春宮現る
重々しい音と共に観音開きとなる御車の大扉。
一匹の長く赤き竜の意匠が施されたその扉を見て、龍神族たちは渋面を作った。
何か苦々しい謂れでもあるのだろうか。
思わず身構えたのは他の妖怪隊の面々。
中から大軍勢が飛び出してくるとでも思ったのだろう。
包囲されてから軍を展開するのは悪手だと俺は知っていたが、いちいちそれを指摘したりはしない。
程よい緊張感は持っていたほうがいいからだ。
コツ コツ
内部から聞こえてきたのは足音がひとつだけであった。
その足音は小さく、軽い。
コツ コツ
次第に大きくなる靴音。
見れば扉からはいつの間にか煙が溢れ出していた。
食事の際の煮炊きか、それとも火事か。
いや、これはある種の演出か。
そして煙の中から現れたのは────
「あれが春宮ですか?」
「なんと言えばよいのか困るでござるな」
「パパ、ホントにあのひと?」
「こりゃまた妙じゃのー」
リーシャたちが不思議そうにしているのも無理はない。
なにせ俺も呆気にとられていたのだから。
そいつは着物とは少し違う煌びやかな衣装を纏っていた。
頭には簾のようなパーツがいくつも付いた、変わった形の王冠。
身長は小さく、小太りで異様に頭だけが大きい。
細い目はギラギラした視線で俺たちをねめ回し、リーシャと霞ちゃん、お銀さんに目を止めて好色そうな下卑た笑みを浮かべている。
驚きはしたが、忠光から聞いていた通りの風貌と性格。
────間違いなくこいつが春宮だ。
こんな小男が、と誰もが思ったであろう。
俺ですら今も信じられぬ。
それほど矮小に見えるのだ。
「ああ、彼が春宮だよ」
「相違ありんせん」
俺と宵闇ちゃんの言葉で全員が緊張を取り戻す。
みんなも気付いたのだ。
春宮が纏う雰囲気に。
100名を超える大妖怪隊に包囲されて尚、不敵に笑う春宮の不気味さに。
まずいね。
場の空気に吞まれかかってる。
流れを変えないと。
「春宮殿下、お初にお目にかかる。私は中央大陸公爵のリヒトハルトと申す」
言葉遣いは丁寧に、だが敢えて高圧的に言い放つ。
ここで下手に出るのは下策だ。
言いかたは悪いが、俺たちはハナから喧嘩腰で来たのだから。
「おお。これはこれは。遠いところをわざわざお越しいただき恐悦の極み。さぁ、中で茶でも飲みながらゆっくり話そうではないか。そちらの可愛らしいお嬢さんがたも是非ご一緒に」
思っていたよりも渋みのある声で春宮は言った。
ああ見えて結構な年齢なのかもしれない。
と言っても俺よりは下だろう。
……怪しいね。
俺はまず、罠を疑った。
我々を御車の内部に引き込み、潜ませてある親衛隊に襲わせれば済む。
もしくは娘たちを人質に取ればその時点で俺は抵抗できなくなる。
しかしそれは、あまりにも見え見えではなかろうか。
そんなわかりやすい罠にかかると本当に思っているのだろうか。
舐められたものだ。
「いえ。お気持ちは嬉しいが、それは」
「色々と語り合いたいことがあるのだ。公爵殿よ」
「……」
断ろうとした矢先に言葉尻を捉えられた。
そう言った春宮の目は真剣そのものだ。
あるいはそれすらも罠なのかもしれない。
だとすればかなりの演技派だ。
とは言え、俺も聞きたいことが山ほどあるのは確かだ。
よかろう。乗ってやる。
俺は後ろに控える宵闇ちゃんとお銀さんに耳打ちする。
二つ三つ伝えると二人は頷いた。
それから向き直って春宮へ告げる。
「ご相伴にあずかりましょう」
「よし、決まった。ではこちらへ」
踵を返す春宮。
俺もそれに倣ってついて行こうとした時、ハタと気付いた。
誰を一緒に連れて行けばよいのやら、と。
心情的に考えれば、どんな罠が張られているかもしれない場所にマリーやアリスメイリスを同行させたくない。
リーシャと霞ちゃんは機転も利くし実力も充分養ってきた。
ここはやはりリーシャと霞ちゃんが適任だろう。
とは言ったものの、この場に娘たちを残していくのは果たしていかがなものか。
九頭龍や僧正坊に任せておけば安心かもしれぬが、俺たちの御車突入と同時に親衛隊の強襲に……いや、ここでうだうだ考えても詮無きこと。
ガタガタ言わずにみんなを俺が守ればいいのだ。
思えば、どうせ俺が『マリーとアリスはここへ残りなさい』なんて言ったところで『やだ! ぜったいパパといっしょにいくもん!』とか『お父さまが心配じゃから一緒に行くのじゃ!』などと駄々をこねるに決まってる。
実に可愛らしいが、その頑固さは一体誰に似たのやら。
「パパ」
「お父さま」
「ああ、わかってるよ。一緒に行こう」
「うん!」
「はいなのじゃ!」
パッと顔を輝かせる娘たち。
二人も俺に残れと言われる覚悟はしていたのだろう。
「リーシャ、霞ちゃん。きみたちも来てくれるかい?」
「勿論ですよ! リヒトさんの行くところに私在り! です!」
「拙者はハナから断られても行く気でござった!」
なんと頼もしい。
まぁ、二人とも猪突猛進の気があるから心配なんだけれど。
「気は抜かず、でも肩の力だけは抜いておこう。では出発!」
「お父さま、待ったなのじゃ」
気合を入れたところにいきなり待ったをかけられ、ズッコケそうになる俺。
だがアリスメイリスの表情は真剣そのものだった。
一旦きつく目を閉じ、それきり黙ってしまう彼女。
「どうしたんだいアリス」
「……お父さま。落ち着いて聞いてほしいのじゃ」
瞼を開いたアリスメイリスの少し青ざめた顔を見て、誰もが息を飲んだ。
何か良くないことが起きたのだとわかってしまったから。
彼女は俺の手をギュッと握り、こう呟いた。
「公爵領がモンスターの大群に襲われたのじゃ……」




