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男泣き地獄


「子豚亭の全権限ったって、もう裁判所が建物から土地だの備品だのまで差し押さえちまったんだけどよ。あのクソブタが方々から借金して豪遊してたもんでな。実際俺らも二か月分の給料をもらってねぇんだぜ? だから、リヒトに残された権限なんてものぁ、『子豚亭』の名前を自由に使えるってことくれぇかもな」


「……それでもオーナーが残してくれたものだからね。俺はその気持ちだけでも充分うれしいよ」

「……そうだよな。おめぇはそう言うヤツさ。ウハハ、変わってなくて安心したぜ。おっと、こいつがその『譲渡証明書』だ。受け取っておけ」

「ああ、ありがとう」


 様々な想いがよぎり、俺もベンもなんとなく黙ってしまう。

 だが決して居心地の悪い沈黙ではない。

 ベンとは竹馬の友と言っても遜色のないくらい長い付き合いなのだ。


「そんでな、リヒトよ。ここからが本題なんだが……」


 あれほど闊達に笑っていたベンが真顔に戻り、そのガチムチ極まる体躯の膝を正す。

 見ればカイルとドアンも同じように鯱張っている。


 その様子に俺も只事ならぬ意味を察し、居住まいを正した。


「本題とはなんだい?」


 上を向いたり下を向いたりと、どう言ったものか悩んでいるベンを促す。

 ひょろひょろのカイルは照れ笑いを浮かべ、もやしのようなドアンが意味有り気に何度も頷いていた。

 それほど言い難いことなのだろうか。

 こうなっては急かしても仕方ないので俺は黙って待った。


「……あー、その、だな。本題と言うよりは頼み、いや、これはみんなからの願いだ」

「願い? おいおい、大げさだな」


 たっぷり2分ほど経ってからベンはようやく口を開く。

 カイルとドアンも小さく拍手をしてベンを煽った。


「ええい! 言うぞ! もう、公爵なんぞになっちまったおめぇにこんなことを言うのは筋違いだとわかっちゃいる! だけど、『子豚亭』元従業員一同の総意を伝えるからな! 耳ィかっぽじってよ~く聞きやがれ!」


 ベンはグオッと立ち上がって俺にビシッと指をさす。

 こう見えて相変わらずの照れ屋ぶりに俺は思わず噴き出した。


 しかし、そこからの彼らが取った行動に絶句することとなる。


 ベン、カイル、ドアンの三人は突然俺の前に片膝をついて臣下の礼をとったのだ。


「リヒトハルト公爵さま! 我々、子豚亭元従業員一同がこの地に住まうことを許可していただきたい! 並びに、子豚亭の全権を持つ公爵さまにお頼み申す! 是非ともこの公爵領にて子豚亭を復活させていただきたい! そして料理長をお引き受けください! それが叶うならば、我々は公爵さまの領民として生涯尽くすことを誓う所存です!」


「お、俺が子豚亭の料理長!?」

「リヒトハルト公爵さま! 僕たちは本当に子豚亭を愛していたんです!」

「それなのにあんな終わりかたなんて、オレたちには納得がいきません! 公爵さま! 何卒お願いします!」


 あの粗雑なベンの立派な口上にもだが、彼らがそんな風に決意を固めていたことに驚きを隠せなかった。


「…………」


「……俺たちゃよぉ、子豚亭とオーナーにゃ見習いのガキん頃から世話になったじゃねぇか。あん時ゃおめぇも俺も田舎から飛び出してきたばっかりだったよなぁ。そんなバカなガキをオーナーは二人も雇ってくれてよぉ、立派な料理人にまでしてくれたってのに、あんな……あんな……ぐぅぅうっっ!」


 話すうちにこみ上げたのか、毛むくじゃらの腕で涙をぬぐうベン。

 見ればカイルとドアンも涙ぐんでいた。

 俺もそんな光景に刺激され、鼻の奥がツーンとしてくる。


 脳裏にはオーナーとの思い出が鮮やかに蘇った。


 時にはやんちゃな息子に接する父親のように、時には料理のなんたるかさえもわからぬ俺たちへ、厳しくも根気強く指導してくれる師匠のように。


 一緒に市場へ出かけ、目利きの仕方を教えてくれた。

 誤って皿を割った時は、給料から天引きするぞと豪快に笑ってくれた。

 客に絡まれた時は割って入ってくれた。

 休日には他の店へ行き、勉強のためにと食事をさせてくれた。

 嫌がる俺とベンの頭を、力強くもあたたかな手で強引に撫でてくれた……


「ふぐぅぅぅ!」

「ウッハハハ! リヒトの野郎も泣きやがったぁ! 今日は大いに泣こうぜ! これもオーナーへの弔いってもんだぁ! うぐおぉおおおお!」


 大の大人が四人も揃って男泣きする様は、なかなか人にお見せできぬような地獄絵図だったろう。

 俺たちはそれほどオーナーが大好きだったのだ。

 だからこそ泣けてくる。

 ベンの言う通りだ。

 今日だけは憚ることなく思い切り泣いて弔おう。




「……うっぐ、きみたちの気持ちはわかったよ……ぐふっ」

「えぐっ……その前に顔を拭けやリヒト……涙と鼻水と涎でグッチョグチョじゃねぇか」

「……きみもだよベン」


 全員がタオルやら手拭いやらで己の酷い顔をぬぐう。

 三人とも目や鼻を真っ赤に泣き腫らしている。

 大泣きで消耗した身体に染み渡るお茶のなんと美味いことか。


「……辞めちまったウェイターやウェイトレス連中もよ、リヒトが子豚亭の料理長を引き受けてくれるならここに移り住みたいつってんだよ。そしてこうも言ってたぜ。リヒトがあのブタから解雇を告げられた時に庇ってあげられなくて申し訳なかったってよ。俺も同じ気持ちだ。すまねぇリヒト。この通りだ」

「僕もあのブタが怖くて言い出せませんでした……すみませんリヒトさん……」

「オレもです! リヒトさんを庇ってオレまでクビになったらどうしようかと……! ごめんなさいリヒトさん!」


 深々と頭を下げる三人の姿に、俺はまたしても涙がこみ上げた。


「いいんだ、そんなことはもういいんだよ。みんなありがとう。こうして会いに来てくれたことのほうがよっぽど嬉しいよ」


 あーあー、せっかく拭いたのに、またみんなグチャグチャな顔だ。

 俺もだけど。


「でも、ごめん」


 俺の言葉に硬直してしまうベンたち。

 とても不安そうな顔は、なにやら誤解しているようだ。

 きっと断られるとでも思ったのだろう。


「俺、一応公爵って立場なんだよね。 だもんで、忙しいしあんまり店に顔を出せないと思うんだ。そうなるとさ、ほとんど名前だけの料理長になっちゃうわけだろ?」


 神妙な顔で頷くベン、カイル、ドアン。

 俺がなにを言いたいのか計りかねているらしい。



「だからさ、俺は新たな子豚亭のオーナーになろうと思う。そして料理長はベン。きみだ。俺はきみの腕を信じている」



「……ぐぉおおおおおーーーん! リヒトぉぉぉぉ! うぉぉおおーーん!」


 俺の言葉に両手で顔を覆い床に突っ伏してしまうベン。

 しかも強烈な泣き声を添えて。


 これは……喜んでるんだよね?

 怒ってるとかじゃないよね?



「カイル、ドアン。きみたちももう立派な中堅料理人だ。だから、ベンを盛り立ててあげてくれないかな? 新しい子豚亭の新たな副料理長として、ね」

「ぐすっ……も、勿論ですよリヒトさん! 全力で……全力でやります!」

「……がんばりますっ! ひぐっ、がんばりまずぅぅぅ!」


 結局三人とも泣き顔に逆戻りだった。



「でもね、引き受けるにはひとつだけ条件があるんだ」


「ぅぐふっ……なんでも言ってくれリヒト。俺はおめぇになら忠誠を誓うつもりなんだぜ?」


「ははは、ベン、ありがとう。だったらさ」



 ゴクリと唾を飲み込む三人へ────




「時々は俺にも料理をさせてくれよな」




 ────と言ってやったのだ。





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