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豪雨


 その日は朝から大雨に見舞われた。


 田園地帯を抜け、山間を縫うように伸びる大街道に入った辺りである。


 春先とは言え、まだまだ雨は冷たい。

 もう少し気温が低ければ、間違いなく雪となっていただろう。

 現に今も、吐く息が真っ白なのだ。


 俺はマリーを背負い、その上からマントを羽織った。

 商人さんからいただいたこの黒マントは、耐水性や保温性、更には耐熱、耐衝撃にも優れているのだ。

 なんでも、希少なモンスターの皮を丁寧になめした逸品であるらしい。


 もはやあの商人さんには感謝どころか崇めてもいいレベルである。


 ともあれ、これでマリーが濡れることはないだろう。

 風邪など引いては可哀想だからな。


 だがこの豪雨の中に突っ立っていては元の木阿弥と言うものだ。

 せめて街道脇の林にでも逃げ込んだ方が多少の雨よけにはなると思う。


 俺たちは全力で山の麓の林へ駆け出した。


「こりゃあダメですね! 木がスカスカでさぁ!」


 雨音で阻害されるからか、大声で言うグラーフ。

 彼の言う通り、枯れ木ばかりが目立ち、これでは雨宿りも出来そうになかった。


 それよりもさ、きみはまず上着を着なよ。

 マジで死んじゃうぞ。


 俺の肉体ならともかく、リーシャやグラーフがこんな冷たい雨に打たれ続けたらまずい。

 ちょっとした怪我くらいなら俺のヒールで治せるが、肺炎などの病気に罹患した場合が怖いのだ。

 病を寛解、もしくは快癒させるような術は、ヒーラーの上位職にもあるかどうかわからない。

 それゆえ誰かがせった場合、近くに街もない状況だと身動きすら取れなくなる恐れがある。


 しかし、そうは言っても逃げ込める場所なんて……


「リヒトさん! あそこ! あれって洞窟じゃありません!?」


 リーシャが指差しているのは林の隙間から見える岩山の方角だ。

 俺の目ではよくわからない。

 だが俺はリーシャのげんを信じた。


 なにね。

 仲間の言葉を信じたいからってのが一番ではあるんだけど、加齢のせいか、最近俺の目はかすむことがあるんだよ……

 だもんで、自分の目よりもリーシャの若く大きな瞳のほうが遥かに信頼できるんだ。

 ……とほほ。


 リーシャが言った通り、少し走るとすぐ岩肌にぽっかりとした大穴があるとわかった。

 大雨と曇天で薄暗いせいか、はたまた枯れ木による木立と無機質な岩山のせいか、なんだかやたらと不気味に感じる。

 とは言え、これほどタイミングよく逃げ場が見つかるのもまた僥倖と言えるだろう。


 俺たちは一も二もなくその洞窟へ駆け込んだのである。


 そしてようやく一息つけた。


「ふぅー、いやぁ、盛大に降ったもんだねぇ。マリー、大丈夫かい?」

「うん、へいきー」


 俺はマリーを背中から降ろして、多少濡れた顔をタオルで拭った。

 平気とは言ったが、やはりこの寒さは堪えるのだろう、身体が少し震えている。


「すごい雨になっちゃいましたね」

「へーっくしょい! べらぼうめぇ」

「ちょっとグラーフ、くしゃみはあっち向いてしなさいよ!」

「へ、へい、失礼いたしやした姐さん。うー、それにしても冷えやすねぇ……」

「あんたは薄着すぎるのよ、ちゃんと身体は拭いておきなさい」

「……優しいすね、リーシャの姐さん……女神だ……」

「な、なに言ってんのよバカ」


 嗚呼、青春、だねぇ。

 青い春だなんて、昔のは人は上手いこと言ったもんだよ。


 さて、若い二人はともかく、マリーの身体を温めてあげないとな。

 火力調節は、調理時の強火くらいでいいか。


「【ファイアボルト】!」


 俺の左手から噴出する拳大の炎。

 マリーを後ろ向きにして、その小さな背中へ熱すぎない程度に炎を近付けた。

 凍えている時は背中を温めるといい、なんて話をどこからか聞いた覚えがあるのだが、嘘か真かはわからない。


「あったかーい」


 ホッとため息を漏らすマリー。

 やはり相当寒かったのだろう。


「リヒトの旦那、洞窟に散らばってた木の枝を集めてきたんで、火ィくださいや」

「あ、リヒトさん、こっちにもお願いします。お湯を沸かしたいので」


 きみたち。

 まさか俺を便利なマッチや火打石なんかと勘違いしてるんじゃないだろうね?

 使ってみてわかったんだけど、魔導ってのは繊細な魔導力の調整と流れを把握して……

 ……これ以上は説教臭くなるからいいか……


 ともあれ、これで焚火がふたつできた。

 四人で温まるには充分だろう。


 俺たちは荷物から出した衣類に着替え、着ていた服を焚火で乾かすことにした。

 ちなみに、最近の荷物持ちはグラーフである。

 『荷物はあっしに任せて、リヒトの旦那はマリーの姐さんをおんぶしてあげてくださいや』などと男気溢れる発言を有難く受けたわけだ。


 洞窟の入口付近、雨に濡れないギリギリの場所に作った焚火の炎を四人そろってボーッと眺める。

 あまり洞窟の奥で火を焚くと、煙に巻かれてしまう。

 つまり入口で焚くのは、空気の対流がない場合に一酸化炭素中毒で死に至る可能性も考慮しての判断だ。


 外の雨は幾分落ち着いてきた様子。

 水や食料はまだ充分持つ。

 最悪、ここで一泊するとしても問題はなかろう。


「しかしこの洞窟はなんなんすかね? 坑道でもなさそうだし、やたら広いし、その割には人の手による物っぽいんすよ」

「言われてみればそうね。壁面が滑らかだもの、自然な洞窟じゃこうはならないわよ」


 俺は一度ほどいたマリーの金髪をタオルで拭きながら、グラーフとリーシャの会話を聞くとは無しに聞いていた。


「奥も結構深くまで続いてそうなんすよ、だんだんと下にくだってるみたいですし」

「ふーん……なんか怖いわね……」

「大丈夫ですぜ、い、いざとなれば、このあっしがリーシャの姐さんを守りますんで」

「そう言うのいらないです。迷惑です。そんなセリフは私より強くなってから言いなさい」

「ガーン!」


 ははは。

 今日も見事な玉砕だねグラーフ。


「そういや、あっしの出身地はここより遥かに東の田舎なんですがね、そこじゃこんな話があるんですよ……『大雨の日にゃ、外へ出ちゃあいけないよ、大男が子供を連れてっちまうから。大雨の日にゃ、早くお家に帰りなよ、雨合羽の大男が後ろからついてきちまうから』って感じなんですがね」


 童話か童謡の一節なのだろうか、グラーフが歌うように朗々と言った。

 俺も以前に似たような話を子豚亭に来ていた客から聞いた覚えがある。

 細部はもうちょっと違っていたが、概ね同じだった。


「ちょっと、やめてよグラーフ。あの、リヒトさん、もう少しそっちへ寄ってもいいですか……?」

「パパー……こわいからだっこして……」

「おいで」


 この状況で、なんと言う話をするんだグラーフ。

 女の子二人が怖がってるじゃないか。


 お陰でむっちりとしたリーシャがくっついてきてドッキドキですよ。

 ありがとう!


「……だ、旦那……」


 色黒でよくわからないが、青ざめているような雰囲気のグラーフ。

 瞳孔が開きそうなほど目を剥いていた。


 自分で話しておいてビビるとはなかなかのおバカさんだな。

 だが俺に怯える男を抱きしめて慰めるような趣味はないからね。


「……あ、あれ……」


 プルプルと生まれたての小鹿のように震えながら指を差すグラーフ。

 指の先は洞窟の外を示していた。


「……げ!?」


 見なきゃよかった。



 そこには、複数の白っぽい人影が豪雨をものともせず、ゆらりとこの洞窟へ近付いてきていたのだ。




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