娘の見た夢
「……パパ? パパ~?」
「お父さまは眠ってしまったのかの?」
「おしごとでつかれちゃってるのかな……?」
「そうかも知れぬのじゃ」
「ごほんのつづき、よんでもらいたかったのに~」
「くふふ、お父さまの朗読はなんだか安心するからのー」
「うん! パパのこえだいすき!」
「深みのある良い声じゃからの。街の女性たちも『あの声で命令されたいわ』なんて言っておったのじゃ」
「うん。パパはなんでもできてすごいよね~。ヨゼフおじいちゃんのぎゅうにゅうたっぷりシチューもすっごくおいしかったもん!」
「うむ、あれは絶品じゃった! 久しぶりに食べたから余計に美味しかったのじゃ! お父さまの料理はやっぱり最高じゃの~」
娘たちの話し声でようやくハッとする俺。
あまりにも深く思考の海に沈み込んでいたせいで、どうやら目を開けたまま寝ているような状態になっていたようだ。
「ああ、ごめん。まだ起きているよ」
俺はそう言いながら、両脇に横たわるマリーとアリスメイリスを抱きしめた。
二人を寝かしつけるためにベッドへ横になったつもりだったが、これでは本末転倒だ。
「パパ。まいにちおしごとおつかれさま。えんりょしないでねむかったらねちゃってね」
「お父さまが毎日お仕事をしてくれるからこそ、わらわたちも安心して暮らせるのじゃ。とっても感謝しておるのじゃ。でも、無理だけはしないで欲しいのじゃ」
娘たちの言葉で不覚にもジーンとくる。
なんと優しく、人を思いやれる子たちなのだろう。
俺を労わる気持ちがヒシヒシと伝わった。
「大丈夫。マリーとアリスがいてくれるだけで俺は力が湧いてくるんだから。さて、ご本だったね。えーと、どこまで読んだかなぁ?」
「ゆうしゃアレスがわるいまほうつかいからおひめさまをたすけたところ!」
「魔法を跳ね返すアレスがお父さまみたいでかっこよかったのじゃ!」
「え~? パパのほうがもっとかっこいいよ!」
「む、それは確かに同意なのじゃ。お父さまにかかっては勇者アレスも形無しなのじゃ」
「そ、そうかい? ははは、なんだかそんなに持ち上げられると照れちゃうね……」
俺は赤くなったであろう頬を隠すように、枕元をまさぐって一冊の本を取り出す。
例えお世辞だとしても、娘たちにそう言ってもらえるのは何よりも嬉しいのだ。
父親としての俺は、まだまだ至らない点や反省点も山ほどあるんだけどね……
そんな俺をこれほど慕ってくれるんだから、二人には感謝しかないよ。
むしろ、俺のほうこそマリーとアリスを領内中に自慢したいくらいさ。
見てくれよ俺の娘たちを!
超可愛いだろ!?
ってね。
……いや待て。
これじゃただの親バカだ……
まぁ、我が領民たちならゲラゲラ笑ってくれるだろうけど。
気さくで大らかな人々だもんな。
俺はつくづく恵まれてるよね。
「パパ~はやくはやく~」
「うん。ちょっと待って……ページが……」
「あ、その辺りなのじゃ」
「おっと、ここか。よしよし、じゃあ行くよ。お姫さまと共にお城へ帰った勇者アレスは……」
仰向けで読み始めた俺に、マリーとアリスメイリスがぴったりとすり寄ってくる。
時々本に現れる挿絵を見るためだ。
そんな二人を愛おしく思いながら読み進めた。
「こうして勇者アレスは、悪い魔法使いに奪われたお姫さまの記憶を取り戻したのでした」
「わ~! よかったねおひめさま!」
「ホッとしたのじゃ~!」
心底嬉しそうな笑顔のマリーとアリスメイリス。
読んでいる俺まで笑みがこぼれてしまいそうだ。
しかし、娘たちが選んで買ってきたこの本。
まさかこんな内容だったなんてね。
姫の記憶を取り戻す旅に出る勇者、か……
「記憶がないとは、どんな気持ちなんじゃろうのー?」
何気ないアリスメイリスの言葉にドキリとする。
咄嗟にチラリとマリーの様子を窺ってしまった。
彼女は俺と出会う以前の記憶をなくしているのだ。
しかしマリーは別段なんとも思わなかったらしく。
「よくわかんない。パパはわたしもきおくそーしつだっていうけど」
と、あまりにも普通に答えた。
『しまった』と息を飲むアリスメイリス。
どうやら彼女はマリーが記憶喪失なのを失念していたらしい。
だがそれも無理はなかろう。
普段の振る舞いも、目や髪の色まで俺の娘としか思えないのだから。
そもそも当事者の俺ですら、マリーが本当の娘のように感じている始末。
本当にそうであるなら、どれだけ良かったことか。
無論、アリスメイリスのこともだ。
だが、マリーは記憶の件を気にしておらずとも、俺は気になる。
なぜなら、今や俺もマリーと同じく己の記憶について曖昧なのだ。
そんな俺はふとした疑問が口をついてしまう。
「マリーは本当のパパやママが気にならないのかい?」
俺もアリスメイリスと同様に、言ってから『しまった』と思わざるを得なかった。
こんな小さい子に何を言わせる気なのか。
俺はこの子に何と言って欲しいのか。
そしてマリーは少しだけ頭を悩ませた後。
「……うーん……ぜんぜん! パパはパパがいるし、ママはリーシャおねえちゃんがいるもん! いもうとのアリスちゃんまでいるから、わたしはいまがとってもしあわせなの!」
「マリー……」
「マリーお姉ちゃん……」
弾けるような笑顔のマリーに、言葉を失う俺とアリスメイリスだった。
だがマリーの瞳は少しだけ真剣な眼差しに変わり────
「でもね、ときどきゆめをみるの」
「夢、かい?」
「うん。ながいかみのおんなのひとにだっこされてるゆめ」
「!」
それは初耳だった。
長い髪の女性とは、もしやマリーの母親だろうか。
夢と言うものは本人すらも忘れた記憶の根幹を表すと何かで見聞きした。
ならばマリーが本当の母親を夢に見たとしても全く不思議ではない。
「おかおはよくみえないんだけど、とってもやさしいこえでわたしにはなしかけてくるの」
「……その人は何て言ってたのかな?」
「よくわかんないけど……『わたしのかわいいマリ……』で、いつもめがさめちゃうの」
『私の可愛いマリ……』
その女性がマリーの母親ならば、我が子に言ったとしてもなんらおかしくない言葉だ。
そうか。
だからマリーと初めて会った時、彼女は自分の名前を疑問形で答えたのか。
『マリ……』で途切れるということは、名前に続きがあるのかもしれない。
「マリーお姉ちゃんはその人が誰か気にならないのかの?」
「う~ん……そういわれるとすこしだけ」
マリーはちっちゃな指をほんのちょっぴり開いてアリスメイリスに示した。
気にするのは当り前だろう。
多分それが実の母親なのだから。
いつかこんな日がくるとは、俺も薄々感じていたけどね……
俺は娘たちを力強く抱きしめながら、ひとつの考えに至るのであった。




