思い立ったが吉日
その日の朝は驚愕から始まった。
朝食の場である居間を、ピリピリとした空気が包む。
特に驚き、あまりの事態に半分泣いていたのは、俺の秘書長兼公爵領統括を担うウェスタニアさんである。
「リヒトさ……いえ、公爵さま。それは本気でおっしゃっておられるのですか?」
潤んだ瞳を無理矢理吊り上げ、それを誤魔化すように三角メガネをクイッと持ち上げる我が秘書長。
俺としても彼女にそんな顔をさせるのは非常に不本意であるが、公爵としても主としてもきっぱりと伝えておかねばなるまい。
「うん。今日は職務を休もうと思うんだ。急で悪いけれど、全てきみに任せるよ」
「ガーン! そ、そんな大役を私一人になど……!」
ウェスタニアさんは自分の口で『ガーン!』とか言っちゃうキャラだったっけ?
『氷のメイド』なんて二つ名を持っていた気もするんだが……
いや、これはこれで面白いからいいか。
新たな一面を発見した気分だしね。
「大丈夫だよ。遅くとも夕方までには帰ってくるつもりだからさ。仮に、きみでも迷うような案件が出てきた場合は『保留』と言い張ってくれれば良い。戻り次第、俺が対処するよ」
「で、ですが……んぷっ!」
「すまない。詳しくはまだ言えないが、これは俺にとって重大なことなんだ。そしてマリーにとってもね。そして今、公爵領を任せられるのはきみだけだ」
俺の人差し指に唇を塞がれ、目を白黒させるウェスタニアさん。
彼女の頬がみるみる赤く染まっていく。
逃れる術はいくつもあるはずだが、彼女は借りてきた猫のように大人しくなってしまった。
いかん。
ウェスタニアさんは男に免疫がないのを忘れてた……!
しかもやってから気付いたが、今の俺は恐ろしくキザなのではなかろうか。
俺まで気恥ずかしくなったものの、効果は覿面だったので良しと無理矢理己を納得させる。
後ろから『ヒューヒューなのじゃ!』とか『パパかっこいい~!』などと娘たちの声が聞こえたけど、取り敢えずスルーしておこう。
「公爵領とその領民を全て背負う、なんて気負いはいらないよ。きみはただ、いつものように俺をサポートするつもりで仕事をこなしてくれればいいんだ」
「……はい、承知いたしました……でも、なるべく早くお戻りください……でないと私、重責で押し潰されてしまいそうです……」
「ははは、それは勿論さ。だけど、いつもの強気なきみはどこへ行ったんだい? 普段なら『私に万事お任せを。公爵さまなどおられずとも余裕でございます。シッシッ!』とか言うだろう?」
「わ、私はそんな不遜で大それたことを言った覚えはございませんっ!」
「おっ、いいぞ。やっと眉が上がってきたね」
「!」
恥ずかしそうにササッと背を向け自分の眉を両手で隠し、チラチラと俺を窺うウェスタニアさん。
普段から柳眉が上がっていると自覚はあるのだろう。
ま、俺はもう見慣れちゃったけどね。
それで気付けたこともあるよ。
彼女の言動が俺に対してきつめなのは、もちろん男性に免疫がないこともある、でもそれ以上に照れ隠しなんだよね。
ちなみに、グラーフやベンに対してはもっと辛辣だったりする。
しまいには話しかけられても完全に黙殺することがままあるのだ。
どうやらウェスタニアさんは、ガチムチが生理的に無理らしい。
グラーフ、ベン、哀れなり。
細マッチョで良かったね俺。
そう言えばグラーフは大丈夫なのだろうか。
今日は夜も明けぬ頃から人手の足りない『真・子豚亭』で仕込みの手伝いをしているはずだが……
とは言え、難しい調理などは彼に任せるはずも出来るはずもなく、洗い場や野菜の皮むきがせいぜいだろう。
そう考えればグラーフでもなんとかなりそうだった。
グラーフの木工技術は俺も目を見張るほどなんだけどねぇ。
料理は何度か教えたけど、からっきしなんだよ……
「ただいま戻りましたでごぜーますぅ~!」
「ふぅー、ただいまー」
「キュン!」
そうこうしているうちに、使いへ出していた自称人魚のメイド長ニアーナと愛しのリーシャ、そして何故か勝手について行ったフェンリルのリルが元気に戻ってきた。
ただ一人、リーシャだけは疲れ果てた顔をしている。
整った顔に影が差し、その表情は憂いに満ちていたのだ。
理由は大体想像つくけどね。
「みんな、朝早くに用事を頼んですまなかったね。お疲れ様」
「わたすはリヒトさまのメイドでごぜーますから! なんっでも頼んでくだせー! えへへー」
「キャンキュン!」
俺はそんなニアーナとリルの頭を交互に撫でて労った。
二人の無邪気な笑顔は俺の心もほぐしてくれる。
「リーシャ、お守りをさせてごめんよ。ニアーナにもお使いは慣れてもらいたくてね」
「いえいえ。あの二人だけだとマリーちゃんたちに任せるよりも不安ですから、気にしないでください」
「それで、どうだった?」
「ええ、ニアーナもリルもすぐに寄り道しようとするから大変でしたよ」
「ははは、あの子たちらしいね。じゃあ、ミリア先生への言伝は?」
「はい。たどたどしくて文言も子供っぽく変えちゃってましたけど、ミリア先生のほうが空気を読んでくれましてどうにか……あはは」
「はっははは、さすが先生だね。本当にありがとうリーシャ。助かったよ」
そっとリーシャの手を握りながら耳元でねぎらいの言葉を囁く。
指を絡め合って、お互いにギュッと握れば気持ちも伝わるのだ。
「マリーお姉ちゃん、準備はいいのかの?」
「うん! なんだかズルやすみみたいでドキドキしてきちゃった! パパったらいきなりなんだもん、びっくりしちゃうよねー!」
「ちゃんと先生に断っておるのじゃからズルではないと思うがの。ま、確かにわらわも驚いたのじゃ」
「アリスちゃん。アキヒメちゃんやフランシアちゃんによろしくいっておいてね」
「任せるのじゃ。ちゃーんと『お姉ちゃんは学校をサボってお父さまと遊びに行ってしまったのじゃ!』と伝えておくのじゃー」
「あははは! サボりじゃないもーん!」
マリーとアリスメイリスは準備を整えながら楽し気に笑い合っている。
マリーが青いワンピースの上から全身鎧の胸当てと背当て部分のみを装着するのを、アリスメイリスが手伝っている格好だ。
そして最後に冒険者ショップで買った、『自称剣聖オルランディさまの剣』を背負う。
真偽不明の品だが、マリーはこれをいたく気に入っているようだ。
うむ、とても愛らしく勇ましい。
まるで姫騎士だね。
戦に行くわけじゃないし、全身鎧だと動きにくいから余計なパーツはいらないよな。
「私もすぐに支度しますね」
リーシャもそう言って自室へと向かう。
彼女も武装するつもりだろう。
冒険者らしく。
さぁ、思い立ったが吉日。
昨日の夜、娘たちを寝かしつける際に思いついたことを決行するために慌ただしい朝となってしまったが、どうにか体裁は整った。
そう、俺とマリーの足跡を辿るのだ。
────記憶を見つけるために。




