西へ
「すみません。色々分けていただいて」
「なぁに言うとりますだ水臭ぇ。困った時はお互いさまだべよぉ」
カンラカンラと笑いながら、塩や干し肉などを包んでくれるお爺さん。
俺たちは今、みんな揃ってお爺さんの炭焼き小屋にお邪魔しているのだ。
勿論、こちらから押しかけたわけではなく、お爺さんの多少強引な善意によってである。
『そっだら小せぇ子たちがいんのに食い物もねぇんじゃ長旅なんて出来るわけねぇべな!』
なんて言われちゃったらねぇ……
せっかくの好意を無下にするのも憚られるしさ……
まぁ、正直言ってありがたいけど。
ちなみにこのお爺さん、名を『五兵衛』と言うらしい。
中央大陸では全く聞かぬ語感の名であった。
つまりここは間違いなく東大陸なのであろう。
信じたくもないことだが、どうやら俺たちはあの忌々しくも禍々しき輝きによって、本当に東大陸へ飛ばされたようだ。
だがそれ自体はもういい。
移動させられてしまった事実はいくら喚いたとて変わることなどないのだ。
ぶっちゃけ散々驚いたり騒いだりしたあとなんだがね……
ま、人間ってのは、ひとしきり頭が混乱すれば、おのずと事態を受け入れて冷静になっていくもんだよ。
ただ俺の場合は意識的にそれを顕著にさせなきゃならないってだけさ。
なんせ愛しの恋人と愛娘たちを守る責任ってもんがあるからね。
いつまでもあたふたしちゃいられないよ。
とは言え、俺の前に立ちはだかる難問は山積みだ。
当然一番の問題は、如何にして中央大陸へ帰還するかである。
【コートオブダークロード】が破損し、【飛翔】のスキルが使用不能の今、自己修復が完了するのを座して待つか、もしくはどこか大きな港を目指し船による海路で戻るかだ。
だが、マントの修復がどのくらいかかるのかもわからない以上、なにもせず待つわけにはいかん。
第二の問題、食料と水の確保があるからだ。
俺はどうなっても構わないが、子供たちやリーシャにひもじい思いをさせるのは御免蒙る。
獲物が獲れるかもわからぬサバイバル生活をしながら待つくらいならば、やはりどこかの街を目指すほうが余程建設的であろう。
しかしそこで第三の問題が発生する。
「五兵衛さん、お礼と言ってはなんですが、これをお受け取りください」
「礼なんぞいらんがなぁ。おんや? こりゃなんだべか?」
俺が五兵衛さんにそっと手渡したもの。
それは金色に鈍く輝く六角形の大金貨であった。
「えーとですね、それは中央大陸の貨幣でして。ちょっと東大陸での価値はわからないんですが……」
「ほぉ、珍しい形をしとるもんだ。初めて見たが、本当に金だべか? ちっとも使えそうにねぇんだげども」
これだよ。
金銭問題!
五兵衛さんの反応からすると、例え人里に着いたとしても俺の持つ金では米粒すら買えない公算が高い。
ただ、これには少し希望も残されてはいる。
東大陸は中央大陸とも全くの疎遠ではなく、若干の交易ルートもあることから換金自体は出来るはずなのだ。
……ただし、往々にして両替所とは大都市にしか存在し得ないと言うことも忘れてはいけないが。
つまり俺たちが物資を買い求めるには、出来得る限り早く大きな街へ行かねばならないと言うことだ。
「五兵衛さん。この大陸の王都はどのあたりにあるんですか?」
「おうと……? りひとはるとさんはゲロでも吐きなさるんだべか? せめて表でやりなされ」
「い、いえ、嘔吐ではなく……えーと、なんて言えばいいんだ? 首都? とにかく一番大きな街ってどこですかね?」
「あぁ、皇都ならだいぶ西だべなぁ」
「こうと?」
「んだ。帝さまの御座す場所だ」
なるほど。
東大陸は王制ではなく皇帝制をとってるのか。
ま、どちらでもいいさ。
「その皇都に港はありますか?」
「そりゃあ、あるんでねぇが? オラは行ったごどねぇからしらねぇけんどよ。なんでも西の果てって話だべよ。だったら皇都は海の近くなんでねぇべか?」
「そうですか……」
なんとも曖昧だが、訪れた経験がないのであれば首都の位置など知らなくとも無理からぬこと。
俺の聞きかじり知識だと、なんでも東大陸とは大地が東西に長く伸びているらしい。
うーむ。
地理にすら疎いってのは今後致命的になるかもしれないね……
街の正確な位置もわからないんじゃ、彷徨った挙句、無駄な時間を浪費することにもなるし……
……いや、待てよ。
俺は懐から冒険者カードをおもむろに取り出し、識者系スキルを検索する。
おっと、これだこれだ。
【世界地理】のスキルを見つけて迷わずボタンを押下、取得した。
途端に脳内が膨大な情報で埋め尽くされる。
頭を巨人に掴まれて思い切りシェイクされたような吐き気を催す感覚。
取り敢えず東大陸のみの地理情報を得たはずなのにこの有様だ。
一度に五大陸全ての知識を取得したなら俺の脳は破裂していたかもしれない。
危ない危ない。
五兵衛さんが言った通り、本当に嘔吐するところだったよ……
「ごへーおじーちゃん、またねー!」
「お爺さんありがとうー」
「お爺ちゃんバイバーイ!」
「五兵衛さん、ありがとうございました」
娘たちとリーシャが口々に礼や別れを告げる。
俺はそれを微笑ましく聞きながら五兵衛さんのお陰で膨れ上がった鞄を担いだ。
「本当にお世話になりました。このご恩は忘れません」
「ええよぉ忘れても。オラぁいっぺんに孫が増えたみてぇで楽しがったもの。こっちごそお礼を言いてぇぐれぇだべよ」
「恐縮です」
「それよりも道中気を付けたほうがいいべよ。ここらから先は鵺の力が及ばねぇもんで、結構おっかねぇヤツもいるでなぁ」
「はい。肝に銘じておきます」
「まぁ、りひとはるとさんなら大丈夫だとは思うけんども」
「ははは、これでも一応冒険者ですからね。それでは、五兵衛さん色々ありがとうございました」
痛む腰に気合を入れて『よっこらせ』と立ち上がり、これまた痛む膝を叱咤しつつ、先を行くみんなと合流する。
「旅の無事を祈っとるでなぁ~!」
もう小さく見える五兵衛さんが手を振りながら叫んでいる。
俺たちも笑顔でブンブンと手を振り返した。
さてと。
五兵衛さんは皇都が西にあるって言ってたな。
脳内で【世界地理】のスキルを使い、東大陸のマップを展開する。
縮尺を一番小さくしているため、全体が見渡せた。
東西に長い形なのは記憶と相違なかったが、よく見れば東側が少し上がっていて、西側が少し下がっているような形状であった。
つまり東北と南西に伸びた大陸なのである。
そしてその中央部は微妙に膨らんでいた。
ふむ。
俺たちはどうやらだいぶ東側にいるみたいだね。
こいつの一番便利なところは、現在地が赤いポイントで示されることだ。
首都を示す青いポイントは正反対の西端……か。
「リヒトさん?」
「ん? ああ、大丈夫だよリーシャ。方角はわかった。さぁ行こう!」
「さっすがリヒトさん! 頼りになりますね!」
「だってわたしのパパだもん!」
「私のお父さんだもん!」
「私のパパだよー!」
「あー! ふたりともまねしちゃダメー! あははは!」
楽し気な娘たちの声と共に、帰還への旅を再開するのであった。