天まで届け!
自慢ではないが、やると決めてからの俺は行動が早い。
なにせ商業区はまだまだ空きだらけ。
ならば、と俺は躊躇なく公爵権限を揮って新生子豚亭のために一等地を抑えたのである。
一応、歓楽街のほうにも土地の空きはあるのだが、そこはそれ。
歴史ある老舗レストランの子豚亭は、アトスの街にあった頃から商業区の客をメインとしていたのだ。
それを変えてしまったのでは、前オーナーに面目なくて子豚亭とは名乗れない。
だが、そこいらの無駄に格式と値段だけはお高い高級レストランとは完全に一線を画していた。
徹底的な食材の選別。
つまり、品質の良いものを金の暴力で仕入れるのではなく、『人とのつながり』で仕入れるのだ。
前オーナーはその顔の広さと人柄で、市場や問屋を挟むことなく、生産者から直接食材を購入していた。
仲介業者を介さずに取引すると言うことは、原価を非常に抑えられると言うことだ。
物によっては市場価格の五分の一にまでも。
それによって子豚亭のメニューは軒並み値段を下げることに成功したのである。
ともすれば子供のおこづかいでも料理を食べられるほどに。
先代のそうした惜しみない努力と味のおかげで子豚亭は繁盛していたわけだが、あの料理長はそれを忘れて地位に胡坐をかいてしまった。
俺もオーナーの意思を継ごうと努力を重ねてはきたものの、どうやら料理長は古臭いやりかただと捉えたのだろう。
彼は俺をクビにすることで溜飲を下げることには成功したが、オーナーの培ってきたものを全て投げ打つ形となってしまったのだ。
秋の日は釣瓶落とし、などと言う言葉がある。
秋の夕暮れは、井戸から水を汲む釣瓶を落とした時のように、あっと言う間に暗くなってしまう、と言った意味だ。
飲食店の凋落はこれと似ている。
『あの店は味が落ちた』
『代替わりしてからダメになった』
『あの料理人は腕があまりよろしくない』
こう言った評判や噂は、それこそあっと言う間に広まるものなのだ。
悪評が広まれば客足は一気に遠のく。
そうなるともう、あとは坂を転がり落ちる石である。
少し話が逸れてしまったが、俺がなにを言いたいのかと言うと、ひとえに前オーナーだから可能であったことが多すぎると言うことだ。
公爵領にはまだまだ生産者も業者も不足している。
当然市場などもない。
故に、買おうにも食材が圧倒的に少ないのだ。
ならばどうするか。
王都から運んだのでは日数がかかりすぎて鮮度が保てない。
勿論、田畑を増やそうと鋭意努力中だがすぐと言うわけにはいかぬだろう。
そこで考えた。
前オーナーの教えの通り『人とのつながり』を大事にしようと。
つまり、俺やベンたち料理人で直接生産者から買い付けると言うことだ。
これならば品物を直接見られるし、品質も直に感じられる。
そして王都から輸送してもらうよりも遥かに仕入れ値を抑えられるだろう。
もっとも、これにも大きなデメリットはあって、仕入れ量が生産量と直結してしまうことだ。
豊作なら大量に、不作なら少量しか入荷出来ない。
食材によっては全く買えないものも出てくるだろう。
そうなれば料理のメニューは限られたものとなってしまう。
しかしながら、料理の価格自体は安く設定できるはずだ。
俺は、食べたいと願う人々全てに料理を提供したい。
そして前オーナーが目指した人とのつながりを受け継ぐのだ。
人間の欲求で一番強いもの。
それこそが食欲だと俺は考える。
空腹でさえなければ、猛獣とて無用の争いはしないのだから。
「なーに真面目な顔してやがんでぇ! 俺の妙技を見ろやリヒトォォォ!」
ベンが豪快に吠えながら丸い鉄の大鍋をワッサワッサと振る。
鍋に入った大量の物体が宙を華麗に舞い、そして大鍋へ美しく舞い戻っていく。
「うぉぉ! ベンさんすげぇや!」
「お見事!」
カイルとドアンも拍手喝采だ。
彼らは今、宿屋の空き地で料理の練習中なのである。
空き地で料理の練習? と思うだろうが、彼らの持つ大鍋をよく見ればわかる。
なんと、鍋には食材の代わりに大量の砂が入っているのだ。
これで鍋を振る腕の筋肉を鍛えようとしているのである。
懐かしいね。
昔は俺もよくやったもんさ。
「たいしたもんだよみんな。俺が出て行った時よりも格段に腕をあげたね」
「あたぼうよ! おめぇみてぇに冒険と言っておきながら女どもに現を抜かすチャラ男とは違うんでぇ!」
「抜かしてないよ!?」
「あぁん? あんだけカワイ子ちゃん揃いなのに手ェ出してねぇってのか?」
「いや、それはその……」
カワイ子ちゃんて……
「俺なら……そうだなぁ。あのウェスタニアさんって秘書さんがキリッとしてて好みかなぁ。きつく叱ってもらいてぇ……」
「あー、ベンは昔からマゾっ気があったからね……」
「おい! マゾって言うな! ってか、おめぇ、ウェスタニアさんに手ェ出してんじゃあるめぇな!?」
「出すかっ! あの人はああ見えて男に免疫がないんだよ。だから不用意には……」
「ウハハハハ! そいつぁいいことを聞いたぜぇ! ウェスタニアさんは男に免疫がない、と」
「なんでメモってるんだい!?」
小さくかがんでいそいそと帳面になにやらメモるベン。
しかもその帳面の表紙には『ウェスタニアさん攻略ノート』と書かれていた。
まさか本気で彼女を狙うつもりなのだろうか。
彼女に近付いただけで両目を潰され、転げまわるベンの姿が鮮やかに脳裏を走る。
友人として止めるべきかもしれないが、どうせ俺が言っても聞く耳など持たぬであろう。
ならば実際に体験してもらうほうが手っ取り早い気がする。
「オレはニアーナちゃんってメイドさんが好みですね。あの幻想的な青い髪は見てるだけでヤベぇです」
カイルが照れ臭そうに言った途端、『ウハハッ! このロリコンが!』とベンに囃し立てられ真っ赤となる。
ああ、やはり世間からはロリコン扱いされるんだ……
「ぼ、僕はその、リーシャさんが」
「すまないドアン。それはダメだ」
「リーシャさ」
「ダメだ」
「リー」
「ダメ」
「ウッハハハハハ! そうかぁ! リーシャちゃんはリヒトのものなんだとよ! ドアンよ、潔く諦めろぃ!」
俺の眼光に身をすくめるドアン。
悪いがここは譲れない。
「ところでおめぇ、マリーちゃんとアリスちゃんが娘だってぇのは本当かよ?」
「ああ、二人とも俺の娘だよ」
「ふぅん、おめぇにゃ嫁もいねぇってのになぁ。でもよ、あんなに小さいんじゃまだまだ母親が必要なんじゃねぇのか?」
「……ベンもそう思うかい?」
「おうよ。男親にゃ相談できねぇことも今後増えるだろうさ」
「その通りなんだよね……」
「あー! おめぇ、もしかしてリーシャちゃんと結婚して母親に!?」
「うっ」
「白状しろぃ!」
「はは、ベンには敵わないな。そう、ゆくゆくは彼女と結婚するつもりだよ」
「なんでぇ! めでてぇことをいちいち隠すんじゃねぇや! 水臭ぇぞ!」
ベンがガチムチの肉体を振るって俺の背を容赦なく叩く。
しかしダメージを受けない。
「よっしゃおめぇら、リヒトの結婚式に向けて鍛え直すぞ! 振れ振れぇぇ!」
「うぉぉ!」
「うああああ!」
狂ったように鍋振りを再開するベンたち。
ドアンだけが何かを吹っ切るようにがむしゃらだった。
それにしてもみんな気が早い。
俺も空き鍋を手に取り、様々な想いを込めて砂を入れていく。
オーナーのこと、ベンたちのこと、娘たちのこと、将来のこと、そしてリーシャのこと。
「おっ、おめぇもやるのかリヒト。その錆びついた身体じゃまともに鍋なんて振れねぇんじゃ…………おいおいおいおいおい! そんなに砂を盛ったら持ち上がらなあああああああ!?」
限界まで超山盛りにした鍋を片手で軽々と持ち上げる俺。
愕然とするベンたち。
俺はスッと下げた鍋を、全力で振り上げた。
思い切りスナップを効かせて。
「うおりゃぁぁ!」
一直線に太陽へ向かって行く砂。
俺の想いよ、天まで届け!
「うはああああああ! どうなってんだそりゃああああ!?」
「み、見えなくなっちゃった……」
「リヒトさんすげぇぇぇぇぇ!!」
俺が放った景気付けの一撃は、ベンたちの顎が外れるほど驚愕させたのである。




