暗殺者
「曲者だ! 者ども、出合え出合え!」
「……ふがっ!?」
俺の安眠は男たちの怒声と走り回る足音でブチ壊された。
今日は一日中武士団の訓練に付き合い、夕食後には夜更けまで忠光らと会議を行うと言うハードスケジュールをこなしたのだ。
疲れ果て寝台へ倒れ込むように横たわってから、体感では30分ほどしか経過していない。
なのに割と素早く覚醒したのは、切羽詰まった空気と、武士が叫んだ言葉のせいであった。
曲者だって!?
この警備が厚く、藩主の住まう主郭に!?
金品狙いのセコいコソ泥なら間違いなく蔵を狙うはずだ。
もし重要書類が目的であれば会議場の天守閣を探るのが東大陸での常識である。
この主郭は生活に必要なものしかない。なのに武士団常駐の中、危険を冒してまでここへ侵入する意味は……考えるまでもない。
曲者……暗殺者の欲する物など決まっている。
藩主忠光の命だ。
そんな輩を放つ者も概ね予測はつく。
春宮の一派であろう。
わざわざ暗殺者を投入してくるあたり、向こうもそれなりに焦れているのかもしれない。
何故なら俺が城と城下町全体に大規模な魔導結界を張り巡らせたからだ。
諜報系スキルが相殺される以上、密偵がいたとしても情報は得られまい。そして情報が得られないから焦る。きっとこんな構図なのだろう。
深読みが得意な者ほど陥りやすい負のスパイラルだ。
ともあれ、今や忠光は俺の義兄弟。
家族同然の大事な弟分でもある。
なんとしても暗殺者の魔の手から救わねばならない。
「ふにゃあ……? お父ちゃま、寝ぼけたのでありんす?」
「リヒトさん……どうかしたんですか?」
起き上がった俺につられて宵闇ちゃんとリーシャが目を覚ましたようだ。
この二人、娘たちを差し置いて俺の隣で寝たいと競い合うように懇願し、遂に両脇へ陣取ったのである。
だが、マリーたちも然る者で、『かわりばんこならいいよー』と折衷案を繰り出していた。
我が娘ながら既に策士の片鱗を垣間見せたのだ。
「主さま。この騒ぎ……」
「うん。お銀さんも気付いたか、さすが隠密衆だね。すまないが娘たちの護衛を頼むよ。あと、ぐっすり寝てる霞ちゃんもね」
「承知つかまつりましてございまする(褒められた! 褒められた~!)」
「俺は様子を見てくる」
「あ、私も行きます!」
「わっちもお供しんしょう」
俺はお銀さんに後事を任せ、リーシャと宵闇ちゃんを伴って部屋を出た。
賊が俺を狙うと言う選択肢は有り得ない。
『荷車の天誅人』だの『聖女の再来』などと謳われても、そのネームバリューは無きに等しい。
『北の大君』たる忠光の名声に比べれば月と鼈なのである。
いやぁ、忠光の勧めでスッポン料理なるものを初めて食べたんだけど、ありゃすごいね。
美味いのは勿論のこと、マジでギンギンになったよ。
あ、いや、シモの話じゃなくてね。すごく元気になるんだ。いやだからシモの話じゃなくて。
公爵領に戻ったら、真・子豚亭でも出したいくらいなんだけど、中央大陸にスッポンはいないしなぁ……
亀……じゃダメだよなやっぱ。
「殿! 殿ォォ!」
「!?」
どこかのんびりした俺の思考を打ち破る切羽詰まった武士の声。
これはいかんとダッシュしようとした途端、グキリと腰が嫌な音を立てた。
中腰のままその場から完全に動けなくなる。
「ア゛ッーーー! ……ぐっ、くく、くぅ~!」
「リ、リヒトさん!? 腰ですか!? 腰ですね!?」
「お父ちゃま! 大丈夫でありんすか!?」
俺の観察者を自称するリーシャは、すぐに腰を痛めたと見抜いたようだ。
宵闇ちゃんは献身的に俺の腰をさすってくれている。
背伸びしながら。
「賊が殿の寝所に!」
「私が行きます!」
「ま、待つんだリーシャ!」
武士の声にいち早く反応して駆け出すリーシャ。
俺の制止も聞かないあたり、未だ猪武者の気質は抜けていないのだろう。
だが、それでこそ正義感に溢れる彼女らしいとも思う。
その真っ直ぐさに俺は惚れたのだから。
とは言え、心配なものは心配だ。勿論忠光も。
俺は宵闇ちゃんに支えられながらヨタヨタと廊下を進んだ。
その間も、入り乱れる物音や怒号、剣戟のような金属音が聞こえる。
賊は複数なのだろうか。
だとしたら非常に危険だ。
今更ながらリーシャを一人で行かせたことに後悔する。
くそ、やはり俺一人で出向くべきだった。
などと胸中で舌打ちした時、ドバンと襖をブチ破り、賊らしき黒装束の者と剣を打ち合いながら渦中の忠光とリーシャが飛び出してきた。
愛しき恋人の無事を確認し、心底ホッとする。
「リーシャ! 忠光!」
「兄者、宵闇! 気を付けろ! こいつら相当やるぞ!」
ギリギリと鍔迫り合いをしつつ、忠光が叫ぶ。
言われるまでもない。
この主郭に侵入出来た手際と身のこなしからしても尋常な賊とは思えん。
しかし口ではそう言ったものの、忠光と賊の力量では大分差があるようだ。
無論忠光が上である。
彼はランクアップで強くなった今のリーシャと比較しても同等かそれ以上。
ならばそこいらの人間や妖怪に負けることはまずあるまい。
当然、リーシャも同じく………と思っていたのだが、なにやら様子がおかしい。
もう一人の賊と相対している彼女は全く打ち負けることは無かった。
むしろ押し気味に剣を振るっている。
しかし、何故か戸惑っているように見受けられたのだ。
もしや相手が暗殺者だけに、卑怯な毒でも使われたのか。
だったら加勢せねば。
一応持ってきていた【羽斬丸】をヌラリと引き抜く。
狭い廊下ではその本領を発揮できぬとしても、刺突するには充分だ。
そう思い、一歩踏み込むと。
「チッ……ピィイッ」
小さな舌打ちと大きな指笛の音。
どうやらそれは撤退の合図だったらしく、バッと後ろへ飛んで距離を取ったあと、賊二人は音もなく消え去ったのである。
俺の魔導結界に反応がないことから、隠密系スキルを使った様子はない。
と言うことは、単純に庭へ出て走り去ったのだろう。
何と言う逃げ足の速さ。
「おお、はえー、はえー。ありゃ【韋駄天】だな」
白み始めた外の様子を窺っていた忠光。
賊の行方を見定めているのだろう。
「イダテン?」
「ああ。浪人技能の一種でな。脚力を爆発的に高める代物さ。馬よりも速く、一晩中だって走り続けられる」
「ほー。話には聞いていたけど、あれがそうなのか……ん? さっきからどうしたんだいリーシャ。冴えない顔だけど……まさかどこか痛めたのか!?」
俺は呆然と立ち尽くすリーシャに近付き、怪我がないか確かめる。
特に身体的外傷はないようだが……
「……そうじゃないんです……ただ……」
「ただ?」
「兄者、オレを呼んだか?」
「忠光のことじゃないよ!? いつから『タダ』なんて愛称になったんだい!?」
などとアホなやり取りをしている場合じゃない。
「ただ、なんだいリーシャ?」
「…………今の賊が使った剣技は……師匠のに似ているんです……!」




