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二つの伝承



「ええ。少なくともこの東大陸ではそう呼ばれています。伝承によれば『金色こんじきの髪を振り乱せし悪霊、遥けき彼方より来たりて人草万物ひとくさばんぶつことごとく滅ぼせり』とあります」


「馬鹿な……!」


 さも当たり前のように語るお銀さんへ、思わず否定の言葉を吐き捨てる。

 唾棄すべきとは正にこのことだ。


 人草とは民衆を指し、万物とは全ての物質である。

 それらを聖女が破壊したと言っているのだ。


 よりにもよって世界を救ったとされる聖女を悪霊だって?

 この国の人間は無知にもほどがあるだろう。

 俺たちの住む中央大陸だと彼女が何から世界を救ったかは諸説あるけど、あちこちに聖女を祀る神殿があるくらい敬愛と尊敬の念を持っているんだぞ!



 ……………………それに、あの子は人を傷つけて喜ぶような子じゃあ決してない。

 むしろ、人と人とが傷つけあうことを『これも人の営み』と享受しつつも常に胸を痛めていたんだ。

 そして己がどうなろうと厭わない利他的な精神と覚悟で、単身彼の地へ────────



「……りひとはるとさま、いかがなさいました?」

「!」


 怪訝そうなお銀さんの声で我に返る。

 俺は何か深い思考に囚われていたようだ。


 ん……?

 『あの子』……って誰だっけ……?


 つい数秒前のことが、もうぼやけている。

 まさか老化による健忘でもなかろうが。


 無意識に隣のマリーを見やる。

 視線に気付いたのか、きょとんとした上目使いで俺を見返しながら抹茶をちびちび飲んでいた。

 左のフランシアも余程苦いのが苦手なのか、しかめっ面だ。

 二人ともぺたんこ座りでとても可愛らしい。

 そして、やはり二人ともお銀さんの話にはあまり興味がなさそうであった。


 中央大陸にも激震が走るほど重要な内容なんだがね……

 学者や研究者の連中がこんな話を聞いたら、ひっくり返るか頭から全否定するぞ。

 まぁ、子供たちにはおとぎ話にちょっとした食い違いがあったとしても関係ないか。

 リーシャはちゃんと驚いてるけど。


「いや、大丈夫。だが、聖女と悪霊はどうしても結びつかないし、まるで納得がいかない」


 少しドスを利かせた声で言うも、お銀さんは怯むどころか我が意を得たりと前かがみになる。

 凛とした表情のお銀さんは、ここからとんでもない言葉を紡ぐ。


「そうでしょうとも。そもそもこの伝承自体が、後の世に作られた(・・・・)代物なのですから」

「なんだって!」

「そんな……!」


 本気でひっくり返りそうになる俺とリーシャ。

 二の句を継ぐ前にお銀さんは口を開く。


「つまり、この東大陸には魔神大戦の伝説が二つあるのです。ひとつは聖女によって救われた、もうひとつは聖女によって滅亡寸前まで陥ったと」

「どうしてそうなる!? 誰がそんなものを作ったんだ!」

「……この国を統治する皇帝とその一族です」

「!?」


 為政者が何故、と叫びそうになるが、お銀さんが手の平をこちらに向けて制止した。

 黙って聞けと言うことであろう。

 奥歯をギリッと噛みしめてそれに従う。

 俺自身、こうまで気が昂る訳を掴めないからだ。


「その理由は至極単純です。闇……魔神と言う脅威は聖女の力で抑え込まれました。ですが、大戦後に残されていたのは、気の遠くなるほど長く苦しい復興の道だったのです」


 人間は滅亡寸前にまで陥ったのだから、復興と一口に言ってもそれはそれは困難を極めた物であっただろう。

 そして、苦しさが増せば増すほど、人は憎しみを募らせる。


「時の皇帝は、その憎しみや怒りが朝廷、いては皇族へ向けられるのを恐れるがあまり、全ての元凶を聖女になすり付けるべく、真実と後世に残すべき正しい歴史を改竄かいざんすると言う忌むべき蛮行に出たのです」

「……そんな暴挙で人々が納得など……」

「はい。当初は誰もそのような世迷い言を信じてはいませんでした。しかし、それを公に公言したものは次々と処罰されたのです」

「それではただの弾圧だ!」

「仰る通りです。皇帝はおのが権力と威光を守らんがために破廉恥で軽率な行動を……決して許されることではありません。それから長い時が流れ、皇都こうとを中心として偽の伝承は定着していったと言います」

「……」


 最早絶句するしかない。

 残された人間の不甲斐なさにだ。

 魔神と言う脅威から救ってくれた聖女への恩義や感謝は、たかが弾圧くらいでそれほど簡単に消えてしまうと言うのか。

 聖女はこんなくだらない連中のために命を賭して闘ったと言うのか。


「しかしながら、皇帝の威光も大陸全土には及ばず、僻地においては真の聖女伝説も正確に伝承されていたのです」

「……伝承が二つとなったわけがそれか……」

「ええ。これでおわかりになったでしょう。この大陸は聖女さまを信じる者と憎む者で二分されているのです」

「……口ぶりやこれまでの行動からすると、あんたは信奉者のほうか?」

「はい。先程あなたさまがたと初めてお会いした時に、私は心底驚き、胸が高鳴ったのです。まさに聖女さまの再来だと……!」


 マリーとフランシアを優しい瞳で見ながらニコリと微笑むお銀さん。

 彼女の眼は嘘を言っているようにはとても思えない。


 なるほど。

 五兵衛さんは俺たちを見ても珍しい異邦人だ、くらいの反応だったもんな。

 あそこは位置的に大陸の東の果てだし、偽の伝承は伝わってなかったんだろう。

 

「だが俺たちはこの街でいきなり迫害されたぞ」

「……その件は誠に申し訳なく思っております。私としたことが咄嗟のこととは言え、よりにもよって悪霊派の店を教えてしまうだなどと……我々が聖女派であることを隠そうとしたあまり、素っ気ない対応をしたことも併せて深くお詫びいたします」

「……それはもういい。あんたは約束通り、俺に真実を教えてくれたのだからな」

「私たちに、ですよリヒトさん」

「……訂正する。俺たちに真実を教えてくれたのだからな」


 リーシャのツッコミが入ったので、我ながら律儀に言い直す。

 満足気に頷くリーシャもチャーミングなのであった。


「りひとはるとさまはお優しいのですね」

「……茶化さんでくれ。まだ、疑問はあるんだ」

「なんなりと」

「偽の伝承が根付いたとして、聖女への深い恨みや憎しみがあるとは言っても、それは250年も前のことだぞ? それがどうして現代にまで続いているんだ? 普通は薄れていくものだろうに」


 俺の質問を受け、お銀さんが初めて逡巡の気配を見せる。

 まるで『とうとうそれを話さねばならぬのか』と言った風な。

 むしろ、言っていいものかと迷っているようにも見える。


 お銀さんは数瞬の後に、意を決して口を開き────



「多大なご迷惑をおかけした挙句、このようなことを申すのは非常に憚られるのでございますれど、どうか! この大陸をお救いくださりませ!」




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