期なのかもしれない。
「幼馴染だった傍流皇族の娘がいてな。非常に仲が良かった。将来は結婚の約束など交わし、許嫁となった」
甘酸っぱい思い出語りというやつか。
いや、これはもう独白だ。
「朕はこの世の幸福を全て享受した。出来の良い兄たちともそれなりに上手く折り合っていた。今上帝たる父上も、内心はどうあれ朕を可愛がっていてくれた………………秋津姫宮が生まれるまでは」
ギリ、と奥歯を噛みしめる春宮。
室内の空気が変わった気がした。
「あれが生まれてから、城内も皇都も雰囲気が一変した。朕から親が離れ、兄が離れ、忠臣と思っていた者が離れ、人心は離れ……許嫁も離れた。あの時から苦渋に満ちた日々が始まったのだ。はははは、兄たちは手の平を返し、出来が悪いと朕を悪し様に蔑み、笑い、容赦なくいたぶるようになっていった。重臣たちは朕を見限り、こぞって秋津姫宮をちやほやし始めた。許嫁は朕を捨て、兄の一人と結婚してしまった……寝取られたのだ! はははははははは! 朕が春宮ではなくなったと言うだけでこうなった! こんな馬鹿馬鹿しい話があるか! はっはははははははは!」
心の底から愉快だと言わんばかりに大笑いする春宮。
俺には自嘲的で嗜虐的な笑いとしか思えなかった。
痛々しさの中に、狂気すら垣間見えた。
「それから朕は努力したぞ。強くなるため身体を鍛え、勉学に励み、多少強引な手を使ってでも臣を集めようともした。忠光の家臣に手回しもしたが、見事露見し兄たちからみっともない真似をするなと半殺しにされたわ。それでも朕とて皇族。金目当て地位目当ての女が言い寄ってきた。だが、その悉くを見目の良い兄に寝取られた気持ちがわかるか? 抱こうとした愛する許嫁に気持ち悪いと唾を吐かれる朕の惨めな気持ちがわかるか?」
俺は黙るしかなかった。
何と返事しようが慰めにはならない。
春宮の気持ちを理解できないのだから。
「わからんよ。ああそうだとも、誰にもわからん。あれほどの人数がいる宮中において、なお孤独。わかってたまるか。わかられてたまるか。肉親の父や兄どもは糞を見る目で朕を……汚物に顔を突っ込まされ、お前は糞だと罵られ続けるあの屈辱……はははは……」
春宮はブルブルと拳を震わせながら、それでも笑い続ける。
俺も絶望の闇に堕ちたらあんな顔をするのだろうか。
「権力でも体力でも頭脳でも兄たちには敵わぬ……だがせめて一矢報いてやりたい……ならばどうする。クソ共以上の力を欲するのは当然であろうが。朕はそれから故宮の書庫に入り浸りとなった。そこには古き伝承や文献が余さず残されていたからな」
故宮とは遷都前、西の果てにあったと言う旧皇都のことであろう。
東大陸を治めるこの国は、その歴史もかなり古い。
何百年、何千年も前の遺物が遺されていても不思議はない。
「朕は見つけた。見つけてしまったのだ。何者の存在を許さぬ大いなる力が未だ健在であることを」
「……それが魔神だってのかい?」
「そうだ! 魔神だ! ……世界を滅ぼさんとする魔神の力を持ってすれば兄上たちなど……しかし魔神は彼の聖女によって封じられておる。それは強固な封だ。朕如きにはどうすることも出来ぬ。そう思っていた」
春宮は細い目を薄っすらと開け、俺を、そしてマリーを見やった。
俺とマリーは金髪碧眼。聖女と同じだ。そのせいだろう。
「その時、朕に天啓が舞い降りた。あれこそまさしく天啓だ。朕はすぐにこの禍津地へ赴いた。たった一人の供も無く、道中何度も妖怪どもに襲われたがな。死にそうになったのも一度や二度ではない。だがそんな苦労は瞬時に吹き飛んだ。朕は魔神の眷属を呼び起こすことに成功したのだからな!」
春宮の血走った目は歓喜に満ちていた。
俺はこのあと語られるであろう事実を推測し、聞こえぬよう溜息を吐く。
「皇都に帰還した朕は、すぐさま復讐を実行した。眷属に恐れおののく兄上たちの顔は傑作だったぞ! 頭を柘榴のように割り、手足を引き千切り……泣き叫んで失禁し、許してくれと土下座する無様な兄たちの姿は
最高に愉快であったわ! 無論、朕を裏切った許嫁も例外ではない。身体の端々から徐々に潰していくとなかなか死なぬのだ。時間をかけてじっくりと嬲ってやった。言い訳も面白かったぞ。『貴方の兄上に無理矢理手籠めにされたのです』などと抜かしおってな。どの口が言うのかと下顎を握りつぶしてやったわ! 阿婆擦れめが! はーははははは!」
もう聞くに堪えぬ。
春宮はもう狂っている。
己の得た力に呑まれ酔っている。
もはや救えぬ領域にまで堕ちている。
俺は椅子を蹴って立ち上がりかけたその時。
「春宮殿下、拙者の父はどうなったのでござるか?」
霞ちゃんが先に立ち上がってそう言った。
「……水を差しおって……なんだ貴様は」
胡乱気に睨みつける春宮。
鬱陶しい羽虫を見る目付きだった。
だが霞ちゃんは堂々と名乗った。
「侍、成彬が一子、霞でござる!」
「成彬……? ほう」
俺は春宮の口が歪むのを見逃さなかった。
それは、歪な笑みであった。




