続・不運の男
「な……んだって……?」
アリスメイリスの言ったことが飲み込めず、いや、飲み込めてはいた。
ただ、信じたくなくて聞き返しただけだ。
「……ウェスタニア公爵代理見習いからの報告なのじゃ。本日未明、公爵城塞都市ラインハルトがモンスターの大群およそ2千匹に襲撃されたそうじゃ。その後、第二城壁が突破され、モンスターは難民街に侵入。甚大な被害が出た模様じゃ。対処に当たったのは、主に難民と一緒に王都から流れてきた大勢の冒険者たち。彼らは公爵領自警団と白百合騎士団公爵領分団の戦力を温存するために率先して戦闘に参加。負傷者は出たものの、現在まで第一城壁を死守しているそうなのじゃ」
淡々とした口調で告げるアリスメイリス。
呆気にとられる俺たち。
あまりにも冷静な事務的口調のお陰で俺の動揺もどこかへ消し飛んだ。
「なお、グラーフは足の怪我を押して指揮を執りに前線へ赴くも、ハイオーガの一撃にて肋骨を骨折し、敢え無く城内に担ぎ込まれたのじゃ」
「グラーフーーーーー!」
思わず叫んでしまった。
叫ばずにはいられなかった。
それは魂の慟哭であった。
どこまで運の無い男なのであろうか。
やる気はあっても行動が空回りばかりだなんて。
彼は世界中の不運を一身に背負ってしまったのか。
早期快癒を遠い空から願っておこう。
「ん? 負傷者だけ? 死者はいないのかい?」
「今のところはゼロなのじゃ」
「えぇ!? 2千匹のモンスター相手に!?」
「冒険者の中に癒術を使える者がいたのと、王都から派遣された神官の一団が来ておるからのー」
「神官が……」
中央大陸……いや、この世界における信仰は非常に曖昧だ。
明確な神と言うものが存在せず、極めて観念的なものとして位置づけられているせいである。
これは、太古に魔獣フェンリルが神々を滅ぼしてしまったことに起因すると言われている。が、その説すらも識者は懐疑的だ。そりゃそうだろう。伝説が事実かどうかなど誰にもわからないのだから。
それはさておき、神があまりに希薄な存在だとすれば、人々の拠り所となる信仰心はどこへ向かうか。
わかりやすい偶像へ向かうのが当たり前である。
そう、聖女だ。
聖女の存在は識者によって肯定されている。
彼女は実在したのだと。
明確に聖女教という教団名を掲げているわけではないのだが、神殿と言えば主に聖女を祀っているのが大半なのである。
ともあれ、そんな神殿の神官団が重い腰を上げて派遣されてきたと言うのは公爵領にとって良いニュースだろう。
彼らは戦士としての鍛錬も積み、多寡はあれど癒術を扱える者も多いと聞く。
何より、彼らは大義が無ければ動かない。
聖戦という大義が。
逆に言えば、今回の王都や周辺都市の襲撃を聖戦と位置付けたとも言えるわけだ。
モンスターによって信仰が侵されると判断したのだろう。
そんな彼らが来たのならば長期戦にも耐え得るかもしれない。
俺が戻るまでどうにか持たせてほしいものだ。
あと、神官さん。グラーフの怪我も出来れば治してあげて。
「わらわもこっちの分け身に意識を集中させておるから本体はあまり動けぬしのー……」
アリスメイリスがポツリとこぼす。
加勢に行けないのが残念そうだ。
分け身を動かしている時は本体をジッとさせておかなきゃならないらしい。
逆もまた然り。
つまり彼女もどちらを優先するかで葛藤しているのだろう。
「気に病まなくていいよ。モンスターならベリーベリーちゃんたちに任せられるけど、アリスはこっちの大事な戦力だからね。まぁ、危険度で言えばこっちのほうが遥かに危険だし、心配でもあるんだが、それ以上に期待してるんだ。一緒に闘おう、アリス」
「お父さまがわらわを頼りに……ああん! 大好きなのじゃー! んちゅー!」
「あー! アリスちゃんズルい! わたしもするー! ちゅー!」
飛びついてくるアリスメイリスとマリー。
力強く受け止める俺。
「……リーシャ殿。いつもあんな感じなのでござるか……?」
「え、うん、まぁ、概ね……」
「なんででござろう……ちょっと嫉妬してる自分がいるでござる(拙者もいつか、リヒト殿と熱い接吻を……いやん、破廉恥でござるよ!)」
「あはは……私もよ(大丈夫、私はリヒトさんの恋人。後でいっぱいキスしてもらうんだから!)」
リーシャと霞ちゃんが後ろで何やら囁き合ってる。
今後の作戦を練っているのだろうか。
その間にも春宮はコツコツと足音も高らかに先へ進んでいる。
俺たちも後を追って御車の中へ。
春宮は長く広い廊下を歩く。
両脇の部屋には目もくれず。
向かっているのはどうやら一番奥のようだ。
それにしても広い。
広すぎる。
廊下ひとつ取っても馬車がすれ違えるほどに広いのだ。
空中から見た感じ、御車は縦横50メートルくらいはありそうだった。
いったい何十頭の馬が居ればこんなものを動かせるのだろうか見当もつかない。
春宮はこれほどの建造物を作り上げる財力と権力を持ちながら、何ゆえ魔神を復活させようとしているのだろう。
彼は凄まじい目をしていた。
あれは何者も信じぬ目だ。
この世の全てを憎んでいる目だ。
好色そうにリーシャたちを見ていたのは本心に違いあるまい。
しかし他の者に対しては、まるで汚物や虫けらを見るような視線だった。
春宮はアホだバカだと忠光がこき下ろしていたけど、鵜呑みにしないほうがいいかもしれんな。
ってか、変な目でリーシャと霞ちゃんを見るんじゃないよこの野郎。
リーシャは俺のだぞこの野郎。
「ここだ」
春宮が足を止めると、大きな一枚板の扉が自動で左右に開いた。
どうやらこの部屋は広間のようである。
東大陸特有の装飾が施され、楽隊も見当たらないのにどこからか落ち着いた雰囲気の音楽が流れてくる。
奥には階段付きの高座があり、その椅子は美麗で華美な彫刻で埋め尽くされていた。
中央大陸とは大分趣が異なるが、あれはきっと玉座だろう。
つまりここは出先でも要人らを迎えられるように作られた謁見の間なのだ。
だが春宮は玉座には向かわず、広間の中央に置かれた大テーブルの椅子に腰かけた。
そのテーブルは絹織物らしきクロスがかけられ、菓子や茶器が鎮座していた。
空いている椅子は5脚。
俺たちの人数ときっちり同じだった。
春宮はニチャリとした笑みを浮かべてこう告げた。
「さぁ、掛けたまえ。存分に語らおうではないか」




