春宮
「そんなバカな……伝説の魔神が……今も尚、この大陸に在ると言うのか……」
「はい。伝承にも『禍津神、幾度屠れど死返したりける」とあります。死返しとは『死から返る』、つまりは甦ることでございます」
「甦り……魔神は何度倒しても蘇生をすると……?」
「まさしく。故に彼の聖女は遂に魔神を滅ぼすこと能わず、封印するにとどまったのではないかと我々は解釈しております」
「……聖女をもってしても魔神を滅ぼせなかったなんて……いったいどれほどの闇なんだ……」
「わかりかねます。もはや人間には理解の範疇を軽く凌駕しておりますれば……ただ、曲解かもしれませぬが、魔神は何度も甦ったのではなく、何体も存在していたのではないかとの説を唱える者もおります。これは一応、無根拠と言うわけでもありませぬ。なぜならば、中央大陸以外の四大陸全てに魔神が現れたと取れる記述があるらしいので」
「…………」
次々に明るみとなっていく事実が、俺に深い溜め息を吐かせた。
リーシャなど口を開けたまま茫然としている。
涎を垂らしてしまわないか心配になるほどだ。
そしてマリーとフランシアに至っては、俺たちの長話など既に飽きて屋内の冒険に出発していた。
二人でゴニョゴニョと楽し気に話しながら宝物を探索中である。
このさして広くもない殺風景な家屋に魅力的な物品などなさそうだが。
いや、子供たちにとっては異国の品と言うだけで価値や興味が見出せるのかもしれぬ。
ともあれ、まだまだ疑問は尽きそうにない。
むしろ増える一方だ。
俺はそれをお銀さんにぶつけた。
「……少し解せないんだがね。何故そんな恐ろしい魔神が封じられた地にむざむざ遷都なんてしたんだ。禍の土地なら民にまで危険が及ぶのではないのか?」
「…………ここから先をお話すれば、りひとはるとさまは必ずお気が変わります。それでもよろしければ」
「俺の気が変わる?」
「はい。間違いなく救済に乗り出すこととなりましょう」
「む? あんたが何を言いたいのかは今ひとつ計りかねるが、それは有り得ないとだけ言っておこう」
「いいえ。必ずです」
ギンと瞳に気迫を込めるお銀さん。
いや、決してダジャレではない。
その気迫がまるで陽炎のように揺らめくほどだった。
あれは確信を得た目、と言うべきだろう。
つまり、これから彼女が話すことは、ここに来て最も重い内容と最も強い意味を持つのだ。
俺も老化の始まった心臓が止まったりしないよう、相応に気合を入れねば。
「……いいだろう、聞こうじゃないか。だが、つまらん話ならすぐにオサラバするぞ」
「ええ、きっとご期待に添えると思います」
悪いが全く期待なんぞしていない。
ただ、無理難題を吹っ掛けようものなら、即立ち去るだけだ。
リーシャとも相槌を打って確認しておく。
子供たちは……未だ冒険に夢中だった。
仕方あるまい、あとで言い聞かせよう。
「では端的に申し上げます…………この国が皇帝制なのはご存じのことでございましょう。そして、現皇帝陛下はかなりのご高齢にて、退位も目前とされております」
お銀さんは俺たちの覚悟が定まったと見たか、粛々と話し始めた。
そして、ちっとも端的な出だしではなかった。
どうもこの女性は話がくどくなりがちなようだ。
それでも内容を盛ったりしないだけ幾分かマシである。
これが副ギルド長ネイビスさんだったりしたら、前振りの話題のみで日が暮れるだろう。
「退位なされるのであれば、当然ながら代替わりとなるでしょう」
「そりゃそうだろう。世襲制ならな」
「ええ、おっしゃる通り、この国は世襲制を採っております。現在の春宮、つまり皇太子が次代の皇帝となられるのです……」
急に言い淀んでしまうお銀さん。
いかにも含みがありますよと、その表情が雄弁に物語っていた。
ただし、眉をひそめているあたり、良い意味ではなさそうである。
「……その皇太子に問題有り、か」
「……それはもう……春宮は現皇帝の四番目にあたる末の皇子なのですが……」
ほう。
末子相続と言うやつだな。
跡目を長男ではなく末子に継がせるものだが、中央大陸ではかなり昔に廃れてしまったと聞く。
しかし、こちらでは健在らしい。
「色々と不穏な噂の絶えない御方でして……御長兄が早逝なされたのも、もしやすると暗殺によるものではないかと……」
「……おいおい、それは穏やかじゃないな……」
まさかそいつが邪魔な兄を消したとでも言うのだろうか。
仮にお家騒動だとしても、自分の相続が確定しているのだからわざわざ兄を殺す必要などないはず。
となれば、その皇太子にとって兄はなんらかの不利益を招く存在なので暗殺した、とも考えられる。
だとすると、そいつは相当な食わせ者だ。
「勿論、それだけではありませぬ……御父上である現皇帝陛下を差し置いて遷都計画を強引に推し進めたのも、その春宮なのでございます」
「……どう言うことだ?」
「我々が掴んだ情報によりますと、春宮はこともあろうに魔神を復活させるつもりなのです!」
「なんだと!?」
「なんですって!?」
「……復活せし魔神はきっと、多くの災厄をこの国に齎すでしょう。ですが春宮は、その魔神を自らの手で倒し、民に己の強さを知らしめ、皇族と朝廷の威を取り戻そうと画策なさっているのでございます!」
「バカげたことを! 聖女ですら封じるしかなかった魔神を倒すだと!?」
「本当にバカなんですね、その皇太子は!」
あまりの酷い話に激昂する俺とリーシャ。
どこにでも馬鹿はいるものだが、ここの皇太子は極めつけだ。
考えてもみろ。
魔神が復活したとして、この東大陸だけを攻撃すると言う保証がどこにある。
一歩間違えたら、全世界に未曾有の大惨事が襲い来ることとなるだろう。
つまり人類が滅びかけたと言う、古の魔神大戦が再現されてしまうのだ。
そうなれば中央大陸、そして我が公爵領も無事では済むまい。
俺には公爵として領民を守る義務がある。
愛娘のアリスメイリスやグラーフ……大切な家族だって城に残してきたままなのだ。
大事な娘や家族が戦禍に巻き込まれるなど、絶対に許せるわけがない。
ましてやそれが、たった一人の大馬鹿野郎による人災とも言えるのなら余計にだ。
そもそもなんなんだその身勝手な理由は!
そんなくだらんプライドを保つためだけに一国の皇太子が無辜の民を危険に晒すってのか!?
「お銀さん! そのバカはどこにいる!? 一発ブン殴ってやらなきゃ気が済まん!」
「嗚呼! 立ち上がっていただけるのですね! りひとはるとさまであれば、必ずそう言ってくださると信じておりました!」
「あ」
「あっ」