気の迷い
俺たち一行は、一晩お世話になったお婆さんの家を辞した。
再び王都を目指して大街道を進むのだ。
そう言えば漠然と王都へ行くことにはなったが、目的はなんなのだろう。
あ、いや、俺ではなくリーシャの、ね。
やっぱり観光なのかなぁ。
なんせ俺も風光明媚と謳われる王都には、是非一度行ってみたいと思っていたくらいだしさ。
それに、国中からあらゆる食材が集まり、更にはあらゆる地方の料理も集うと言われ『食の都』とも呼ばれている王都だけに、元料理人としてはワクワクが止まらないのだ。
……昨晩お婆さんの家で食べた料理も美味かったよな。
特にあの根菜と鶏肉の煮物。
あれはもう最高だったね。
煮崩れしていないのに、しっかりと味がしみ込んだホクホクの野菜。
少し触れるだけでホロホロとほぐれる柔らかな鶏肉。
思い出すだけで香りやら味やらが口の中に広がってくるよ。
それとキノコの炊き込みご飯。
あれも絶品だったなぁ。
食感や香りの違う複数のキノコから溢れる旨味と香り。
それを存分に含んだツヤツヤモチモチのお米ときたら……
何杯でも行けちゃうよね。
俺は歳のせいか、ああ言った素朴な料理のほうが好きになったようだ。
きっと身体に優しいからだろう。
俺も若いころは焼いた肉や揚げ物が大好きだったんだけどさ。
いつの頃からかねぇ。
だんだん胃がもたれるようになってきたのは……
やだねぇ。
こんなので年齢を感じるのは切なすぎるよ。
それから身も心も満足した俺たちは、そのあとゆったりとした時間を過ごしたんだよね。
お婆さんからじっくりたっぷりネットリと酌をされ、断れぬまま酒を飲み続けたグラーフは真っ先に大いびきをかいて寝ちゃった。
だもんで、俺とリーシャはマリーを挟んで寝転がり、数字を数える練習や、昔話を聞かせてたりしたんだ。
「じゃあマリー。これはいくつかな?」
「ひとーつ、ふたーつ、みっつ……よっつー!」
「はい、よくできましたー」
「マリーちゃん偉いねー!」
「えへへへー」
俺が立てた四本の指を必死に数えるマリー。
メロメロな顔でマリーの頭を撫でるリーシャ。
二人とも可愛いですよ。
「じゃあ、これはいくつだい?」
「ひとーつ、ふたーつ、みっつ、よっつ……ふぁ~あ……いつつ……」
あらら。
マリーが目をこすりながら大きな欠伸をしてる。
もう夜更けだからねぇ。
「眠っちゃってもいいよマリー」
「……うん…………」
返事したかしないかも解らぬ刹那、マリーは俺の胸に抱き着くとすぐ眠りへ落ちて行った。
既に気持ち良さそうな寝息をたてている。
そんなマリーを愛おし気な笑顔で見守るリーシャ。
優しい手つきでマリーの二つにまとめた金髪をほぐしている。
寝る時には邪魔になるからだろう。
ところで、リーシャさん?
もしかして母性スイッチ入ってません?
幼い子ってすごいよな。
十代の女の子から母性を引き出しちゃうんだから。
俺はマリーと出会っていなければ、父性なんて表面に出てくることはなかったんじゃないかな。
子供なんて煩わしいだけだと思ってたくらいだし。
子豚亭に来ていた客の子供たちを見ていても、ちっとも可愛いとは感じなかったから。
だけど、今はこんなにもマリーのことが愛おしい。
人と言うものは変わって行く生き物なんだねぇ。
「……ふふっ、可愛い寝顔」
「……ありがとうな、リーシャ」
「なんです突然?」
「いや、なんかこう、ちゃんとお礼を言ったことがなかった気がしたからさ……俺を冒険者に誘ってくれてありがとう。マリーを愛してくれてありがとう。本当に感謝してるよ。きみがいなければ今の俺はなかったからね」
「やっ、ちょっ、そんな、改まって言われたら照れちゃいますよぉ」
なるほど。
その言葉通り、リーシャの顔が彼女の赤毛に負けじと朱に染まっていく。
「私が好きでやってることなんですから気にしないでください。それに、リヒトさんはこんなに素敵な贈り物をしてくれたじゃありませんか」
金の髪留めをつまんでみせるリーシャ。
「気に入ってくれて嬉しいよ。でもね、きちんと言葉で伝えたかったんだ」
「そ、そうなんですか……えへへ、なんだか顔がニヤけちゃいます」
嬉し恥ずかしと言った表情ではにかむリーシャ。
その顔は暖炉の灯りに照らされ、普段よりも大人びて見えた。
「……私、時々マリーちゃんのママになったような気分になるんです。なんででしょうね? ……あ、私ひとりっ子だったし、兄弟の感覚を知らないからかも」
「そ、そうなんだ?」
「はい。こんな子が私の子供だったら、うんと可愛がっちゃうなぁ、なんて常々思ってまして。えへへ」
「リーシャみたいな子がママになったら、きっとマリーも喜ぶんじゃないかな。よく懐いてるしさ」
「そう、ですかね?」
「ああ」
「だったら私、マリーちゃんの本当のママになってもいいですか?」
「へ? どういうことだい……?」
リーシャは答えず、何かを待つようにそっと瞼を閉じた。
えっ!?
ちょっ!
これって、その、つまり……!?
ま、またまた、リーシャさん。
そんな御冗談を、はははは。
大人をからかっちゃいけないよ。
やばい。
すっごくドキドキしてきた。
戸惑う俺の気配を察知したのか、リーシャは一度目を開けて恥ずかしそうにコクリと頷き、再び目を閉じる。
嘘ぉ!?
いやいやいや。
俺にだってこの意味くらいはわかるさ。
だけど、こう、なんて言うの?
『こんな若い子に手を出してもいいのだろうか』とか、『リーシャが俺を……!? そんな馬鹿な!』とか、色んな心の葛藤ってあるじゃない!?
なぁ!?
でも、リーシャが本気なら、俺も本気で答えなければならないよな!
いいよね?
いいよな!?
目に見えぬ誰かに確認を取った俺は、意を決してリーシャへ顔を寄せた。
彼女の唇に触れるまであと5ミリ……
「ンゴォォォォッ!!」
全てを吹き飛ばすかのように室内へ響き渡る、グラーフの大いびき一閃。
俺もリーシャも思わずビクリと身体が浮き上がるほどだった。
こいつ、実は起きてたとかないよね?
俺とリーシャは思わず顔を見合わせてしまう。
そしてなんだか無性に笑いがこみ上げ、お互いに笑ってしまったのであった。
「はぁー……」
「? リヒトさん、どうしたんです? お天気も良いですし、張り切って行きましょうよ」
俺の溜息に、クルリと振り返るリーシャ。
陽光を受けて彼女の紅い瞳と金の髪留めがキラリと輝く。
だけど、なんだか照れくさくてまともにリーシャの目を見ることができない。
俺もまだまだ純情だね。
いい歳して情けない限りだが。
「いやぁ、ははは、昨日のことを思い出しちゃってねぇ……」
「昨日……? あっ!」
ボン、と瞬時に頭から湯気を出すリーシャ。
「りーしゃおねえちゃんおかおがまっかー、おねつがあるのー?」
「だ、大丈夫よマリーちゃん。これはね、違うのよ……」
「姐さん!? 何かあったんですかい!? まさかリヒトの旦那になにかされたんじゃ……!?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
「ごふっ!」
おいおい、やめてくれグラーフ。
当たらずとも遠からずだなんて言えないぞ。
俺が思うに、昨日の件はきっとリーシャの気の迷いだったんだよ。
リーシャが俺に惚れてるわけないもんな。
親愛はあっても恋愛感情はないと思うよ。
うんうん。
……そう思い込むことにしておこう。
今だって、楽しそうにやりあうリーシャとグラーフがとってもお似合いに見えるんでね。
こんなおじさんよりもよほど相応に思えるよ。
老兵は死なず、ただ去りゆくのみってな。
歳を取るとさ、恋愛には段々憶病になっていくもんなんだよ……
俺は肩車をしたマリーと共に、青空に浮かぶ大きな白い雲を見上げるしかなかった。
そして遠くに、俺の心を映したかの如き暗雲が見えたような気がしたのだ。




