女狐
「お時間はとらせませんので、どうか……」
俺たちにそう小さく声をかけてきたのは、先程買い取り商人の店を教えてくれた忌々しい女だった。
あのような腐った店主のいる店を紹介した上、クソガキどものせいでマリーとフランシアは怪我まで負わされた。
それなのにまだ我々に用があるとでも言うのだろうか。
この程度の仕打ちでは到底足りぬとでも言うのだろうか。
「……そうやってまた俺たちを騙すのか?」
既に心が荒み切ってしまった俺は、刺々しい言葉が口を突く。
リーシャも女を警戒するように目を細めた。
だがそれは何故か女も同様で、時折鋭い視線を俺たちにではなく、周囲へ向けていた。
それとなく俺も意識を集中するが、辺りには人影も怪しい気配もない。
あの店主も屋内へ引っ込んだようだ。
「言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、あれは貴方さまがお尋ねになられたのでそう答えたまでです。ただ、結果については謝罪いたします」
「……」
そう小声で言い、深々と頭を下げる着物姿の女性。
確かに尋ねたのは俺であり、彼女は店の場所を教えたにすぎない。
つまり、落ち度はないのだ。
いかん。
どうやら俺は、頭に血が上りすぎて冷静な判断が出来ていないらしい。
ほんの少しこの女に対する警戒をゆるめるも、高圧的な態度は崩さぬよう気を付ける。
「……謝罪は受け取った。しかし俺たちを騙さないと言う証拠にはならんな」
「仰る通りです。我々の話を聞いていただくためにも、貴方さまがお知りになりたい情報を提示いたしましょう」
今、『我々』と言ったな。
彼女一人ではなく、複数人と言うことか?
それとも彼女の属するなにかをさしているのか?
例えば『組織』のような。
そのあたりは判然としないものの、情報の提示と言うのは悪くない条件である。
なにせ聞きたいことは山ほどあるのだ。
「……具体的にはどんな情報だ?」
「なぜ貴方さまがたがこのような目に遭ったのか、などです」
くっ。
最も聞きたかったことをズバリか。
ならば、大なり小なりのリスクは伴うだろうが、この話に乗るべきなのだろう。
仮にこれが罠だとしても相応の報いを与えるだけだ。
今の俺は加減も容赦もないぞ。
「……わかった。ただし、少しでも怪しいと思えば立ち去るか、場合によっては全て殲滅するが、それでもいいんだな?」
「ええ、子供の力とは言え、あれほどの投石をものともしない貴方さまが只者でないことは、重々理解いたしております」
どうもこの女性は一連の出来事を目撃していたようだ。
こうした事態になるのを始めから予想済みだったのかもしれない。
「いいんですかリヒトさん」
俺の耳に顔を寄せ、そう呟くリーシャ。
「さて、ね……だけど、何も知らないままってのも癪だろう?」
リーシャの耳に囁き返した時、奇妙な気配を感じた。
忽然と一人増えたような、そんな感覚である。
視線を気配の元である女性へ向けると────
「姉御、急いでください」
彼女の影が急激に伸び、男の声で言葉を発したのである。
これには思わず仰天する俺とリーシャ。
こ、これはもしや!
本部の元諜報部長で、今や公爵領の冒険者ギルド支部長を務めるリアムさんから聞いた東大陸特有のジョブじゃないのか!?
確か隠密や暗殺を得意とすると言う【忍】……!
「承知。では貴方さまがた、このような場ではゆるりと話せませぬゆえ、私の後に」
「……ああ」
周囲に目を走らせ警戒しつつ、しかしまるで散歩でもするかのような軽い足取りで進む女性。
俺もそれを踏まえてフード状にしたマントを深く被り、一般の旅人を装って荷車を引きながら彼女の後に続いた。
リーシャには娘たちと共に荷車の室内で待機してもらっている。
先程俺の放った威嚇で更に閑散とした大通りを抜け、尚も人気の無い路地へ。
荷車の幅がギリギリの小路を何度も折れ曲がる。
そして一軒の長屋の前で女性は足を止めた。
「荷車はここへ。後程責任をもってお返しいたしますので心配はご無用」
「……わかった。みんなおいで」
俺は念のため、名を言わずに子供たちを呼んだ。
敵かもしれぬ者に、むざむざと情報を与えてやる必要などない。
「では皆さま、こちらへ」
女性はそれを気にした風もなく、長屋へと入っていく。
俺が先頭で玄関をくぐり、マリー、フランシア、リーシャと続いた。
だが、女は土間を通り抜け、そのまま勝手口からまたもや外へ出ていく。
次の民家もただの通路であるかのように中を通り過ぎた。
ほう。
随分と慎重だな。
余程後ろ暗さがあるのか、あるいは何かを強く懸念しているのだろう。
更に数軒が過ぎ、いよいよ来た方向すらうろ覚えになりかけた頃。
「ここが我々の隠れ家です。周りの空き家も借り上げておりますのでご安心を」
と、言いながら大きめの家へ入っていく女性。
その内部はこれまで見てきた民家と大差ない造りであった。
土間があり、竈があり、小上がりの板間がある。
板の間の床には四角く切った『囲炉裏』と呼ばれる灰を敷き詰め、煮炊きと暖房を兼ねた設備があった。
五兵衛さんの炭焼き小屋でも見かけたのが記憶に新しい。
「履物は脱いでお上がりください」
「ああ、わかってる」
これも同じく五兵衛さんの小屋で経験済みだ。
慣れない風習であるが、郷に入っては郷に従え。
俺はブーツを脱いで上がり、囲炉裏を挟んで女性の正面に胡坐をかいた。
マリーは俺の右、フランシアは左側に寄り添い、リーシャは玄関から一番近いところに腰を下ろす。
「申し遅れました、私は『お銀』と申します。今、茶を点てますのでしばしお待ちを」
お銀と名乗った女性は、囲炉裏の炭に火をおこしながらそう言った。
火打石を使用しているあたり、東大陸にはマッチや炎の魔導がないのであろうか?
「……【ファイアボルト】……俺の名はリヒトハルトと言う」
「! これはなんとも見事な妖術……!」
俺の放った小さな炎で炭が燃え上がったのを、驚きの表情で見つめるお銀……さん。
妖術と言うのがこちらでの魔導なのかもしれない。
「りひとはるとさま。此度の件、伏してお詫びいたします」
五兵衛さんと同様、若干発音しにくそうに俺の名を言いながら床に額をこすりつけるお銀さん。
いわゆる土下座だ。
「……謝罪はもう貰った。それよりも聞かせてくれ。いったいこの東大陸はどうなっているんだ。なぜ俺たちは『金色の悪霊』などと蔑まれなければならない」
「……それは、この国にとって非常に根深い話でもあります。少々長くなるやもしれませぬがよろしいでしょうか」
「……さっきと言ってることが矛盾してるな。時間はとらせないのではなかったのか?」
「……なるべく手短にいたしますゆえ」
「最初からそのつもりだったんだろう? なかなかの女狐ぶりだな」
「それは褒め言葉と受け取っておきます」
お銀さんは薄く笑い、天井から囲炉裏の上まで伸びた棒の先に土瓶を引っ掛け、湯を沸かしはじめた。
そして見たことのない茶葉と茶器を用意しながら、ポツリポツリと語り出したのである。
「……発端は古の【魔神大戦】にまで遡ります……」




