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娘の事実



 俺がジリジリとした焦りに追い立てられつつ先を急いでいた頃────



 忠光もまた、焼け付くような焦燥感と闘っていた。


 ……おかしい。

 これほどまでに迫られておきながら、何故春宮は動かぬ。


 忠光軍は現在、皇都近郊の平原に布陣していた。

 皇都とは、言うまでもなく春宮の本拠地だ。

 自らの居城もあれば大勢の臣民もいる。

 その近辺が戦場となれば、戦禍は皇都に及ぶかもしれない。


 いや、それ以前に忠光が直接皇都を攻め落とす可能性だとてゼロではないのだ。

 そんな危機的状況にもかかわらず、春宮が前線より戻ろうとしないのは何故なのか。


 戻った乱波の報告によると、春宮軍は魔神との戦闘すらおこなっていないと言う。

 しかも眷属と思しき妖が散見されているのに、だ。


 何か動けぬ理由があるのか。それともまさか、春宮は魔神との間に、何らかの戦時協定でも結んだのか……?

 例えば、一時休戦や和睦などを……フッ。焦りすぎだな、オレも。


 あまりにも馬鹿馬鹿しい考えに、忠光は苦笑しながらかぶりを振る。

 相手は破壊の化身。有り得ない。

 話し合いに応じるような者であるなら、魔神大戦など起こるはずもないのだ。


 ならばどうする。

 ここで待ち構えるより、直接最前線まで赴くべきか。

 ……だが、それは魔神や眷属との戦闘も視野に入れねばなるまい。

 我らはそれも辞さずの心構えだが、次郎吉ジロキチ隊はそうもいかぬか。

 眷属の恐怖を肌で知る者たちだからな……

 実戦経験の豊富な次郎吉隊の五千人は重要だ。その彼らを投入できぬとあれば、やはり魔神らとの接触は避けるべきか。

 恐慌をきたした軍ほど脆いものはない。

 その脆くなった部分をチョイと突かれれば一気に総崩れとなるだろう。

 春宮を最前線から引き離す前に忠光軍が壊滅の憂き目に遭う、などと本末転倒もいいところで笑い話にもならぬ。


 ……となると、次策が必要だ。

 勿論あるにはある、が、これは酷く気が進まん。

 しかし春宮を前線から引き剥がすにはやむを得まい。

 兄者が存分に魔神と闘うためにも、な。

 仕方ない、多少の汚名は我慢するとしよう。

 全く……アホ春宮め、とっとと動きやがれってんだ。

 しっかし、兄者のヤツ、おっせぇな! 最初の予定じゃとっくに最前線へ向かってるはずだろ!

 ま、予定外が色々と重なってるし、そのお陰でこっちも考える時間が出来たがな。


「全軍! 皇都包囲に切り替えだ! 隊列を組みなおし、転進せよ!」

「と、殿! よもや皇都を攻めるおつもりですか!?」

「あぁ? 馬鹿を言え。これは脅しだ。我々が皇都に攻め寄せる気配を見せれば、春宮も戻ってくるしかあるまい」

「な、なるほど……さすがは殿! 御意にございます! 移動開始! 反転移動開始だ!」

「急げよ」

「ははぁっ!」


 流れるように各部隊の移動が始まる。

 我ながらこの軍は一流だと思う。

 長きに渡る練兵と調練が、今こそ真価を発揮しているのだ。


 ……唯一、惜しむらくは実戦経験の少なさよ。

 果たして最前線で闘い続けた春宮軍に抗し得るのか……


 それから数時間を費やし、忠光軍は皇都を取り囲むように布陣し直した。

 セオリーよりも多少遠めに陣を張ったのは、皇都守備兵の矢を受けぬためである。


 流れ矢などで兵を失うのは御免だからな。

 さて、オレの策が吉と出るか凶と出るか……


 皇都城壁の上には守備兵が集まって来ていた。

 しかし、その数は異様に少ないと感じる。

 あれでは忠光軍が本気で攻め寄せた場合、半刻と経たずして落城するであろう。

 だが、彼らの士気は高いようだ。

 あのような春宮に対して忠義を持っていると言うのだろうか。


 そうではない、と忠光は思った。

 春宮への忠義心ではなく、皇帝への忠義心であると見抜いたのだ。


 現皇帝も当然悪霊派ではあるが、政治的な面だけを見るならある程度の善政を布き、聖女派とも多少なりと折り合いを付けながらこれまでやってきていた。故に皇都民からの信頼はそこそこ篤い。

 しかし、愚息もいいところの春宮が全てを台無しにしてしまった。


 伝統だか何だか知らんが、末子相続制などに拘った結果がこれだ。

 ……まぁ、そんなくだらないもんがあったせいで、オレは切り札を手に入れたわけだが……

 最初に聞いた時は本気で驚いたぜ。まさかあの……


「報告いたします!」


 伝令の声で我に返る忠光。

 どうやら沈思黙考に耽っていたようだ。


「申せ」

「はっ! 春宮軍は不動! 春宮軍に動く気配なしです!」

「なんだと……?」


 我々が皇都を包囲した情報は間違いなく春宮に伝わっているはずだ。

 なぜなら春宮の斥候と思しき見慣れる輩が、我が陣の近くまで来ていたからである。

 こちらは浪人上がりの忍が技能スキルで見張っているとも知らずに。


 だとすると春宮は本物の馬鹿なのだろうか。

 帰る場所を失ってでも魔神と闘いたいと言うのか。


 わざわざ気の進まぬ皇都包囲をしたってのに……あの野郎……

 こちとらフリとは言え、皇都民に不安と恐怖を与えちまってんだよ……

 このままじゃ、更に気の進まん策を使うしかなくなるじゃねぇか。

 それだけは御免蒙りたいところなんだがなぁ……


「あの……忠光さん」


 ほうれ、見ろ。

 察しの良い聡い子だけに、な。

 いくら事前に話し合って決めた最終手段とは言っても、これは本気で避けたかったぜ。

 この状況を一変させる絶大な効果があるとしても、だ。

 あ~あ、絶対兄者に殺されるな、オレ。


「本当によろしいのですな?」

「はい。それが使命……いえ、運命なんだと思います」


 最後の確認を取った忠光は、深々と溜息をついてから家臣に向かって下知を下す。


「妖術拡声器の用意をせよ!」

「ははぁっ!」

「御意!」


 速やかに荷車から拡声器が降ろされ、東西南北の全てに配置された。

 これで皇都の隅々まで声が届く。


 忠光は網を被せた棒を手に取り、もう一度溜息をついてから大きく息を吸い込んだ。


「皇都に住まう全ての民草と、皇帝陛下に申し上げる! 皇帝陛下の御息女にして正統なる末子皇女の秋津姫宮アキツヒメノミヤさまが御帰還なされた! よって、春宮は正統後継者に非ず!」


 大音量で響き渡る忠光の声。

 皇都内で巻き起こったどよめきがここまで聞こえてくる。

 忠光は渋面のまま少女に棒を渡した。

 覚悟を決めたように頷く少女。



「私は秋津姫宮です! 兄の襲撃を受け、やむなくこの東大陸を脱出し、中央大陸へ逃れました! そこで出会った人々の助けを借りて、兄の暴挙を止めるべく只今戻ってきたのです!」



 少女……アキヒメは高らかにそう告げたのであった。



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