大戦の真実
魔神大戦。
何故かこのワードを耳にすると俺の心はさざ波のように揺れ動く気がした。
250年も前の、ほとんど御伽話でしか知らない伝承なのにだ。
しかも不思議なことに、俺の生まれ育った中央大陸では、その大戦に関する情報がほぼ現存していないのである。
それは歴史研究家も首を捻るほどだった。
「……りひとはるとさまは魔神大戦をご存じでしょうか?」
お銀さんは手慣れた様子でお茶の用意をしながら俺に尋ねた。
ここは話に乗ったフリをしておこう。
「ああ、無論だ」
「そちらではどのように伝わっておりますか?」
「……人類は滅亡の危機に瀕した、と」
「それだけなのですか?」
「激しい戦いがあって、その果てに世界は救われたんだろう?」
「……それで得心がいきました。あなたさまがたは中央大陸からいらしたのですね」
「!」
なんだ?
何故それがわかる?
まさか俺はこの女に乗せられたのか!?
「ご安心を。他意はございません」
お銀さんは泡立て器を小さくしたような木製の器具でシャカシャカと茶碗をかき混ぜながら言った。
その優雅な手さばきに、つい見入ってしまう。
どうやら茶碗には細かく粉砕した茶葉とお湯が入っているようだ。
お茶を泡立てると言う発想が面白い。
「どうだかな。あんたは話術に長けているようだし」
「勿論ご説明いたします。でも、その前に粗茶ですが、どうぞ」
お銀さんは俺の前に茶碗をそっと置いた。
毒見をするためにも、まず俺が飲むべきであろう。
いや待てよ。
もしかしたら東大陸特有の作法とかあるのか?
知らんぞ俺は。
「毒など入っておりません。普通に召し上がってくださって結構です」
「あ、ああ、そう」
逡巡した俺に助け舟を出してくれるお銀さん。
察しの良いことで。
最早引きさがれず、覚悟を決めてグイと一口。
そして慎重に舌先で味わう。
妙な刺激を感じたらすぐにでも吐き出せるよう、腹筋を締めておく。
しかし、それはどうやら要らぬ心配だったようだ。
「……ほう。苦味は少し強めだが、芳醇な香りで茶葉の風味もいい」
「こちらでは抹茶と呼んでいまして、緑茶を石臼で挽いたものですが……りひとはるとさまは素晴らしい味覚をお持ちのようです」
「そうでもないさ」
「ご謙遜を」
「にが~い!」
「苦いよ~!」
「あ、美味しいですねーこれ」
娘たちには不評のようだが、リーシャには好評のようだ。
確かに子供からすれば苦かろう。
普段俺は、子供たち用に薄めの飲みやすいお茶を淹れているくらいなのだ。
「話の続きだが、なぜ俺たちが中央大陸から来たと思ったんだ?」
「それは、魔神大戦がどのようなものかをご存じなかったようでしたので」
「……それだけか?」
「はい。この東大陸に住まう者であるならば、あの忌々しき大戦を忘れられるはずもありません」
「!?」
「いえ、逆に申せば……中央以外の四大大陸の者にとっては、でしょうか」
「なんだって!? それはどう言う意味だ!」
思わず立ち上がりそうになる俺を、両脇のマリーとフランシアが服の裾を引っ張って止めた。
その小さな手を振り払うわけにもいかず、しおしおと座り直す。
俺が娘に敵うと思うかい?
「では、これから魔神大戦がどのようなものであったかをお話いたします……」
優雅な動作で音も立てずに茶を飲むお銀さん。
舌を湿らせ回りを良くしたのだろう。
つまり、長い話となる。
「250年前、この東大陸に闇が降り立ちました」
闇は大陸全土を覆い尽くした。
その影響によってか、こちらで言う妖怪が活性化し、平穏な暮らしは打ち砕かれたのだ。
狂暴になった妖怪は人間の女子供も容赦なく襲う。
大人しく無害であった種類の妖怪までもが。
一時は大陸中を魑魅魍魎が跳梁跋扈するまでに陥ったのである。
この異常事態を受け、人々は否応なしに立ち上がった。
国全体が一丸となって妖怪どもと対抗するために。
そして真っ向から押し返し始めた。
妖怪は次々に討伐され、版図と勢力図は塗り替えられてゆく。
しかし、それを許さぬ存在があった。
闇自身である。
闇は強大な力を振るい、大陸全土を蹂躙したのだ。
「それが魔神……」
「はい……魔神はあまりにも強く、あまりにも残酷でした」
魔神は人間を食らう。
食って食って、食らい尽くす。
版図は再び塗り替えられた。
人間はその大多数を減らし、追い込まれて行く。
最早闘える者もほとんどおらず、ただ座して滅亡を待つのみかと人々が諦めかけた時────
「一人の少女が舞い降りたのです」
「……少女……」
少女もまた、強大な力を振るった。
妖怪どもは蹴散らされ、凶暴さは失われた。
彼女が放つあたたかな光は、東大陸を覆った闇をも照らし出したのだ。
当然、魔神もそんな存在を見過ごすはずはない。
大いなる光と闇がぶつかり合う。
その闘いは、大陸中のどこからでも目撃出来た。
全土に余波は広がり、あらゆる地形が変わってしまうほど激しく恐ろしいせめぎ合いだったと現在まで伝わっている。
それによって東大陸民は更に数を減らしたとも。
やがて、大きな光が輝き、闇をも飲み込んだ。
闇は大陸の一点に集約され、その地にて消えたと言う。
残された人々は晴れ渡った空を見上げ、そして自らが救われたことを悟ったのだ。
「……光の少女……まさかそれは……」
「ええ。お察しの通り、『聖女』です」
聖女。
中央大陸にもその伝承だけは残されている。
いつの時代かはわからぬが、全世界を救った聖なる少女があったと。
だが、それを聞いた俺の心は、何故こうも泡立つのか。
喜びとも悲しみともつかぬ、この落ち着かない心地は一体どこからくるのだろう。
「これが魔神大戦の真実です」
「……むしろ聞きたいことが余計に増えたぞ……」
途方もない話に少々ぐったりする。
娘たちやリーシャは目を輝かせて聞き入っていたようだ。
確かに物語として見るなら面白いのかもしれない。
「まず、一番に聞きたいのは今の話と俺たちになんの関係があるんだ?」
「……碑文によれば……その聖女は輝くような金髪であったと……故に忌まわしき『金色の悪霊』などと不名誉な」
「待ってくれ! 聖女が金色の悪霊!?」