真祖
ピコーンピコーンと鳴りやまぬ冒険者カード。
レインファントムと言う、高位のアンデッドを倒したからだろうか。
凄まじい勢いで俺の頭上に【冒険者ランクアップ!】、【ステータス補正値上昇!】、【スキルポイント獲得!】のログが何度も踊った。
だが俺は、いや俺たちは、そんな些末事に気を取られている場合ではなかったのである。
疲れ果ててへたり込む俺たちの前に、どこから現れたものか一人の女性が堂々と立ちはだかったのだ。
それも絶世の美女と謳われ、この国で絶大な人気を誇る歌姫『マルグレーテ』と遜色がないほどの。
その女性は十代にも二十代にも見え、紫の長い髪はカール気味だ。
大きな瞳は煌めく黄金のような金色。
ニッコリと笑う赤いルージュを差したその口元からは、異様に鋭い八重歯が覗いている。
とてつもないグラマラスなボディを包むのは、光沢がある濃紺で革製と思われる衣装。
異様に露出度の高いピッチリと身体にフィットしたスーツであった。
そして背中に、表は濃紺、裏地は真紅のド派手なマント。
なんだっけこう言うの。
たしか……そう!
ボンデージ、だったな。
結構前にファッション雑誌で見たよ。
世の中ではこんな破廉恥な服が流行っているのかと仰天したもんさ。
ともあれ、美女、美人としか形容のしようがない人物だった。
「……っかー! ……すっげぇ美人でさぁねぇ……!」
「……美しい……」
グラーフと俺は、つい嘆息を漏らし、見惚れてしまった。
男とは美人に弱い性質を持つ、悲しくも愛らしい生き物なのである。
そして、そんなだらしない俺たちの気配を敏感に察知するのが、か弱くも愛すべき女性と言う生き物なのである。
そこに年齢は関係などなかった。
「むー! リヒトさん! グラーフ! ふやけた顔してないで、しっかりしてください!」
「ねぇねぇ、パパー! わたしをみてー!」
リーシャがペシペシと呆けるグラーフの頬を張り、背負ったマリーは小さな手で頬を挟み、俺の顔を強引に後ろへ向けようとしていた。
嫉妬心が芽生えるなんて、成長したんだねマリー。
だけどね、俺の首はそれ以上後ろへ回らないよ?
人間の関節には可動限界ってもんがあるんだ。
それと、普通の人にやっちゃいけないよ。
首が折れてしまうからね。
「再度問おうかの。お主ら、ここでなにをしておるのじゃ? わらわの下僕にでもなるつもりかえ?」
耳が幸福に満ち溢れるかのような声。
なんと澄んだ天上の音色。
聞いているだけで全身が蕩けだす心地だ。
一度だけ地方巡業にアトスの街へ訪れた歌姫『マルグレーテ』の歌を聞いたが、これはそれ以上ではないだろうか。
あぁ、この声を聴いていられるのなら下僕になっても悔いはない。
「ねぇ、パパ! どうしてこっちをみてくれないの!? わたしがきらいになっちゃったの!?」
「!?」
愛娘の涙声に、俺は一瞬で我に返った。
まだ少しぼやける視界に、涙目のマリーが映る。
俺の頬を小さな手で必死に挟み、大きな青い瞳にはこぼれんばかりの涙。
桜色の唇はへの字に歪み、今にも泣き声が溢れ出そうなのであった。
なんだ?
何が起こっている?
なんで俺はマリーを泣かせた!?
確か俺は、あの女性の顔と声を聴いていたらなんでかメロメロに……
……まさか、幻惑術か!?
高い知能を持つ魔族系のモンスターが良く使うってのは聞いたことがある。
つまりこの女性は人間ではなく魔族だと言うのだろうか?
だが、確かにどこか人間離れした雰囲気を放っているような気がする。
いや、それよりも対抗手段を……
俺は震える指で懐から冒険者カードを取り出し、スキル習得のボタンを押した。
現れたスキル一覧を検索する。
……これだ。
【精神異常耐性】、そして【看破】のスキル。
俺は迷うことなくふたつのパッシブスキルを習得した。
本来ならば限られたスキルポイントの割り振りに頭を悩ませるところだが、現状を打破するにはこれしかない。
ちなみに、パッシブスキルとは常時発動するスキル群の総称である。
対して、能動的に攻撃や回復を行うスキルをアクティブスキルと言う。
つまり習得が完了した時点でパッシブスキルは発動するのだ。
スキルは正しく発現し、瞬時に俺の脳は覚醒した。
「もう大丈夫だよマリー。助けてくれてありがとう」
「パパー!」
俺はマリーの頭を撫でながら、女性のほうをキッと睨んだ。
だが、睨んだはずの俺の目は、呆気にとられたものに変わった。
だって。
さっきのすっごい美女はどこに行ったの?
いや、人物そのものは、そこにいるにはいるんだよ。
着ている服も同じ人物がね。
ただ、その。
俺の目には、マリーよりも少しだけ年上の幼女にしか見えないんだよ!
どうなってんの!?
もしかして、これがあの美しい女性の本来の姿なのかい?
「ほらほら、そのままわらわの下僕になるのかえ? だらしない顔をしおって。情けない人間なのじゃ」
幼女は涎を垂らすグラーフを更に煽る。
最早グラーフは絶頂寸前の顔で、アヘアヘと喘いでいた。
だが、俺には先程のような美しい声音には聞こえず、単に可愛らしい子供の声にしか思えなかった。
おい。
まさか俺もあんな顔してたのか?
とてもじゃないがマリーに見せられたもんじゃないぞ。
俺は背後から幼女に近付くと、ひょいと首根っこを捕まえて持ち上げた。
驚いたのか、幼女はジタバタと暴れはじめる。
左手で首を掴んだのは、抵抗された際にそのまま攻撃魔導を発動できるからである。
既にレインファントムから受けた【攻撃魔導封印】の状態異常は解除されているのを確認済みだ。
「こっ、こりゃ! 猫の子みたいに首を掴むでない! ふぎゃー!」
「……なぁ、子猫ちゃん。きみこそいったい何者なんだい? 子供がどうしてこんなところへ一人でいるのかな?」
「なっ!? こ、子供!? わらわの幻術がお主には効かぬのかえ!?」
「いや、さっきまでは見事に効いてたよ。ちょっとスキルを取っただけさ」
「バカな! 例え【精神異常無効】の最上位スキルがあってもわらわの幻術は貫通するはずなのに……! 本当に何者なんじゃお主は!?」
「普通の新米冒険者だよー。嘘じゃないよー」
「嘘つきなのじゃ! 有り得ぬのじゃ!」
「なんでもいいさ、ともかくきみの幻惑術はもう俺に効果がないとわかったね? さぁ、彼にかけた術を解いてくれないかな。おっと、一応言っておくけど俺に攻撃魔導は効かない、と思うよ」
「……う、うん……なのじゃ……」
絶対の自信があった幻惑術を破られ観念したのだろう、手足をだらんと下げ、シュンとした表情になる少女。
術を強制的に解かれたからか、グラーフは白目を剥いたまま気絶してしまったようだ。
今度は慌ててリーシャが介抱している。
いったいどんな幻を見せられていたんだろう……
俺もああなっていたのかと思うと恐ろしい。
「きれいなかみのけー」
「こ、こりゃ、髪をクシャクシャにするでない、くふっ、くふふっ」
マリーが俺の背中から手を伸ばし、少女の薄紫の髪を触る。
彼女はくすぐったそうに身をよじらせて笑った。
おやおや。
もう仲良しさんになったのかい?
子供同士ってのはすぐに仲良くなれるからね。
みんなが落ち着くのを待ってから、この幼女に話を聞くことにした。
消えてしまった焚火に再度点火し、その前に俺はあぐらをかく。
そして俺の膝の上に幼女を座らせた。
これは見張りと警戒を兼ねているのだが、どうにもこの幼女が寂しそうに見えてならないのも理由のひとつである。
目覚めたグラーフと介抱していたリーシャも焚火を囲み、お茶を飲んでようやく人心地つけた。
俺たちの視線が自然とこの少女に集中する。
特に子供好きのリーシャは興味津々のようだった。
可愛いもんな。
幻惑術の美女よりも遥かに好感が持てるもの。
やはり美少女と言うのは得だね。
色々尋ねたそうなリーシャのキラキラした瞳をジッと見ていた少女が、諦めたようにようやく口を開いた。
「……我が名はアリスメイリス・ゴールディア」
「待って」
俺は即座に待ったをかける。
この歳になると長い名前を言われてもパッと覚えられないのだ。
アリスメイリス・ゴールディア?
長いし随分と立派な名前だな。
『リヒトハルト』なんて名前の俺が言えた義理じゃないがね。
だけど、呼ぶ時に『アリスメイリス』といちいち言うのは困らないか?
「アリス、でいいかな?」
「アリスちゃんね」
「アリスの姐さんでいいっすかね?」
「ありすちゃん!」
「ええい! もうそれでよいわ! 好きに呼ぶがいいのじゃ!」
キィッと一声叫んでそっぽを向くアリス。
頬を膨らませているあたりが年相応に見えてなんとも愛くるしい。
本当に猫みたいな子だな。
俺が慰めるように頭を撫でると、アリスは嬉しいのか悔しいのかよくわからない表情になる。
だがすぐに気を取り直して、高らかにこう告げた。
巨大な洞窟中に響くような声で。
「わらわは『アリスメイリス・ゴールディア』! 誇り高き血脈、【真祖】じゃ!!」
「真祖ぉ!?」




