無事に送り届けたら任務は完了です
「……今から、ですか?」
「ええ。今からですわ」
「本気で?」
「ええ」
「王都に戻られると言うことですよね?」
「そうですわ」
「ご冗談……ではないのですか?」
「リヒトさまも意外にくどい御方ですわね。そのようなことを申すのなら、あと一ヶ月くらい滞在いたしますわよ」
「し、失礼しました!」
唐突に帰ると言い出したシャルロット王女の言葉が信じられず、つい何度も聞き返してしまう俺。
これほどの夜更けに言われては、疑問に思わないほうがおかしい。
一日にしてホームシックを罹患してしまったのだろうか、とも考えたがこの奔放な王女にそれは有り得ないはず。
「お言葉ですが、どうしてこんな時間に? せめて朝になるまでお休みになってはいかがですか。そのほうが娘たちもきっと喜びます」
「ぐっ! 痛いところをつきますわね……マリーちゃんとアリスちゃんを引き合いに出すだなんて……流石リヒトさま、策士ですわ!」
いや、なにも策なんて使ってませんけど……
娘たちの悲しそうな顔を見たくないだけです。
「お別れの挨拶などしてしまったら逆に名残惜しくて帰る決意が薄れてしまいますわ。マリーちゃんたちやリヒトさまと共に過ごしたい気持ちは、勿論言うまでもなく大きいのですから」
「それは光栄に存じます。しかし……」
「いい加減、お黙りにならないとこうですわよ!?」
「むぐっ!?」
王女は己の唇を以て俺の口を塞いだ、なんてロマンチックなことは無く。
普通に手で塞がれた。
その時、隣のリーシャがモゾモゾと動く
「う、う~ん……むにゃむにゃ……リヒトさぁん……えへへ……」
こりゃまた、随分と嬉し恥ずかしな寝言を……
「……騎士リーシャは本当にリヒトさまを信頼しきっていらっしゃるのね。見なさいな、この幸せそうな寝顔」
「は、はぁ」
「……羨ましいですわ」
「は?」
「全く、リヒトさまは女心と言うものがわかっておりませんのね」
「こ、これは手厳しいお言葉を」
「ですけれど、そんなリヒトさまだからこそ騎士リーシャは恋に落ちたのかもしれませんわね。貴方は良い意味で朴訥ですもの」
褒められているのか貶されているのか判断できず、曖昧に頷く。
そんな俺をやれやれと言った目で見つめるシャルロット王女。
俺の反応があまりお気に召さなかったようだ。
だって、どう答えればいいのかわからないよ……
「さぁ、皆に気付かれてしまう前に出発いたしますわよ」
「……わかりました。シャルはここでお着替えください。暖炉のそばなら温かいですから。私はリーシャをベッドへ寝かせてきます」
「……そう言うさりげなくお優しいところに誰もが好意を寄せるのですわ。騎士リーシャも、ウェスタニアやニアーナも、そしてわたくしも……」
ぐおお。
リーシャを抱き上げたはいいが、思い切り腰に来たぁ!
名誉のために言っておくが決してリーシャが重いわけじゃない。
俺の腰がポンコツなだけさ。
「はい? なにかおっしゃいましたか?」
「いいえ。なんでもありませんわ」
おっと、これはいかん。
疑問には思うけれども、俺がいたらシャルは着替えられないよな。
リーシャを起こさないようにそーっと、そーっと。
ベッドへリーシャを寝かせ、風邪など引かぬよう幾枚も毛布を掛けてから居間へ戻った時には、シャルロット王女の着替えもすっかり済んでいた。
ここへ来た時と同様、白いドレスに身を包んでいる。
魔導飛行装置で墜落した際の汚れは、我が家のメイド長ニアーナの手によって払拭され、見事な純白が甦っていた。
うん。
華やかで清楚なシャルにピッタリだね。
だがそのままではいくらなんでも凍えてしまうだろう。
今は極寒の冬、そして真夜中、いやもう明け方のほうが近いのだから。
「失礼します」
俺は一言断ってから王女を頭から毛布でくるんだ。
勿論、なるべくお身体に触れないよう、きちんと配慮して。
「シャル、我々はベランダから飛び立つことになります。階下には当直の騎士がおりますゆえ」
「まあ! 素敵ですわ! まるで駆け落ちのよう! 愛の逃避行ですわね!」
違いますけど!?
思い切りツッコミを入れたい衝動を堪え、王女を伴ってベランダへ出た。
寒い……と思ってはいたが、やはり雪が降っている。
それもしんしんと。
こりゃいかんな。
天候自体は【コントロールウェザー】でいくらでも変えられるが、あれは半径1キロメートルにしか効果が及ばないからなぁ。
王都は遥か彼方だし。
うーん、どうしたもんかねぇ。
そんな益体もないことを考えつつ、俺は王女へ背を向けてかがんだ。
「シャル。僭越ながら、私の背へお乗りください」
「えぇ~? わたくしは抱っこを期待していましたのに~……」
「……ご希望に沿いたいところではありますが、それだとこの雪で全身が濡れてしまいますゆえ」
「…………はぁ~……仕方ありませんわね」
シャルロット王女が俺の背に身を預けたことをしっかりと確認する。
そして王女の上から防寒性にも優れた【コートオブダークロード】を羽織って準備完了。
返す返すも便利すぎるなこのマント。
アリスの御父上に感謝しなくちゃね。
ある意味では形見のようなものだし。
よし、行こうか。
「シャル、御身を支えるために触れてもよろしいですか?」
「ええ。勿論ですわ」
「では失礼」
「あん! そこはお尻ですわ!」
「えぇぇ!? も、ももも申し訳ございません!」
「冗談ですわよ」
「……」
「あら? お怒りになりましたの?」
「いえ。少々呆れただけです」
「ふふふ、言うようになりましたわね」
それには答えず、俺は王女の身体をしっかりと支えてから【飛翔】のスキルを起動した。
音もなく飛び立ったことに背中でキャイキャイはしゃぐ王女。
「す、すごいですわ! 音も振動も感じないだなんて! これが太古の【レジェンドアイテム】の力……!」
きっとアリスメイリスにでも聞いたのであろう。
神話級アイテムに感激する王女だった。
ある程度の上空、つまり雪雲の上まで上昇した俺はそこから水平飛行へ移った。
高空ゆえに突き刺さるような冷気が顔を打つ。
それでも雪の中を飛ぶよりはだいぶましであった。
高速だと雪の粒ですら痛いだろうからね。
俺ではなく、シャルが、ね。
「少し飛ばしますよ」
俺は背中の王女へそう伝え、進行方向に魔導障壁を展開する。
そして一気に加速した。
キィィィィイイイイイイ
金切り声にも似た轟音が後方へ後方へと流れてゆく。
俺の胴体の周りに白く細い雲が輪を描いた。
音の早さを超えた証拠である。
空気の壁は突破したものの、魔導障壁のお陰で呼吸困難になることはない。
とは言え、背中にいるのは一国の王女。
慎重に慎重を重ね、最大戦速は避けた。
それでも高速を誇る鳥類やモンスター、シャルロット王女が使用していた魔導飛行装置などよりは比べるべくもないほど速いだろう。
気付けば王都までの道のりの半ばを過ぎていた。
「あ、あの、リヒトさま」
「はい?」
「できれば速度を落としてくださいませんこと?」
「速すぎましたか?」
俺は慌てて音速状態を解除し、通常航行速度に移行する。
「いいえ。ただ、この幸せな時間をもっと長く過ごしたいのです」
「……シャル……」
そこから俺は、なるべくゆったりと白み始めた空を飛んだ。
シャルが風景を目に焼き付けることが出来るように高度を落として。
眼下に広がるは森林、草原、穀倉地帯、大街道、荷を運ぶキャラバン、集落、そして人々。
王女は思いを巡らすようにそれらへ視線を向ける。
そして時折、俺の横顔を見つめた。
俺も王女も敢えてなにも言わない。
そんな静かな旅も、王都が見え、王城の上空へ差し掛かった時に終わりを告げた。
例の尖塔へ降り立ち、王女を毛布から解放する。
「……」
「……シャル、着きましたよ」
「……ええ」
名残惜しそうに立ち尽くすシャルロット王女。
眉は下がり、唇を噛みしめている。
その姿はあまりにも寂しそうだった。
「シャル……」
「よいのです。今、リヒトさまに優しい言葉をかけられてしまったら、わたくしは二度と王女へは戻れませんもの」
そう言って無理に笑顔を作る。
この気丈さ。
これこそが国を背負って立つ統治者の姿だ。
ならば俺も、シャルに精一杯のエールを送らないとね。
「シャル、我が公爵領はあなたのためにいつでも門扉を開いていると思ってください。ですから、魔導飛行装置が完成したあかつきには気兼ねなくおいでになってよいのです。マリーやアリス、そして私も待っていますよ」
「まあ! 嬉しいことをおっしゃって! ふふっ、なんだか元気が出てきましたわ!」
俺の言葉に王女はみるみる目を輝かせた。
そうそう。
シャルはそうでないとね。
「ではその日を待ちわびて頑張ることといたしますわ! あっ、リヒトさま。此度の公爵領視察における最大の目的を忘れていましたわ! えーと、あ、ありました、これをお受け取りください」
王女は懐をまさぐると、なにかを取り出し、俺へ手渡した。
まだ温もりの残るそれは、黄金の輝きを放つリングであった。
「……これは?」
「先代の公爵、ラインハルト公が残したものですわ。王城の宝物庫で眠っていたのを見つけたのです」
「私がいただくべきではないと思うのですが……」
「いいえ。リヒトさまが公爵となってすぐに発見されたのですもの。まるであなたに貰われたがっているかのようでしたわ。当然、お父さまも『そうせよ』と申しておりますからご安心を」
「国王陛下が……わかりました。有難く頂戴いたします」
満足そうに頷く王女。
朝日に照らされたその姿はまるで一幅の絵画のようである。
「マリーちゃんとアリスちゃんにはリヒトさまのほうから謝っておいてくださいませ」
「えぇ!? うわー、最後に大変な役目を背負わせてくれましたね」
お互いひとしきり笑い合ったあと。
「では、ごきげんよう。また会う日を楽しみにしておりますわ。わたくしの大好きなリヒトさま」
そう言い残し、素早く俺の頬へキスを贈ると、シャルロット王女は尖塔の小さな扉の中へ消えて行った。
しばしポカンとする俺。
自分でもなにが起こったのかよくわからなかった。
悪い夢魔の幻惑にでもかけられたように。
わけもなく掌のリングを見つめてしまう。
ラインハルト公爵……これはいったいなにがどうなっているんですかね?
黄金のリングは、ただ静かに光を放つばかりであった。




