故郷へ
「……待ってくれよリーシャ……今、なんて言ったんだい……?」
愛する少女が発した言葉を受け入れることが出来ず、聞き返してしまう。
彼女は俺の両親を知らないというのだ。
同じ村の出身であるのに。
「……リヒトさんのお父さんがナハトさんで、お母さんがサリアさん、なんですよね?」
「……ああ、そうだよ」
確認するように尋ねたリーシャは、そのまま顎に手を当て深く考え込んでしまった。
眉間に皺をよせ、『ふぬぬ』とか『ぐぬぬ』とか唸っている。
その表情を見ているだけで、俺は現実と正面から向き合うしかないのだと気付かされた。
アルハ村は小さな寒村だ。
それは住民全てが顔見知りな程。
少なくとも俺が居た頃はそうだった。
ならばリーシャも同様の環境で過ごしていたと考えるべきだろう。
彼女が知らないとすれば、きっと、そう言うことなのだ。
だが彼女はこうして沈思黙考し、俺のために必死に思い出そうとしている。
見てくれよ。
リーシャは今にも耳から煙を吹いて脳が焼け付きそうな顔になってるじゃないか。
愛する女の子をこのままにはしておけないよ。
「……リーシャ、すまなかったね。もういいんだ」
「い、いえ! 私の記憶力がちょっと曖昧になってるだけですから! きっと思い出します!」
そんな健気なことを言ってくれる彼女だったが、俺は半ば諦めてもいた。
村を飛び出してから、長い長い時が経過した。
その間、俺は一度も帰郷していない。
手紙すらも出したことがない。
そんな薄情な俺だ。
仮に両親が知らぬ間に他界していたとしても、俺には今更嘆く権利などないのだ。
これこそ神が下した、過去を顧みることなく生きてきた俺への罰なのだろう。
ならば俺に出来ることをするまでだと思う。
「大事なのは今さ。リーシャや娘たちと暮らせる現在のほうが俺には大切なんだよ」
「そう言ってくれるのは私もすごく嬉しいですけど……納得は出来ません」
「なにがだい?」
「だって、産んでくれたご両親ですよ? リヒトさんと私が出会えたのもご両親があってのことじゃないですか」
「ぐっ、なんという正論。きみはいつの間にそんな弁舌を……」
「だから、きちんと確認したほうがいいと思うんです」
「なにを?」
「ご両親の行方を、ですよ!」
ゴォォォオオ
耳元で風が唸っている。
季節は春本番だが、上空はやはり寒い。
やれやれ。
リーシャの強引さには参ったね。
まさか『直接見に行きましょう!』なんて言われるとは思わなかったよ。
俺の腕に抱かれ、防寒のため【コートオブダークロード】に包まれた愛しき少女を見やる。
今は高速で巡航中ゆえに、ギュッと目を閉じ俺にしがみついていた。
リーシャにとっても一年ぶりとなる帰郷だ。
その胸には色々と去来する想いもあるだろう。
俺?
俺はウン十年ぶりかな。
年齢がバレるから言わないけど。
眼下にはアトスの街が小さく見える。
この街の『子豚亭』で働いていたのがもう一年も前だなんて。
本当に様々な出来事があった。
色々ありすぎて実に濃厚な時間を過ごしたものだ。
だが、俺の働き詰めだった長きに渡る料理人時代よりも、この一年間のほうが遥かに充実していた気がする。
料理と向き合い、没頭し、腕を磨いてきたことに悔いはない。
それこそが俺の根幹なのだから。
しかし、俺には愛する者が出来た。
生涯をかけて守るべき者が出来たのだ。
だからこそ今のほうが充実しているのだと思う。
「大丈夫、ですよ、リヒトさん。心配しなくとも私の、記憶違いですって」
風圧で喋りにくそうなリーシャがそう声をかけてくれた。
どうやら俺が思い悩んでいるように見えたらしい。
「はは、違うんだよリーシャ。この一年のことを思い返していただけさ」
「ふふっ、そうですねぇ。毎日が楽しいことばかりで、私がこんなに幸せでいいのかなって思っちゃいます」
「勿論さ。きみが悲しまないようにするのは俺の役目だからね」
「ぷっ、あははは、臭いセリフですよリヒトさん! ……だけど、とっても嬉しいです……愛しています……ずっと」
リーシャはそう呟き、ギュッと俺を抱きしめた。
万感を込めて。
空気は徐々に冷たさを増し、北方地域へ入ったことを示していた。
俺たちの故郷アルハ村は大陸でも北の果てと言っていい場所にある。
故に冬は長く、夏は短い。
王都が春だとしても、アルハ村はまだ水が凍る寒さなのだ。
「寒くないかい?」
「平気です」
口ではそう言いったものの、リーシャの身体は小刻みに震えていた。
密着している以上、俺にも感じる。
それが寒さによるものか、緊張によるものかはわからないが。
景色も徐々に様変わりし、山間には白いものがまだ目立っている。
それは溶けずに残った雪であった。
そりゃ寒いわけだよ。
これだけ雪があるならね。
おっ、あの山と横に広がる森は見覚えがある。
……エマーソンの大森林か……
俺もリーシャも感慨深く森を眺めた。
そこは一年前、位置的にもっと南のほうではあったが、愛娘マリーと出会った場所であるからだ。
マリーは泉のほとりに倒れてたんだよね。
それも記憶を失ってさ……可哀想に……
…………記憶……?
「あっ、リヒトさん、村が見えてきましたよ! わ~、懐かしい~!」
リーシャの声にハッとした。
雪に覆われてはいるものの、確かにアルハ村と思しき村落が見える。
いけないいけない。
妙な考えに囚われてしまうところだったよ。
バカだねぇ俺も。
妄想はいい加減にしなさいって。
そんなはずがないんだよな。
もしかしたら俺の記憶のほうが間違ってるんじゃないか、なんてさ。




