伝来の拳技
「お父さま。ウェスタニア公爵代理にはきちんと伝えておいたのじゃ。泣き笑いみたいな顔じゃったがのー」
「そ、そうかい。ありがとう、アリス」
城壁増築の件はこれで良し。
ウェスタニアさんならシャルロット王女と連携して上手くやってくれるだろう。
ただ、今や王都も活性化したモンスターの脅威に晒されていると言う。
それによって多くの人々が城下を離れ、各地へ疎開する事態となっているようだ。
そのような状況下において王宮が公爵領の支援まで担えるのかは目下のところ不明である。
あー、くそっ。
【コートオブダークロード】の修復さえ済んでいれば、一度中央大陸に戻ってモンスターを蹴散らした後、東大陸へとんぼ返りすることだって出来たのになぁ。
……いや、モンスターの活性化は、きっと魔神に関係がある。
春宮一派が魔神を刺激しているせいかもしれない。
だったら春宮か魔神そのものを倒せば収まるんじゃないか?
そんなに単純な話でもなかろうが、今はそれを信じるしかない。
全くもって、もどかしいね。
もやもやした気分を晴らすように、俺はアリスメイリスの柔らかな薄紫色の髪を撫でるのであった。
「(お父さまのお手てはいつも温かじゃの~……)そうじゃ、お父さま」
「なんだいアリス」
「グラーフからも伝言なのじゃ。『こっちのことはあっしに任せて旦那は姐さんがたを守ってやってくだせぇ』と」
「ほう。グラーフも大人になったねぇ。そう言えば彼の足の具合はどうなんだい?」
「薬師のお婆ちゃん三姉妹のお陰で、歩けるまでに回復してきたのじゃが……此度の避難民受け入れの際に一悶着あってのー。領民と避難民がもみ合いになって、介入したグラーフは足を踏まれてまたもやポッキリと……」
「…………」
な、なんて不憫な男なんだ────!
ま、まぁ話しぶりからして元気そうではあるんだが……
「ベリーベリー分団長たちもひっきりなしに出動してて大変そうなのじゃ」
「あー……白百合騎士団とは言っても30人しかいないもんなぁ……ベリーベリーちゃんもさぞや苦労してるだろうね……」
「じゃから、領民の若手が自発的に自警団を組織したのじゃ」
「おぉ! やるじゃないかみんな。彼らも幼少から拳法で鍛えてたし、かなりの戦力になるんじゃないかい?」
公爵領を襲撃したモンスターに、力強い拳法で立ち向かった彼らが思い出される。
うむ。彼らがいれば、そう易々と侵略されることはあるまい。
などと考えていると、忠光が興味深そうに首を突っ込んでくる。
「兄者んとこの連中もすげぇじゃねぇか。拳法使いだって?」
「ああ。俺も長老衆が『健康にもいいのですぞ』とか言うから一緒に練習したことがあるけど、ありゃ凄いよ。ん? そういや、その拳法はこの東大陸から伝わったと言っていたな」
「兄者……それはまさか【封神拳】か?」
「いや、名前まではちょっと……」
「んにゃ。お父さま、それで合っておるのじゃ」
「だってさ(アリスのほうが俺より詳しい……)」
「……やはりか。封神拳は、四代前の忠光に仕えていた【拳聖】天元が中央大陸に渡って伝えたらしい。東大陸では既に失伝しちまったがな」
「へぇー、そうだったのか」
俺にはいまいちよくわからないが、なにやらとんでもないことなのだろう。
「兄者、大福は食ったことがあるか?」
「ああ。とても美味い菓子だったよ。中身の豆を煮たものがほどよい甘さで……」
『うんうん!』と力強く頷くマリーとリーシャ。
アトスの街で一緒に食べたのだが、彼女たちはいたく気に入っていた。
しかも俺に作ってくれとか無茶を言い出す始末。
だが、美味い煮豆が出来るまでには数年間の修業が必要と知って二人は諦めたようだ。
「あれも天元が伝えたものだぞ」
「えぇ!?」
「天元は一流の料理家でもあったからな。ちなみに中身は餡子と言うんだ」
「マジか……」
なんてことだ。
あんなに繊細で美味い菓子を作る職人が、拳法家で料理家で東大陸人とは。
何と言う詰め込みすぎなスペックだ。
しかもその【拳聖】と称されるほどの拳技を我が領民たちが受け継いでいるとくれば、数奇な運命を疑いたくもなる。
「最強の名を恣にした拳法だ。それが他大陸とは言え、いまだに連綿と紡がれていたのは嬉しく思うぜ。ってかズリィな兄者!」
「いや、ズルいとかじゃないだろこれは……俺、今までそんな話は全然知らなかったし」
「なに言ってんだ、こっちでは伝説的な拳法だぞ。封神拳を修めた者はそこらの武士より遥かに強い」
確かに。
モンスターをビシバシ蹴散らすさまは、俺ですら呆気にとられたものだ。
あれ?
俺はもしかして、既に最強の軍隊を手に入れていた……?
いやいやいや、大事な領民を戦場に送り出すわけにはいかんよ。彼らは兵士じゃないんだからな。
でも、率先して自警団を組織してくれたのは嬉しいね。
俺がいなくとも公爵領のために動く、その気持ちが、ね。
ウェスタニアさんが公爵代理になったし、自警団も出来た。
心配ではあるが、これでしばらくは安泰だろう。
……もしや俺、いらない子?
「やっぱり公爵領にはリヒトさんが必要不可欠ですね。ウェスタニアさん、泣きながら仕事してるって言うじゃないですか」
リーシャがニッコリ笑顔で唐突にそんなことを言った。
俺が気落ちしているのを察知したかのように。
流石は俺の観察者を自称するリーシャである。
「ありがとうリーシャ。俺にもきみが必要不可欠だよ」
「や、やだなーリヒトさん! 照れますってば! あははは!」
ビタンビタンと俺の背を叩きながら照れ笑いするリーシャ。
おかしな身体の俺だから良かったものの、他の人間なら打撲や骨折は免れまい。
「兄者が羨ましいぜ。昔、宵闇に聞いたんだが、四代前の忠光は【拳聖】天元が率いる徒手空拳部隊と共に破竹の快進撃を……」
忠光は目を閉じながら夢見るようにまだそんなことを言っていた。
どれだけ羨ましがるつもりなのだろう。
今いる武士たちを更に鍛え上げるほうが余程建設的だと思う。
「あれっ、そう言えば宵闇ちゃんがいないな」
いつもなら食事の際は同席……どころか、俺の隣、もしくは膝の上に座っているはずだ。
まぁ、現在はアリスメイリスが俺の膝を独占しているが。
と、思った時────
「た、大変でありんすー!」
非常に慌てた様子の宵闇ちゃんが、大広間に飛び込んできたのであった。




