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深淵 2



 僧正坊が準備しておいてくれた隠しアジトは、山間のひっそりとした場所にあった。

 かなり険しい山間部にあるため、滅多なことでは人も妖怪も現れないと言う。

 もっとも、そう言う場所でなければアジトとして成り立つまい。


 元々このアジトは天狗族が秘していた財宝の隠し場所だったそうなのだが、魔神の眷属に全て取り上げられてしまったらしい。そしてそれは龍神族や鬼人族も同様であった。鬼人族が人里を襲って食料を強奪していたのはこれが一因だろう。

 しかし何故魔神が金品を欲しがるのか……


 そんな疑問を残しつつも、今や何の価値も無くなったこのアジトならば却って安全ではなかろうかと僧正坊は判断したのだ。

 忠光藩から皇都までの直線状、しかも皇都にほど近く、空を行く我々にとっては利便性の良さも選んだ理由だと言う。

 そして何よりその広さ。

 龍化した龍神族全員が降りられるほどのスペース。これが決め手となった。


 俺たちにとっても有難い野営地であるが、流石にきちんとした建物などはなく、事前に天狗族が用意した天幕で一晩を過ごすことになる。

 それでも野宿に慣れた俺には充分であった。


「食料も酒も大量に運び込んであるゆえ、存分に飲み食いなされい」

「ああ、そうさせてもらうよ。よし、今夜は俺が腕を振るおうか」

「おぉ! 皆の者! リヒトハルト殿が夕餉を振る舞ってくれるそうだ! 喜べい!」


 ウォオオオォォ!


 僧正坊の声に喝采を上げる面々。

 何度か食事を作ったこともあり、連中はどうやら味を占めたらしい。


 ま、喜んでくれるのは嬉しいけどね。

 これぞ料理人の本懐ってもんさ。


 図らずも決戦前の壮行会となった。

 飲めや食えや踊れや歌えやのどんちゃん騒ぎである。


「ささ、リヒトハルト殿、まずは一献」

「おっとっとっと」


 九頭龍が升になみなみと酒を注ぐ。

 あり得ないほど芳醇な香りが鼻を抜け、辺りに広がっていった。


「これは城の倉庫にずっと眠っていたそうだ」

「ほほう。それはすごそうだね」

「文献によれば、五代前の忠光殿が先代の妖怪総大将から拝領した酒とか」

「ブフッ! そんな古いの大丈夫なのかい!? あれ……? でも美味いねこれ!」


 俺がそう言うと、みんな一斉に飲みだした。

 ……まさかとは思うが俺を毒見に使ったのだろうか。


「私も今日は特別に飲んじゃいます!」

「拙者もお供するでござるよリーシャ殿!」

「わっちもいただくでありんす」

「あちしも飲みまくるのだ!」

「酒吞童子殿はいつでも飲んでおられるでしょうが」

「全くです。これ酒吞童子! リヒトハルト殿に、ねっちりと絡みつくのはおよしなさい!」


「あー、いーなー! おとなだけズルいー!」

「マリーお姉ちゃん。わらわたちはジュースで我慢するのじゃ」

「えー、アリスちゃんはおさけのんでみたくないの?」

「それはその……」


 俺の料理と鬼人族の裸踊り、龍神族の歌と天狗族が奏でる音楽を肴に大盛り上がりであった。

 ……そして誰も気付いていなかった。酒の入った樽に、『危険! 超濃酒【涅槃】』と書かれていたことを。





 ────暗く、深い奈落にゆっくりと落ちて行くような感覚────


 俺はこの感覚を知っている。

 

 あぁ……またあそこに行くのか……


 俺の意識はぼんやりと希薄になり、その代わり、俺ではない俺が────




『……またお主か……大いなる力を持ちし者よ』


「ふむ。貴様は間違いなくここに居る(・・)な」


『何の確認かは知らぬが、我が脱することはかなわぬ。斯様なことはお主が一番よく知っておろう』


「フッ、そうだった。その枷は俺ですら外せぬからな。しかし、ようやく俺の問いに答えたかと思えば……それは前回の嫌味か?」


『ふん。好きに取るがいい……して、用件は何だ? 理由もなく訪れるはずもあるまい。お主が最も忌み嫌うは我よ』


「……」


『今度はお主がだんまりか。前回とは逆よの』


「やかましい。だが……貴様はここに居る。それは間違いない。ならば地上のあれは何だ?」


『……我の意志ではない』


「ほう? どう言う意味だ?」


『あれは我の《存在》ではなく、《力》のみを欲しているのだろう』


「貴様の力のみを……それは止められぬのか?」


『如何ともし難い。ある種の呪い(しゅくふく)よ』


「……ならどうする」


『放っておくがよい。いずれ自滅するは必定』


「俺もそう思うが、あのまま放置しては地上が持たん。あれは今や眷属をも操っている」


あの時(・・・)の二の舞になると?』


「ああ。最終的には、な」


『ふん。それこそ我の知ったことではないわ』


「……」


『お主が懸念しておるのは地上などではあるまい。あの時は怒りに任せて……』


「やめろ……!」


『また娘を失うかも知れぬと恐れておるだけよ』


「やめろと言っている! …………お互い、前回よりも記憶が戻ってきているようだな……」


『うむ。お主がかつて、天上にあったことも』


「貴様がかつて、俺の娘を……」


『それらも全て過去のことよ』


「もういい。話は終わりだ」


『……ひとつ。忠告しておこう』


「……なんだ?」


『お主も使え。【神殺し】を』


「……!」


『我から切り離された力のみとは言え、あれは強大よ。なれば……』


「……考えておく」


『躊躇すれば再び……』


「さらばだ」


『……』




 声と気配が遠ざかって行く。

 そして俺の意識も。




「あれ?」


 気付いた俺は、灰色の世界の荒野に立っていた。


「またここ!?」


 ここは以前、先代の妖怪総大将、つまり宵闇ちゃんの実父と出会った場所だった。

 どうやらあの二人の会談の後は必ずここに来てしまうらしい。

 ならば話は早い。先代に会って元の世界に帰るだけだ。


 あれ?

 そう言えば今回はぼんやりと覚えてるな……おっと、こうしちゃいられない。


「おーい! 御老人! どこですかー!?」


 声を張り上げながら彷徨う。

 すると、さして歩くこともなく。


「ほっ、また来たのかリヒト坊」


 ポンと目の前に浮かび上がる手のひらサイズの小さな老人。

 フワフワ浮いてるあたり、さすが宵闇ちゃんの親父さんだ。


「ええ。恥ずかしながらまた迷い込んでしまいました」

「ほっほっ、儂は嬉しいぞい。ここは快適だが退屈でのう」

「は、はぁ」


 そりゃそうだろう。

 ここって何もないもんな……いや、快適か?

 あ、でも御老人は何かを封じてるんだったな。


「話し相手が欲しいと思っておったところだぞい」

「俺でよければ喜んで」

「ほっほっほっほっ、リヒト坊は相変わらずの間夫よのう」


 カンラカンラと笑う御老人。

 退屈しのぎにくらい付き合ってもよかろう。


 ……待てよ。前回、ここから帰った時って、俺、仮死状態になってなかったっけ?

 いかん!


「ですが、あまりゆっくりとはしていられないんです。魔神と闘うために皇都へ向かってる途中でして」

「ほっ、そうか、それは残念じゃのう。しかし何でまたそんな時にここへ来たのかのう」

「忠光藩に秘蔵されていたお酒を飲んで……そう言えば九頭龍は先代の妖怪総大将の酒だとか言ってましたよ」

「ほっ!? ま、まさか、儂が残した超濃酒【涅槃】を飲んだのかの!?」

「名前まではわかりませんが、たぶん……」

「あれは並の者ならば香気を嗅いだだけで昏倒してしまうような酒じゃぞい! 飲めば数日は起きれんぞい!」

「えぇぇええええ!?」

「不味いぞい! リヒト坊、すぐに戻ったほうがええ! もはや幾日経っておるかわからん! 今、帰りの道を開いてやるぞい!」

「お、お願いします! 何日も寝てたら大変なことに!」

「よし、開いたぞい!」

「あ、ありがとうございます! お礼はいずれまた!」

「そんなもん気にするでないぞい! あの酒を残した儂の責任でもあるぞい!」

「では、さようなら!」

「もし他に酒を飲んだ者がいるなら、麝香石を煎じた湯を飲ませるといいぞい! 麝香石は宵闇が持っておるぞーい!」

「わかりましたー! ありがとうございまーす!」


 例の光に包まれ、消えゆく俺。

 御老人の焦った顔が印象的だった。


「うわぁ……」


 そして戻った俺が見たものは、そこら中に死屍累々と転がるみんなの姿だったのである。


 わっ!

 マリーとアリスまで寝ちゃってる!

 きっと、酒の匂いを嗅いじゃったんだね……




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